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「さて、坐禅とはなんぞや……」
この本には坐禅の解説に入る前に坐の解説があった。その場から動かずに坐し(座り)身を落ち着かせ安定させることである。心と体を一体化させ、統一調和をはかることが坐であることが記されていた。
次に禅であるが、正式名称は禅那と言い、瞑想することであると記されていた。
坐し、瞑想すること。
これが坐禅である。
「次は坐禅の方法か…… 足の組み方まであるのか。適当にあぐらをかくだけじゃ駄目なのね……」
私は座布団の上に尻を乗せた、もちもち素材の座布団故にふかふかとして気持ちいい、デスクワークで椅子の上に乗せる私の最高の相棒だ。今日は椅子の上から床の上に仕事場を変えてもらおう。
「やべ、漢字が読めない…… 結跏趺坐? けっかふざでいいのかな?」
私は右足を左の股の上に乗せ、次に左足を右の股の上に乗せた。どちらか片方だけの半跏趺坐、これも読めないが…… はんかふざでいいのだろうか。とりあえずは両足で行う結跏趺坐にしておこう。
「お、坐禅でよくやる手の組み方か。法界定印…… ほっかいじょういんって言うんだっけこれ」
私は法界定印の形に手を組んだ。右手を左足の上に置き、その上に左手を重ねて合わせ、それから背筋を伸ばして姿勢を正した。
「空気を全部吐き出せ? 無茶を言うものだ」
ふぅー 私は空気を吐き出した。風船のように膨らんでいた右肺左肺から空気が抜けて行くのが分かる。それからすぅーと吐き出した空気と同じ文の空気を再び吸い戻す。
そして、目を閉じた私は坐禅を始めた。これで無に至り自分を高めて解脱することこそが坐禅の最大目標であるとされている。無に至ることが出来れば別次元におわすと言う神仏との対話も成されると書かれていたが、流石にそれはないだろう。
目の前が暗い。目を閉じているのだから当たり前である。聞こえるのは窓の外より聞こえるなにかもわからない虫の声や、燕の囀り、テレビの「今日の感染者数」を伝えるニュース、真上の照明から聞こえる「ジー」という音…… この照明古いからな…… 買い替えも検討しないと。
いかん、音が気になってたまらない。時間も一時間ぐらい経過していると思っていたが、音に耐えきれずに目を開けた時には五分も経過していなかった。
このまま眠りに就こうにも座ったまま眠るような姿勢ではないので眠りには至らない。
私の始めての坐禅は雑音により乱されると言う散々な結果に終わってしまった。これでは無に至ることは出来ない。これではただボケーっとしていただけではないか。何も考えずに休んでいたのと変わりがない。
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