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ここから数日、坐禅を続けたのだが…… 目を閉じてぼーっとしているだけで、無に至るとは到底言い難い悶々とした日々を送っていた。これでは単なる坐禅の真似事だ。やはり坐禅は趣味にするには高尚過ぎたのだろうか、それとも趣味にしてはいけないものだったのだろうか…… 私は目を閉じながらも自問自答を繰り返す。もし、計策持ちの僧侶がいたら肩の血行が良くなり、肩こりも解消するぐらいに叩かれているだろう、こんなに煩悩塗れなのに坐禅を続けていていいのだろうかと自分と自分でセルフ禅問答をするようになっていた。
春が終わり、夏を迎えた、新型ウィルスは収束する様子を見せない。それどころか検査件数を増やすようになったせいか、一日の感染者数が表面化し、増えるばかりの人数に我が国中の人々が一喜一憂を続けるようになっていた。
さて、私の坐禅であるが、春から続けてきて夏を迎えたところでやっと慣れてきた。蝉時雨が鬱陶しく耳に入るだけで暑さを感じる時期ではあるが、坐し禅に入るだけで気にならなくなってくる、目を閉じただけで耳も塞がるようになってきたのか、何も聞こえなくなってしまった。
時の流れ方も変わった。以前であれば数分が数時間に感じる程に坐禅が長く感じていたのだが、今では坐禅をしているだけ面白いように時が流れていくのだ。夜中に坐禅に入ったときなどはほんの数分のつもりだが朝が明けていたということも珍しくなくなっていた。
私はこれこそが無に至ることだと考えた。この暑い中クーラーも点けずに一人で坐禅をする。坐禅の間だけはこの夏の暑さも特に何も感じることはない。心頭を滅却すれば火もまた涼しとは言うが、今の私には何も感じない。蝉時雨すらも坐禅の間だけは聞こえなくなるのであった。
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