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「ありがとう、天崎さん。仕事とはいえ、毎度のように会話の通じにくいお年寄りの相手をするのは本当に頭が痛くなるわ。あなた、以前にも医療事務をされていたの?」
「今回が初めてです」
迅速な対応を見せた倫音の意外な答えに、輝実は「えっ」と声を上げる。
「そうなの? 慣れてるから、経験者かと思ったわ」
「通信教育の半年コースを一ヶ月で終えて、一週間前に資格取得しました」
「半年コースを一ヶ月で修了!? どんだけ、高スペックなの……」
倫音の有能ぶりに繰り返し絶句する中、門倉総合病院の表玄関へ横付けされた一台のタクシーに輝実は目を向けた。
「あら、天崎さん。またインパクトのある患者さんが来られたわよ」
紫色のボディコンスーツの胸元には、鎖状の金ネックレス。腰を曲げながらもワンレンソバージュヘアをなびかせ、車椅子と格闘する派手なビジュアルの女性は……。
「恵子ママ!」
倫音の恩師であり、年の離れた友人といえる存在でもある『おふくろ料理 恵子』のオーナーママ・恵子だった。
「どうされたんですか?」
「ギックリ腰こじらせて、椎間板ヘルニアが再発しちゃったのよ。しばらく入院で絶対安静。お店も当面は休業よ」
車椅子上で羽根のついた扇子をはためかせなら、恵子は悔しそうに顔を歪める。
「それは、お大事に……」
「ねぇ、倫音ちゃん」
労いの言葉をかけて持ち場に戻ろうとする倫音を手招きして引き寄せると、恵子は周囲に悟られないようキョロキョロと見渡した後に囁いた。
「いつから病院で働いてるの?」
「おとといからです」
「その割には、十年選手みたいに落ち着いてるわね。とても、三日前に来た新人さんには見えないわ」
感心したように告げた後、さらに声を潜めて耳打ちする。
「引っつめ髪に眼鏡で地味に変装してるつもりかもだけど、日活ロマンポルノの女教師役みたいなビジュアルになってるし。色気ダダ漏れよ、大丈夫?」
「褒め言葉として、受け止めておきます。でも、案外大丈夫です」
ほんの三ヶ月前まで、倫音はローカル局限定とはいえ、タレントとして公に顔面を晒していた。用心のためにベタな変装で勤め始めたが、三日目にして、そんな気遣いは不要だったという結論に至っている。
患者の大半は深夜番組など視聴しない高齢者であったし、体調不良で病院へ訪れる人々には事務員の容姿を気にとめる余裕などない。さらには、門倉総合病院のスタッフは長年に渡って従事する古参メンバーがほとんどで、下世話なバラエティ番組に短期間だけ出演していた倫音の過去を詮索する人間など皆無だった。
唯一の若手といえる輝実でさえ、中途採用の三十代という立場をわきまえ、粛々と日々の業務をこなしている。
━━病院では、誰も容姿で他人を評価したりしない。
二十七歳を迎える年にして、倫音は初めて居心地の良い職場を体験していた。
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