175人が本棚に入れています
本棚に追加
/204ページ
「私の順番、まだかしら?」
門倉総合病院の待合室にて。
一人の老婦人が待ち時間の長さに痺れを切らし、受付窓口へとクレームをつけてきた。ショッキングピンクの帽子にベビーピンクの上着、さらにはサーモンピンクのパンツをコーディネイトしたピンクづくしな装いは、今にも甲高い笑い声を上げながらカメラのシャッターを切り出しそうな雰囲気だ。
「ご予約は何科ですか?」
製菓工場から転職して二年。ようやく医療事務員としての職務に慣れ始めた藤木輝実は、マニュアル通りにピンク婦人へ聞き取りを試みた。
「ナニカ? 私は眠れなくて来たの」
「心療内科ですかね。整理番号は何番ですか?」
「セーリ? 生理は、とうの昔に上がったわ」
トンチンカンな老婦人の返答に輝実は一瞬怯むが、めげずに丁重な説明を返す。
「そうじゃなくて。外来受付機に診察券を通された時に、用紙が出ましたよね? そこに記された番号を教えてください」
「用紙? 用紙なんてもらってないわよ」
「では、診察券をお見せください」
「診察券なんて、持ってないわよ」
「えー……」
ついに絶句してしまった輝実の背後で、静かだけれど力強い声の主が助け船を出してきた。
「どうされました?」
「あ、あの、このお婆ちゃん、らちが明かなくて……」
疲労困憊といった表情の輝実に変わり、レセプトを作成していた別の医療事務員が、老婦人の対応に姿を現す。
「当院での診察は初めてですか?」
「そうよ」
「どんなことが、ご心配ですか?」
「眠れないのよ。昨日も一昨日も、眠ってないの。もう三日間、一睡もしてないわ」
「保険証をご提示願えますか。では、内科をご案内いたします。長椅子へお掛けになって、こちらの問診票に気になることを全てお書きください。その間に診察券をお作りしますね」
「おやまぁ。親切にありがとう。あなた、お名前は?」
輝実に助け船を出した医療事務員は、胸元のネームプレートを分かりやすく老婦人へ提示しながら名乗りを上げた。
「天崎倫音と申します」
「甘酒さん。美味しそうなお名前ね、覚えたわ」
名前は聞き間違えたものの。バインダーに挟んだ問診票を受け取るや、老婦人は倫音の示した長椅子を目指して、しっかりとした足取りでスタスタと歩き出した。
最初のコメントを投稿しよう!