第五話 田んぼ

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第五話 田んぼ

 この話も飲み会で聞いたものだ。  ぽつぽつと田畑が残る住宅街で自分たちが食べる分だけの米を作っているという岩倉さんから聞いた話。  大雨の降っている夜、岩倉は田んぼの様子を見に行った。  自分の田んぼに行く途中、並んだ田の中に誰かいた。泥の中でもがいている様子だ。 「こりゃ大変だ!」  岩倉が慌てて近付く、普通は田んぼで溺れることなど有り得ない、だが酔っ払いが落ちて泥に足を取られてしまうことは充分考えられる。 「なんじゃ?」  田の畦で足を止めた。どうも様子が変だ。  暗くてハッキリとは見えないが田の中でもがいているものは全身が泥だらけに見えた。 「何してる? 大丈夫か」  岩倉が声を掛けるともがいていたものがピタッと動きを止めた。 『タシケテ、タシケテ』  九官鳥か何かの動物が人の声色を真似るような甲高い声がした。 『タシケテ、タシケテ、タシケテ』  泥を掻き分けるようにして何かが近付いてくる。 「待ってろ今行く」  誰か分からないが助けを求めていることは分かった。 「掴まれ」  田んぼの畦に踏ん張るようにして岩倉が腕を伸ばす。 『タシケテ、タシケテ』  泥の中から何かが手を伸ばした。 「うぉうっ!」  叫びを上げて岩倉が腕を引っ込めた。  泥の中から伸びていた手は四つあった。田の中に居るのはどう見ても一人だ。 「なっ、なんじゃありゃ……」  仰け反るように身を引いた岩倉が見つめる先、人の形をしたものがクネクネともがき始める。 『タシケテ、タシケテ、タシケテ』  人の形をしているが人ではない、手足が多い、腕か足かは分からないが六本の細長いものがクネクネと泥の中で蠢いていた。 『タシケテ、タシケテ』  泥だらけで目も口も判別できないが丸い頭と思われる場所から甲高い声で助けを求めてくる。  田の畦で身を固くする岩倉の足下へ細い手が伸びてくる。 「うわぁっ!」  手に気付いた岩倉が驚いて飛び避ける。 『タシケテ、タシケテ』  這い上がってくるように何かが四本の細い手を畦についた。 「たっ、助けを呼んでくる」  震える声で言うと岩倉は逃げるように帰っていった。  田んぼの近くの家に帰ると家族に先程見た出来事を話す。 「親父(おやじ)酔ってんのか?」  コンピューターの専門学校へ行っている長男が呆れ顔だ。 「何? 妖怪? 見に行こうよ」  高校生の次男は興味津々だ。 「嘘じゃない、本当だ。今さっき見たんだからな」  青い顔をしながら怒鳴る岩倉の向かいで長男が待てというように手を突き出す。 「じゃあ、見に行こう、三人で行けば大丈夫だろう」  お化けなど信じていないが取り乱す父親を見て只事ではないと思ったのか長男が言うと次男が笑顔で賛成した。 「行く行く、武器持っていこうぜ、鎌あったよな」  次男が楽しそうに下駄箱横の棚から鎌を取り出した。 「お前ら……わかった。行けば分かる」  全く信じていない息子たちの様子に岩倉はムッとしながら頷いた。  二人の息子を連れて田んぼへと行く、 「いない……いたんだ本当だぞ」  田んぼの中には何もいなかった。 「マジで酔ってんのか」  呆れ顔の長男の腕を岩倉が引っ張って行く、 「ここだ。ここにいたんだ。稲が倒れているだろ」  岩倉が指差す先、直径三メートルほどの円を描くように稲が倒れている。だがそれだけで化け物がいたとはとても思えない。 「鷺か何かを見間違えたんだよ」  長男に呼応するように次男が口を開く、 「猪か狸が暴れたのかもね」  動物が暴れていたと言われればそうかも知れないと岩倉は思った。 「暗かったからな……」 「猪が引っ繰り返ってバタバタやったら手が四本に見えるだろ」  気落ちする岩倉をフォローするように長男が身振り手振りで話した。  納得するように岩倉が頷く、 「そうだな、騒いで悪かったな」 「いいよ、本当に何かいたら大変だからさ」  恥ずかしそうに謝る岩倉の横で長男が優しく声を掛けた。 「妖怪だったら面白かったのになぁ」 「あはははっ、妖怪だったら捕まえるぞ」 「違いない、捕まえたらテレビに出れるぞ」  残念そうに呟く次男の言葉で岩倉と長男が大笑いだ。  三人は笑いながら帰っていった。  二日後、隣の地区の人が田んぼで亡くなった。  泥の中で死んでいたという、警察によると泥酔して足を滑らせて泥に嵌まって抜け出せなくなったのだろうとのことだ。  話しを聞いた岩倉は息子たちと顔を見合わせた。 「マジで化け物がいたんじゃ……」 「言うな、見間違いだよ」  息子たちを窘める岩倉の顔がもう二度と話すなと言っていた。  息子たちには見間違いだと言ったが本当は岩倉自身も化け物の仕業だと思っている。  仮に自分が見たものが鷺や猪などの動物だったとしてあの声はどう説明するのか? 確かに聞いたと岩倉は譲らない。 『タシケテ、タシケテ』  人真似したような甲高い声が耳について離れないと言って岩倉は話を終えた。
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