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第七話 カメノテ
釣りはもちろん、山や海で山菜や貝などを採って食べるのが好きだという長田さんから聞いた話。
早朝、磯場にカニや貝を採りに行く、その日の一番の目当てはカメノテだ。
潮の引いた早朝、岩の間にいるカメノテを長いヘラのような道具を使って擦るように引き剥がして捕まえる。
日が昇ってくるのは朝の五時だ。今は朝の四時である。食べ甲斐のある大きなカメノテを探してライト片手に岩を飛び回るようにして探していた。
夢中になって探していると何かの鳴き声が聞こえてきた。
〝ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあぁ〟
ウミネコでも鳴いているのだろうと長田は気にもしない。
もう直ぐ日が昇る。潮も満ちてくると長田は帰り支度を始めた。
「これだけあればいいだろ」
バケツ一杯のカメノテや貝を見て長田がほくそ笑む。
今日は友人が遊びに来ることになっていた。それで新鮮なカメノテを肴に飲もうと思って採りに来たのだ。
重くなったバケツを持ってバランスを取りながら岩々を跳ねるように渡っていると傍の岩の隙間に大きなカメノテが群生しているのを見つけた。
「おお、凄いな、あれを採って今日は終わりだ」
長田が岩へと飛び移る。
『おぎゃぁ、おぎゃぁ』
赤子の声が聞こえてきた。
「何だ?」
長田は辺りを見回した。
「ウミネコの鳴き声か……」
何もいないのを確認して呟いた。
ウミネコはその名の通りニャアニャアと猫のように鳴く、それが波の音と混じって赤子のような声に聞こえたのだと納得した。
「今まで採ったのよりデカいぞ」
岩の隙間から見える大きなカメノテを見て長田のテンションが上がる。
「全部採って帰ろう」
長いヘラをカメノテの根元に突き刺した。
ガシガシと擦るようにカメノテを岩から剥がしていく、
「よしっ、三つほど外れた」
大きなカメノテが岩の隙間に落ちるのを見て長田が手を伸ばす。
「おわっ!」
声を上げて長田が伸ばした手を引っ込めた。伸ばした手が何かに掴まれたような気がした。
「魚でもいるのか?」
岩の間にある潮溜まりをライトで照らすが小さな魚がいるだけだ。
海藻でも絡まったのだろうと長田はまた手を岩の隙間に突っ込んだ。
剥がれ落ちたカメノテを掴んだ瞬間、その手が握り返された。
「なっ、何だ?」
今度は手を引っ込めずに反対の手に持ったライトを岩の隙間に向けて照らした。
「ふっ、ふぅうぅ……」
引き攣ったような悲鳴が出た。
長田の腕を小さな手が掴んでいた。
「うわぁあぁーーっ!」
叫びを上げて腕を引っ込める。
「何なんだ?」
怖かったが確かめるようにもう一度ライトを当てた。
「はっ、はぁあぁ……」
息が詰まった。岩の隙間を埋めるように無数の小さな手が生えていた。
『おぎゃぁ、おぎゃぁ、おぎゃあ!』
どこからともなく赤子の泣き声が聞こえてくる。
竦んで動けない長田の見る先で岩の隙間に生えている赤子の手がにぎにぎと何かを探すように動いていた。
『おぎゃぁ、おぎゃぁ、おぎゃあ! おぎゃあ!』
泣き声が一段と大きくなる。
直ぐ後ろだ。長田が振り返る。
「あぁ……あぁあぁ…………」
後ろに置いていたバケツの中で赤子の手がモゾモゾと蠢いていた。
「うわぁあぁあぁーーっ」
叫びを上げて長田が逃げ出す。バケツも長いヘラも放り投げて一目散に磯場を離れた。
『おぎゃぁ、おぎゃぁ、おぎゃあ! おぎゃあ!』
逃げている間も泣き声は聞こえてくる。
走りに走って砂浜まで来るとやっと足を止めた。
「なっ、何だったんだアレは」
後ろを振り返るが何も無い、泣き声も消えていた。
「くそっ、せっかく採ったのに……」
愚痴りながら歩き出す。浜の上を通る道路の脇に車を止めてある。そこで一休みするつもりだ。
まだ朝の五時前だ。辺りは薄暗い、見間違いや幻聴だとは思ったが気味が悪くてとてもじゃないが日が昇るまではあの場所へ行く気にはならない。
「何だ? 人か?」
砂浜を歩いていると波打ち際に人のようなものが倒れていた。
確認するように近付いた長田が悲鳴を上げる。
「ひぃぃ! 死体だ」
女が俯せになって倒れていた。一目で死体だとわかった。ワンピースから伸びた足、その片方が千切れて無くなっている。両腕も肘から先が無い、長い髪から覗く首筋が真っ白だ。血色というものが消えていた。
長田は逃げるように道路に出るとスマホを取り出して警察に通報した。
もうカメノテ採りどころではない、直ぐにやって来た警察から事情聴取受け、その日は疲れ果てて家に帰った。
後日、警察から連絡があった。
女は近くの崖から飛び降り自殺したという事だ。岩で打ったのか魚に食われたのか腹が破け内臓が無かったという、それが浜に流れ着いたのだ。
身元も分かった。隣町に住んでいた専門学校の生徒で男に振られて失意の余り自殺したらしい。
女は身籠もっていた。妊娠三ヶ月目で堕ろすことも出来ずに悩んで彼氏に打ち明けるが振られた。それで自殺したのだ。お腹の赤子は見つかっていない。
長田の腕を掴んだ小さな手はその赤子の手ではなかっただろうか?
警察から事情を聞いた翌日、長田は磯場に行って花と菓子を供えて手を合わせた。バケツも長いヘラも波に流されたのか無くなっていた。
話を終えた長田さんに私は聞いた。
「そんな事があったらもうカメノテは食べられないですよね」
長田さんは顔の前で違うというように手を振った。
「いや、カメノテは今でも好物だよ」
「マジっすか? 」
驚く私の向かいで長田さんがニヤッと笑った。
「別に僕が恨まれるような事してないし、女の死体を見つけてあげたんだから感謝されても良いくらいだよ、だから気にしないでカメノテは食べてるよ」
「凄いですね、私は無理です。トラウマになりますよ」
嫌そうに顔を顰める私を見て長田さんの口元から笑みが消えた。
「でもあの場所には二度と行ってないけどね」
ぼそっと付け加えた長田さんの顔があの場所付近に赤子の亡骸があるのではないだろうかと問い掛けているような気がした。
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