第六話 ビフォーアフター

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第六話 ビフォーアフター

 クワガタムシやカブトムシなど昆虫を捕まえるのが趣味という山本さんから聞いた話。  八年ほど前、インターネットの掲示板で天然のオオクワガタが捕れるという話を聞いてある山へと登った。  確かにオオクワガタはいた。しかも大きな良型だ。欲を出した山本は山奥へと入って行き迷った。虫が好きで森や林の知識はあるが登山は素人だ。初めて入った山で無茶をすれば迷うのは当然だ。  携帯電話を持っていたが山奥で電波など届かない。  二日間山を彷徨い、夕方、今日も野宿かと怯えていると家を見つけた。  山奥に不釣り合いな綺麗な家だった。ガルバリウム鋼板だろうか、白い壁に青灰色の屋根、出窓が付いたお洒落な一軒家だ。 「助かった……」  藪を掻き分けながら疲れなど忘れた様子で山本は家へと向かった。 「もしかして廃屋か?」  家の周りは藪が囲んでいた。人が住んでいるようには見えない。綺麗だが廃屋らしい。 「マジか……」  一挙にテンションが下がる。時刻は午後五時を回っていた。辺りは薄暗い。 「空き家でもいい中に入るか」  玄関に回ってドアに手をかける。  鍵は掛かっていなかった。突っ掛かりもなくドアはスッと開いた。  悪いと思ったが中へと入る。不法侵入は承知だが野宿は怖い、熊はいないと思うが猪や野犬が襲ってくるかもしれない。緊急事態だと自身に言い聞かせて廃屋へと入った。  玄関から廊下が続き奥に部屋があるようだ。廊下の左にトイレと風呂らしきドアがあり、反対の右側は台所だ。 「誰か居ませんか? 誰か? 入りますよ」  廃屋だと分かっているが一応声を掛けた。  少し様子を見るが返事は無い。 「入りますよ、山で迷って困ってたんです。申し訳ないけど入りますよ」  誰に言うとなく大声で言って再度様子を見るが返事は無かった。 「おじゃまします」  悪いと思ったが靴を履いたまま中へと入った。ガラス片や虫の死骸などあると危険だとの判断だ。  窓から夕日が差し込んで家の中を見渡すことが出来た。 「マジで廃屋かよ……」  全く荒れていない、今でも住んでいるんじゃないかと思えるほど綺麗だったが積もった埃が誰も居ないのを無言で主張していた。 「まだ充分住めるのにな……山奥じゃ仕方ないか」  慎重に廊下を歩く、右側に台所が見えた。 「水……」  喉の渇きを思い出して早足で台所へと入る。  日当たりが悪いのか廊下より薄暗い、山本は無意識で天井からぶら下がる電灯の紐を引っ張っていた。  カチッとスイッチの入る音はするが明かりは点かない、当然だ。廃屋なのだ。 「ははっ、点くわけないか」  苦笑しながらポケットに入れていた鍵に付けていた小さなライトを取り出す。 「台所も綺麗じゃないか」  ライトで照らすと台所も直ぐに使えるんじゃないかというくらいに綺麗だった。 「水、水」  流し台を見つけて駆け寄った。  頼むと祈りながら蛇口を捻る。 「出た!」  水が出てきた。茶色い水だ。初めは濁っていたが五分もすると透明になった。  変な匂いもしないので少し口に含んで味を確かめる。別段変な味もない、飲めると判断して山本はゴクゴクと水を飲んだ。  喉を潤わせ人心地ついた山本は室内を見渡した。 「缶詰だ!」  食器棚の隅、並んだコップの横に缶詰が三つ置いてあった。  缶詰を取り出すと確かめるようにぐるっと見た。 「賞味期限はとっくに過ぎてるけど缶が膨れてないから大丈夫だ」  賞味期限は十一年過ぎていたが缶に異常はない、中身が漏れたりした形跡も無い、縁が少し錆びているだけだ。  缶詰は腐敗するとガスが出て缶が膨らむ、爆発して中身が漏れ出たりもする。缶が膨らんでいないという事は中身は腐ってはいないという事だ。 「誰か知らんがありがとう」  山本はありがたく缶詰を頂く事にした。 「缶切りか包丁でも……」  缶はパカッと簡単に開けられるものではなく缶切りが必要なものだった。だからこそ十年以上も腐らなかったのだろう。 「あった。あった」  食器棚の引き出しに缶切りが入っていた。 「水も用意だ」  食器棚からコップを出して蛇口を捻って水を入れる。  缶詰と水、スプーンと一緒に缶切りを持ってテーブルに着いた。  テーブルにも椅子にも埃が積もっていたが構いもしない。それほど腹が減っていた。 「食えるかな」  山本は缶を開けるとスプーンを突っ込んだ。 「変な匂いもない、大丈夫そうだ」  一掬いして匂いを確かめてから口に入れる。 「うん、ちょっと鉄の味がするっていうか錆っぽい味がついてるが腐ってない」  山本は噛み締めるように缶詰を食べ始めた。  二日ぶりの食べ物だ。少しばかり変な味でも御馳走に思えた。 「水で腹を膨らませてゆっくりと食おう」  コップの水と交互に缶詰を食べていく、二日何も食べていない大人が小さな缶詰一つで満腹になどならない、だが缶詰は三つしかない、あと何日迷うのか分からないのだ。食料は節約して大事にするのは当然だ。 「美味しかったぁ~~」  二十分ほどかけて缶詰一つを食べ終わる。  余裕が戻ってきてぐるっと部屋を見回した。 「他にも何かないかな……いや、よそう、空き家とはいえ他人の家だ。緊急事態で中に入っただけだ。缶詰も緊急事態だから貰ったんだ。これ以上何かしたら只の泥棒だ」  食料など探せばあるかも知れないと邪な考えが過ぎる頭を振って否定した。 「家があると言うことは道があるってことだ」  食事をとったのがよかったのか落ち着いて思考をめぐらせることが出来た。 「よしっ、確認しよう」  玄関のドアを開けてその場に固まった。 「ヤバい、もう夜だ」  既に日は落ちていた。山の夜は早い、木々に遮られて月明かりも届かずに真っ黒な闇になる場合もある。幸いな事に山本のいる山は月明かりを遮るような大木はなくどうにか辺りを確認できるくらいの薄暗さだった。 「今日は泊まるとして道だけでも探しておくか」  薄暗い中、山本は目を凝らして藪を掻き分けるように道を探す。 「あった。道だ。これを辿っていけば帰れるぞ」  廃屋から少し離れた所に道があった。アスファルトではないコンクリート製だ。行政が作ったものではなく私道だろう。 「これで帰れる」  山本は安堵すると廃屋へと戻った。廃屋で一夜を明かすつもりだ。見ず知らずの家に泊まるのは少し怖かったが雨も防げるし野宿するよりマシだ。  玄関から続く廊下を通って奥の部屋へと入る。どうやら居間らしい。置いてあったソファに腰掛けた。  鍵に付けていた小さなライトでぐるっと部屋を照らす。長い台の上にブラウン管のテレビが置いてある。その下にはVHSのビデオデッキもあった。  やはり綺麗だ。埃は溜まっているが掃除をすれば直ぐに使えそうなくらいに綺麗な家だと思った。 「どんなヤツが住んでたんだろうな」  家があるなら電波が届くかもしれないと携帯電話の電源を入れる。アンテナの反応は無かった。 「やっぱりダメか……」  携帯電話をしまおうとして指がワンセグを起動してしまう。 「おっ、点くぞ」  聞いたことのあるCMの曲が流れてきて山本は顔の正面に携帯電話を持ってきた。 「おお、見れるぞ」  どういうわけかテレビは点いた。電波は届いているらしい。  ごろりとソファに横になってテレビを見る。  電波状況が悪いのか時々止まるがどうにか見る事が出来る。  一番映りがいいチャンネルを探す。 〝なんということでしょう……あれだけゴチャゴチャしていた台所が…………〟  家をリフォームする番組がやっていた。ハッキリ言って興味は無いが止まらずにスムーズに見れるチャンネルはこれだけしかなかった。 「バッテリは充分あるし、気晴らしにはなるだろ」  暫く見ていたが疲れが溜まっていたのか直ぐに睡魔が襲ってきて携帯電話を閉じるとそのままソファで眠った。  どれくらい眠っただろう、物音がして目を覚ます。 〝……なんと……綺麗に…………〟  何処かから声が聞こえてくる。 「電話か?」  寝惚け頭で携帯電話を見るが何もない。 〝なんということでしょう! あれだけ綺麗だった家がこんなに!〟  大きな声がして山本がバッと身を起す。 「なっ、何だ?」  辺りを見回すが何もいない、ザワザワと風に揺れる草木、空には綺麗な月が浮んでいる。 「えぇーーっ!」  腹の底から声が出た。  家の中で眠っていたはずなのに月が見える。それだけじゃないソファの後ろにはザワザワと風に揺れる藪があった。 「何で?」  慌てて辺りを見回す。 「家が……」  絶句した。確かに家の中だ。だが屋根は抜け落ち、壁も無い、半分崩れたボロボロの廃屋の中にいた。 「夢かよ」  軽く頬を叩くと痛かった。夢でないと分かって再度辺りを見回した。 「化かされたのか……」  怖くなった山本が立ち上がる。 〝なんということでしょう〟  後ろから声が聞こえた。 「助けてくれぇ」  山本は叫ぶと逃げ出した。幸いな事にコンクリートで出来た道は本当にあり、それを通って無事に国道へと出る事が出来た。  向こうからやって来る車のヘッドライトを見つけて山本が大きく手を振った。  山本を見つけたのか車が七メートル先で止まってくれた。近付いてこないのは警戒しているらしい。 「ビフォーアフターって逆だろ……」  ちらっと山を見て呟くと山本は止まってくれた車に駆け寄っていった。  迷っていた事情を話して町まで乗せて貰って無事に帰って来れたという。  話を終えると山本さんが私をじっと見つめてきた。 「何かに化かされたのは確かだが……化かされたのはいいんだが、俺、何を食べたんだろうって……あの缶詰は何だったんだろうって、まぁ腹も下さなかったし、変な病気にもなってないから大丈夫だと思うんだけど…………」  答えを知りたそうに見つめる山本さんに私はそれだけで済んでよかったじゃないですかと言う言葉しか出てこなかった。
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