一夏の物語

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一夏の物語

大学に住み着いた猫。真っ黒だからクロすけと呼んでた僕と、ゴマと呼んでた彼女と、名前のない黒猫の、一夏の物語。 教授が体調不良のため今日の授業は休講。これだけ暑けりゃ体調もおかしくなるわなぁ。日本の夏蒸し暑すぎるよなぁ。働かない頭でそんなことを考えながら、突然できた空き時間に暇を持て余していた。特にすることもなく、校内をてきとうに散策する。歩いてみると意外と行っていない場所もあり、通い慣れたはずのキャンパスがなんだか新鮮に感じられた。 いつもは前を通り過ぎるだけの、校舎と校舎の間。昨日までは気づかなかった、狭い小道を見つけた。どこに繋がっているのか気になって、進んでみることにした。 なんだか探検みたいで、久しぶりにワクワクする。少年時代に戻ったような、懐かしい感覚。ここが大学であることを忘れ、軽い足取りで進んでいく。狭いそこを抜けた先には、中庭があった。開けたスペースに木とベンチ。小さめの公園くらいの広さ。 へえ、こんな所あったんだ。なかなかの穴場スポット。良い所を見つけた。ラッキー。探検の収穫は上々。 上機嫌で木陰のベンチに腰掛けると、後方からガサッという音。振り向くと、一匹の猫。なんだ猫か。ビビッた。それにしてもかなり大きい。そして真っ黒。なんか強そう。 2メートルほど先でそれ以上距離を詰めようとはせず、動かない。草の中から二つの目がじっとこちらを見ている。風格があるというか、迫力があるというか、もっと言えばなかなか威圧感がある。飼い猫ではないことは一目でわかる。野良猫としてたくましく生きてきたんだろうな。もしかしたらこの辺り一帯のボスなのかもしれない。それくらいの風格。 「おにぎり、食べるか?」 昼休みに食べ残したおにぎりをちぎって置いてみる。まだ少し警戒しているのか、じっと見つめられて、というか睨まれて、すぐにはありつかず様子見。僕も一口食べてみる。しばらく観察してようやく食べる気になったらしく、どっかり鎮座してむしゃむしゃ食べ始めた。いい食べっぷり。名前はあるのかな。野良猫だからないか。名前、考えてあげようかな。何がいいかな。 「タマはどう?」 またじっと睨まれる。お気に召さないご様子。次。 「じゃあ……、太郎は?」 静かな抗議の目。これも却下。う~ん、どうしよ。真っ黒だからなぁ…。 「クロすけは?」 もうそれでいいっすよと言わんばかりの、諦めの目。ネーミングセンスなくて悪かったな。 「じゃあ、クロすけな。」 へいへい。そんな返事が聞こえてきそうな表情。名前のことなんかどうでもいいって感じで、マイペースに食後の毛づくろい。のんびり、まったり、ほっこり。それからしばらく、黒猫との時間を楽しんだ。 あれから頻繫に、あの木陰のベンチに様子を見に行くようになった。クロすけとはすっかり顔見知りになった。クロすけはいつも、昼頃に顔を出す。お土産を持参する代わりに、撫でさせてもらう。クロすけとのなんとも不思議な、安らぐ時間。昼休みが楽しみになった。 クロすけと出会って数週間が経ったその日。熱中症注意報が発令されるほど、記録的な猛暑となった。重苦しい外気が汗と共にまとわりついてうんざりする。そんな外の様子とは裏腹に涼しく快適な校内。資料をコピーするためパソコン室に向かいながら、窓の外の日差しを他人事みたいに流し見ていた。 目的の教室にたどり着いて、いざコピーしようとコピー機に視線を移したとき。既に先客がいた。思わぬ場所での思わぬ再会。大きくて黒い塊が何か、すぐにわかった。こんな所にも出入りしてたのか。気持ちよさそうにコピー機の上で昼寝中。いや、昼寝はいいけど、コピー機使いたいんだよな。 「クロすけ、ちょっとどいてくれよ。」 ……………おい、無視か。 頭を撫でてみても、少し体勢を変えただけで動かない。何回呼びかけても聞こえないふり。そこがしっくりくるようで、どく気はないらしい。困ったな。 「お~い、クロすけぇ~…。」 一向に動く気配のないクロすけに困り果てていたとき。あ、ゴマ。という背後からの声に振り返る。同じキャンパスの学生であろう女の子が、同じ資料を手に立っていた。ペコっとお辞儀をされ、こちらも同じくお辞儀。 「ゴマ、今日はここで涼んでるんですね。」 「ゴマ?」 「この子の名前です。真っ黒だから、黒ゴマからとってゴマ。」 なるほど、黒ゴマのゴマね。 「私が勝手にそう呼んでるだけなんですけど。」 ニコッと微笑んで彼女はそう付け加えた。 彼女のほうがクロすけについて詳しく知ってそうで、いろいろ聞いてみた。僕が出会う少し前から存在を知っていた彼女は、ゴマと名付け、たまにエサをやっていた。暑さに耐えかねたのか、最近はよく建物内で涼んでいるらしい。この蒸し暑さは猫にも堪えるのだろう。 僕が散々言っても聞かなかったくせに、彼女が声をかけたらすんなりどいてくれた。なんだよ。かわいくないな。 ……嘘です、かわいいです。 彼女にはあの中庭のことを教えてもいいような気がして、その日の帰り、あの中庭へと案内した。 「こんなところがあったなんて知らなかった!」 あの日の自分と同じ、ワクワク目を輝かせる彼女に、なんだか嬉しくなった。その日からここは、僕と彼女とクロすけ、三人の秘密の場所になった。 あれから変わったこと。暦月。黒猫の呼び名。僕と彼女の関係。 8月が9月になり、クロすけのことをクロと呼ぶようになった。彼女とは黒猫仲間から始まり、友達になった。そして、先日晴れて、恋人同士になりました。やったぜ!最近は浮足立つ毎日です。 そして、忘れてはならない、大きな変化がもう一つ。クロはなんと、お母さんになりました。子猫を連れてきたときは、それはそれは驚いた。最近見ないなと思っていたけど、まさかお母さんになっていたとは。それより何より衝撃だったのは…。 「お前………、女の子だったのか……。」 立派な体格と鋭い目つきに、てっきりオスだと…。そりゃあ睨まれるわけだ。 「ごめんな。」 今更だと言わんばかりに一瞥され、苦笑い。 クロと子猫たちの噂はあっという間に広がり、今ではすっかりキャンパスの人気者だ。学生たちに撫でられ、写真を撮られているのを何度か見かけた。 僕と彼女とクロ、三人の(正しくは二人と一匹の)秘密だったのが、みんなに知られてしまって少し残念な気持ちもある。秘密基地が見つかってしまったようなガッカリ感は否めない。でも、そこからまた素敵な物語が生まれるかもしれないと思うと、独り占めするのはあまりにもったいない。俺みたいにそれが予期せぬ出会いや出来事に繋がる人がいるかもしれない。 偶然の休講がきっかけで出会った一匹の猫。きっと忘れられない、いつかの素敵な思い出になる。黒猫と僕と彼女の、一夏の物語。
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