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 1976年のとある夏の日、小学校の教室には当然エアコンもなく、まるでサウナのようだった。窓を全開にすれば、山が広がりセミの鳴き声が聞こえてくる。生徒たちは暑さから、だらけ始め、下じきをうちわの代わりにしてあおぐ者もいた。  正面では、先生が何度も顔をハンカチでぬぐいながら、黒板に文字を書いている。少し書くだけでに汗が流れ先生の目に入りそうになった。 「この問題分かる人? 奥谷は分かるか?」  誰も手をあげなかったので、先生は奥谷春一(おくや はるいち)に声をかける。春一は黒板に書かれた式を必死にノートに書いている途中だった。先生がせき払いをすると、しぶしぶ春一は立つ。 「えーと、分かりません」 「難しかったか。他に分かる人は?」  しばらく待つと、仕方ないなと言わんばかりに神田秋人(かんだ あきひと)が手をあげた。先生に指名され、秋人は立つ。 「206です」 「正解。さすがだ」  先生がほめると同時にチャイムが鳴った。号令のあいさつをして先生は教室を出る。すると、生徒らから力の抜けたような声がした。そして、校庭に遊びに行ったり友達のもとに行きおしゃべりをしたりと、皆それぞれ休み時間を過ごす。  その中で春一は一冊の本を取り出す。その表紙には『ほしのずかん』と大きく書かれ、惑星や星の絵が描かれていた。開くと、そこには月の絵が描かれ、大きめの文字で説明が書かれている。春一がその本を読もうとすると、ボールを持った友達が教室の皆に声をかけた。 「サッカーやらないか」  友達にきかれ、春一は申し訳なさそうに眉を下げる。 「ごめんね、今これ読んでるから」  断ると、口を尖らせつつも「しょうがないな」と言って教室を出た。教室を見回すと春一のほかに本を読んでいる生徒がいる。その人は先ほど答えを言った秋人だ。彼の読む本は月の専門書で虫眼鏡を使いたくなるほど、小さな字がたくさん書いてある。その本の表紙に満月が描かれていることに気付いた春一は目を輝かせた。春一は秋人の席へと足を運ぶ。机の前へ行くと、秋人の目線が春一に向けられた。鋭い目に睨まれ、一瞬春一はひるむ。しかし、意を決して、春一に声をかけた。 「ねえ、神田くんも月に興味あるの?」 「月、というかアポロ計画に興味があって。1969年にアメリカのアポロ11号が初めての月面着陸を成功させているだろ」  秋人の言葉に春一は考えこむ。頭の中では小さい頃にテレビで鎧のようなものを着た人がでこぼこな地面を歩いていたのを思い出した。だが、春一はそれの何がすごいかよく分かっていない。 なんと返すべきか迷う春一に、秋人はため息をついて本に視線を戻す。その姿に、あわてて春一が話し始めた。 「アメリカとか、げつめんなんとかっていうのはよく分からないけど、ぼくも月や星が好きなんだ」  本を読む秋人に対して、春一は必死に語る。 「でも、すごいよね。月とか星とか地球から見ると小さく見えるけど、本当は遠くにあって、地球の何倍も大きいんだ。そう考えてみると、宇宙って不思議だなって」  春一は身振り手振りでいかにも楽しそうにしゃべるが、秋人は眉一つ動かさない。周囲の生徒がその2人を見て聞こえないように話していた。その視線が春一の胸に突き刺さり、足を引いてしまう。ふと、春一から秋人が読んでいる本の中身を見えた。小さい字で長文が並べられる中、1枚の写真があった。白黒ではあったが、夜空に星々が散りばめられ、中央では満月が輝いている。その写真に、春一は目が奪われた。 「その写真、とってもきれいだね」  春一に言われて秋人の視線も写真へ向く。そして、また顔を上げ春一の顔を見た。 「お前もそう思うか」  そう質問する秋人の眉間にはしわがなくなっている。彼は写真を指差しながら、春一に月の説明をし始める。春一も興味津々に秋人の話を聞いた。2人は暑さも時間も忘れ、夢中になって話をした。
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