縁切りハサミ

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縁切りハサミ

 この店、繁華街の道から一本入った路地の奥にある。暗いじめっとした、雑居ビルの壁に挟まれたところに、煌煌とネオンの看板を出している。『中国雑貨 招福猫』  山口幸夫は、こういう路地裏の隠れた店を「探検」するのが好きで、それをブログに書いて「探検記」として公開している。探検はするが、入った店でなにかを買うことは滅多に無い。入った店で毎度、なにかを買っていたら大変だからだ。それに、こういう店には特に「まがい物」が多い。しかもけっこうな値段が設定してある。似たような店に入ると、ほぼ同じデザインの置物が『歴史的に価値がある』ものとして高額で売られていたりするのを見つけると、おもしろくてしかたがない。最近は、そう言う記事を書いてネットに公開すると迷惑がられてしまうので、写真などは一切断ると言う店が増えた。彼の風体から、何も買わない冷やかしと看破されて、最初から冷たくあしらわれることも多くなった。  だが、きょうは「この店、なんか、違うゾ」と彼に思わせている。おかしな、まがい物臭がない。その代わりに、なにか得たいの知れない怖さを漂わせている品物が多い。 「それは、『縁切りハサミ』だよ」  年老いた中国系の服を着た店主らしき女性は、山口幸夫がある品に顔を寄せて見つめているのを咎めてそう云った。  刃は少し短めで美しく磨かれていて、外側が少し刃先に向かって曲線を描いている。握りの部分は黒光りした金属の太いもの。けれど、どうも「刃」は付いていないようだ。刃が丸くて、つまり形だけのハサミであり、何も切れそうに無いのである。これをさっき老女の店主は、「エンキリハサミ」といった。彼は顔を上げて店主の方へ向き、 「エンキリとは、縁を切る。「あの人と縁を切る」とかの「縁」ですか?」 「ああ、そうだよ。その縁切りさ」 「これで縁が切れるんですか……」 「フフフ。触ってイイヨ。そのハサミ。持ってご覧な」  店主は静かに言う。彼は言われるままに、そのハサミを持ってみた。 「うわ、うわ、なんだ、なんだこれ!」  彼はハサミを持ったまま、自分の周りをぐるりと何度も見回した。彼の腹の辺りから、足のところから、とにかく無数の幾千という色の細い糸が出ていて、それが四方八方へと向かって伸びて行っているのが見えたからだ。 「驚いたろう?それがあんたの「縁の糸」だよ」 「縁の糸?」  ハサミを持って半ば万歳をするような格好で声をうわずらせ、彼は老女に聞き返した。 「あんた、「人は運命の赤い糸で結ばれた相手がいる」とか聞いたことがあるだろう?そういう糸は、決して「結ばれる二人」にだけあるものじゃないんだよ。良縁、悪縁、腐れ縁、奇縁、金縁。とにかくいろんな縁で人は何かと繋がっているの」 「な、なるほど……わかるような気がするナァ」 「言われると、腹にストンと落ちる話だろ?おもしろいのはね、「運命の赤い糸」だけ妙に大事がられて人の話に出てくることさ。見ればこんなにあるというのにね。それにさ「運命の赤い糸で結ばれている」っていったって、それが「いい相手」だなんて、保証は無いんだよ。「どうしようも無いろくでなし」と糸で繋がっている人だって、大勢いるのさ。それなのに、自分にとっていいと思う人だけを選んで「この人と糸が繋がっているんだ」って思おうとする。人間なんて、勝手なもんだよ」  店主はそう言って、クックと笑う。話しぶりがものなれていて、立て板に水という語り口。きっと、同じ話を何年も何度も俺のような客にしてきたのだろう。そう山口幸夫は思った。  彼はハサミを一度、元の場所に戻した。彼の体から出ていた数多の色の糸は一瞬で消えた。見えなくなったと言うべきか。彼はホッとした顔をした。それを見てまた店主の老女は、さっきと違い、フォフォっと小声で笑った。 「そのハサミ、欲しかないかい?売るよ。うちは、「店に並べて置いてるクセに売らない」なんて、ケチなことはしないんだ。並んでるものは猫の毛でも売るよ」そういって、手許の三毛猫の頭を撫でた。  山口幸夫がもう一度ハサミを見て、値段も見た。 「これはまた、いい値段ですね」 「そりゃそうさ。なんせ、使いようでは、こんないいものは無いんだから。悪い縁とわかった糸を切ってしまえるんだよ?もうあんたに無縁のものになるの。いい縁は、ずっと取っておけばいい。そういうことさ。ただ、どの糸がどういう縁か、確かめてからで無いとイケないがね」 「ううん……」  山口幸夫は「いまは手持ちの金が無い、少し待ってくれ」といい、店主は「ああいいよ」と言ってくれたので、脱兎のごとく銀行へ行き、ほとんど有り金を下ろして店に舞い戻ると、『縁切りハサミ』を買ってしまった。  店主は、一応の使い方を教えくれた。 「どの糸が何に繋がっている縁なのか、それはわからないんだよ。こんなにあるからね。あとから増えることもあるし、勝手に消えてしまう糸もあるよ。縁はそう言うものなんだ。とりあえず、見てすぐわかるのは、こういう明るい色の糸は大体みんな良縁だよ。それでこういう黒っぽい糸。どれも真っ黒じゃ無い、微妙に色合いが違う、こういうのが悪縁だね。でも、どれも、「確かにこれと繋がっている糸」と確かめるまでは切らないことをオススメするよ。下手に切ったら、二度と戻せないからね。それだけ肝に銘じておくといい。どの糸がどこに繋がっているかは、たぐっていけばわかる。簡単明瞭。まあ、最後までたぐるのに時間が掛かる糸も多いんだけどね」  山口幸夫は、ハサミを受け取ると走るようにアパートに戻った。  彼は40代独身の会社員。アパートに1人暮らし。だからこそ、このハサミに「あんな大金」を投じることが出来たと言える。それでも、これを使えば自分の力で「良縁と繋がった人生」に出来るかも知れない。とにかく「悪い縁の糸」をたぐって確かめ、切ってしまえばいいのだ。なにしろ、ヒマは腐るほどある男だった。  彼が「縁の糸」たぐって確かめる作業を始めて数日が経った。これはなかなかに大変な作業だった。数分で対象にたどり着けるときもあれば、何十キロも歩いたことがある。たどり着いた中には、親友だと思っていた男友達がいたり、行きつけの弁当屋のおばちゃんがいたりした。そのときは、糸を切るのがいいことなのか考えてしまった。 「ほんとにこれは、悪い縁のつながりなのかな」そう思った。  ところがしばらくすると、悪い縁で繋がる男友達が彼のところへ「折り入って相談があるんだ」と言って訪れ、借金を申し込んできた。それもただの額では無かった。数百万だ。きっと山口幸夫が独身で金に余裕があると踏んでいたのだろう。だが、彼も先日「ハサミ」を買うのにほとんど使ってしまっていた。親友の頼みだが、無い袖は振れない、しかたなく断った。すると今度は、金を借りるので保証人になってくれという。親友の申し出を何度もすげなく断ることに気が引けて保証人の話を引き受けてしまった。だがそのあとに後悔して、 「いや、まてよ。これこそアイツとオレ悪い縁の糸で繋がっているってことじゃないのか?」  そう思い直した。思ってしまうと、もうその考えを頭から追い出せなかった。 「これはやるしか無い。糸を切るんだ!」  そう決心して彼は親友の男と繋がる青黒い糸を手に取ると右手に握った『縁切りハサミ』の刃に掛けた。 「えいぃっ!」  気合い声とともに目をつぶってハサミの刃を交差させた。糸は音も無くスッと切れて足元に落ち、すぐに消えて無くなった。  数日後、あの親友の男が何人もの友人知人から借金をし、そのまま行方をくらましたと知った。それを聞いて、彼も青くなった。 「保証人になったのは、やっぱり失敗だったな……しかたがないか」そう思った。ところが、その男が借りた金の中に、山口幸夫が保証人の借金はただの1円も見つからなかった。 「これが、縁切りの効果か」  彼はホッとした。  そんな「実績」を目の当たりにして、もうひとつ気になる縁があった。弁当屋のおばちゃんと繋がる糸だ。これは赤黒い糸だった。いつも気のいい、笑顔の絶えないおばちゃんとオレが、なんでこんな色の糸で結ばれているのか……。腑に落ちなかった。それでも、親友の借金のこともある。何かがあるのに違いない。そう思うしか無かった。  彼は、その弁当屋をいつも仕事休みの日の昼間に利用していた。自炊は苦手だが温かいごはんを食べたい。だが、家でのんびりもしたい。それで、弁当屋で飯を買い、家に帰って撮りためた動画を見たり、ブログを書いたり、好きな映画を見たりする。そういうのが幸せだった。  ある日、ビルメンテナンスの影響で職場のあるビルが一日全面的に使えなくなる日があった。仕事は休み。平日だがいつもの休みと同じく、彼は昼前に最新の映画をレンタル店で借りてから弁当屋に寄った。いつも土曜の昼間ばかり利用していたから、平日の昼にこんなに込んでいるとは思わなかった。  店の厨房で店員同士が話している声がかすかに聞こえてくる。こっちに聞こえないと思っているのか、それとも聞こえてもいいと思っているのか……。 「やめなよ、あんた。お客さんの悪口言うの。悪いクセよ」 「少しくらいいいじゃ無い。アタシ、ああいう、いい年で独り者の男って、嫌いなのよ。弁当渡すと、ニコッと笑ったりして「ありがとう」とか、ああ、気持ち悪い」  それが、山口幸夫と糸の繋がるおばちゃんの声だった。このおばちゃん。この店の「看板おばちゃん」なのだ。年はたぶん山口幸夫より何才か上だと思うが、笑い顔がよく、話しぶりも気さくで、とても人好きのする好感の持てるタイプだった。このおばちゃんがいるから弁当を買いに来るという客もいる。だから彼も、いつも来ているのだった。  彼はこの日、このおばちゃんから最後の弁当を受け取った。このおばちゃんからはもう弁当を受け取りたくない。愛想よく笑って弁当を受け取ったりしなかった。でもおばちゃんはいつものように笑っていた。「ありがとうございます」と言った。彼が話を聞いて「自分」だと気づいているなんて思ってはいなかっただろう。  家に帰り、弁当の袋をテーブルの上に置くと、すぐに彼はハサミを取り出した。 「おばちゃんとの縁、これで終わり。さようなら」  そう自分に言い聞かすようにして糸にハサミを入れた。  彼は、おばちゃんとの縁の糸は切ったが、弁当屋の味は捨てがたく、週末、やはり昼前に店に立ち寄ってみた。パッと見たところ、あのおばちゃんの姿は無い。 「ならばいいか」彼はそう思って弁当を注文し待った。  先に弁当を注文していた年かさの男が会計でレジを打つ女性に話しかける。 「そういえば、あのおばちゃん、客の悪口言ってるのを社長に見つかってクビになったんだって?」 「ああ。スミマセン。いつも、周りでやめるように言ってたんですけどね」  女性店員は申し訳なさそうに下を向いて話す。 「オレの聞いた話じゃ、悪口どころか、気に入らねえ客の弁当に人の髪の毛入れたりしてたらしいじゃんよ」 「ああ、んん……スミマセン。社長が、訴えるとかって話になっちゃってて。そういうことはもうありませんから……」  店員は返事のしように詰まってしまった。 「しかし、人はわからねえよな。何年も店の人気のおばちゃんだった人が、そんなことしてたんだから。オレはよぉ、あんまり気にしてねえから。これからも来るよ。じゃあ」そう云うと年かさの男は笑って威勢よく店を出て行った。  山口幸夫は、なにかいたたまれない気持ちがわき上がって来た。彼も自分の注文した弁当を受け取り、アパートに帰る道々考えた。 「もしかしたらあのおばちゃんは、オレだけじゃ無い、いろんな人と赤黒い糸で繋がっていたんじゃ無いだろうか。そして、その糸がいまでも繋がったままの人がいるんじゃ無いのか」そんな気がして、ブルッと震えた。  彼の「糸切り」は続いていた。悪縁の糸は、まだまだ減らない。それでも、ハッキリ「縁を切っておいてよかった」と思える事例はいくつもあって、それはもう快感とも言えた。やめられない。  たくさんの糸があってより分けるのも大変だが、週末の昼過ぎ、温かい弁当をツマミにビールを飲んでいた彼は、腹の下のほうに、ほかの糸よりもずいぶんと太い赤と緑の捻った糸を見つけた。 「これはなんだろう。変わった糸だナァ。これはぜひ、たぐってみなくちゃイケないぞ」  そう言いながら、その糸を少し引っ張ってみた。糸を見るには『縁切りハサミ』を手に持っていなければならない。酔ってこれをやるべきでは無かった。その引っ張った太い糸がハサミの刃に掛かり、手を引いた拍子に切れてしまった。 「アッ!しまった……この糸、何と繋がる糸だったんだ?どうしよう……」彼が呻くように言うと、どこからともなく声が聞こえてきた。 「ユキオ。オマエヲ ココロカラ アイシテイタノ。ザンネンダヨ……」  それは、彼の父親と母親の声が入り混じったものだった。彼が切ってしまったのは「親子の縁」だったのだ。  山口幸夫は、これで親の無い天涯孤独の身になってしまった。 「父さん、母さん……もう会うこともないのか」  何か体の中の空洞を風が吹き抜けていく思いがして、急に変な寒さを覚えた。 「これから、良縁で暖まりたい…」  そんな気持ちになって、彼は今度は良縁をたぐって街に出るのだった。
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