『ナンパ屋』 南波屋

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『ナンパ屋』 南波屋

 海の家、南波屋。夏のビーチに行くとどこにでもあるような海の家……をほんの少し小汚くした店をイメージしてもらえばいいだろうか。南波店長いわく、明治時代から続く老舗らしいが真偽の程は定かではない。そもそも毎年夏にしか営業していない海の家に老舗という呼び方が適切かどうか。仮に真実だったとしても、水着で焼きそばやかき氷やフランクフルトを目当てにやってくる海の家に歴史や伝統を求める物好きな客はおらず、むしろ衛生的な不安を覚える客の方がずっと多く、三年前に隣にライバル店がオープンしてからは客足が遠のく一方である。  店長以外の従業員は全員地元の大学生で、普段は南波店長が経営している居酒屋でアルバイトをしているのだが、毎年夏になると南波屋の手伝いにかり出されるというわけだ。前と後ろにでかでかと「南波屋」と書かれたおそろいのTシャツを着て、日夜勤労に勤しんでいる。と言いたいところだが、今年も客足はまばら。ランチタイムにほんの少し混むくらいで、最近は営業中も時間を持て余し気味である。老舗のプライドからか、メニューを増やしたり、店舗に手を加えたりすることを頑なに拒んでいた店長であったが、さすがにここ数年の売り上げに危機感を覚えたのか、考えついたのがこれである。 『ラブデリ、はじめました』  人との出会いは一期一会  夏の海で恋に落ちたあなた  あなたの想いをお届けします     ※手紙、口頭でのメッセージ、どちらでも承ります。   なお、当店でご飲食いただければお代は結構です。  ところどころにピンクのハートやキューピッドのイラストが描かれ、怪しさ満点である。 「今は便利な時代だよな。付き合うのも別れるのもスマホでパパッとすんじまう。でもよ、人間が面と向かって、声帯ふるわせて出す言葉や、手書きの文字でしか伝わらないこともあるんだよ」  学生時代にラグビーで培われた熊のような巨体。真っ黒に日焼けしてねじり鉢巻きに口ヒゲをはやした強面な店長が、うきうきとした顔でこのポスターを貼っていたときのことを思い出し、太一はぶるっと体を震わせた。こんな怪しげなサービスを利用する客なんていない……と思いきや、意外にも興味を持った若者がちらほら現れるようになった。    店長は得意気な表情で彼らの話を聞き、他の従業員に店を任せて自らビーチに駆けていくようになった。夏の暑さと自らのアイデアが受け入れられた嬉しさとがあいまって、店長の顔はほのかに上気し、その顔はまるで恋する乙女のよう……太一はぶるっと体を震わせた。  しかし、そこから先はなかなか思い通りにいかないようである。待ってましたとばかりに店を飛び出していくものの、毎回肩を落として帰ってくる。どうやら不審者扱いされてろくに話も聞いてもらえないらしい。その度に店長は「まことに申し訳ありません!」と深々とお辞儀をし、無念そうな顔で若者たちに頭を下げた。しかし彼らの方は、面白半分で依頼した、初めから期待していなかった、と言って全く気にする様子はなかった。むしろ芸能人の謝罪会見もかくやという店長の姿にたじろぎ、そそくさと店を後にした。
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