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感染対策の解除は段階を追って成しえたものの、国外からの渡航制限解除に踏み切るまでに、半年の期間を要した。
国内での経済活動力が低く、観光をはじめ、他国からの資金流入により経済を維持していた国にとって、この疑似鎖国は窒息にも等しい状況であった。
一時、であった失業率は、感染症発覚から一年もの間、常時となっていた。
極めつけは、時の総理大臣が過労による長期療養を理由に辞任、政府は戦後最大の国難のさなかに、その責務を果たさぬまま、数々の失策をもって政権を投げ出し、民衆は自助の努力によって未曽有の人災からの復興を歩むことも覚悟したのである。
だが風向きは変わった。
一か月ほどの空白の後、大きな爆発物と共に政権を引き継いだ現内閣は、直ちに渡航制限を解除し、生活保障令と共にドイツ、インド、タイやシンガポールを中心とする東南アジア諸国から企業誘致を推進し、事態の収束を図った。
日本の自治能力は瀕死の状態から辛くも脱したのだが、ようやく上向きの様相を見せてきたのは感染症の発覚から二年の歳月を要していた。
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