第十二話 羅城門の従者⑤

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第十二話 羅城門の従者⑤

 源樹との取材が、思いの外長引き店に戻った頃には、最後の客が会計を済ませて出ていく所だった。どうやらカウンターには、雅がエプロンをして槐の手伝いをしていたようで、頼もしい。  くるみが帰ってくると、椅子に座っていた漣がトン、と地面に降りて駆け寄り、スリスリと足元にすり寄った。叔父の手前、普通の猫を演じる彼を抱き上げ、くるみは微笑んだ。  ニャッと鳴くと漣の尻尾がご機嫌に揺れる。 「茨木さん、ご苦労さまです。来てそうそうお店に出て貰って申し訳無いです。大丈夫でしたか?」 「ええ、槐さんが丁寧にフォローしてくれたので。カフェで働くのに憧れもあったから、こんな素敵なお店で働けて、私は幸せです。くるみさん宜しくお願いします」  雅はふわり、と微笑み丁寧に挨拶した。槐と漣が白々しい視線を向けている事に気付かず、くるみは嬉しくなって頬を染める。都会での生活に慣れている彼が、田舎のカフェに馴染めるか心配だったが、どうやらこのぶんだと大丈夫そうだ。 「良かった! これからのシフトとか決めたいので、奥のお部屋でお話をお伺いしてもいいかな?」 「ありがとうございます、くるみさん」  パァ、と表情が明るくなるくるみを、雅は目を細めて見た。自分が少し優しくすれば、どんな人間の女も自分に靡いた。それは魅惑の術をかける間でも無く、恋人や伴侶がいるにも関わらずだ。そうして女を喰い殺してきた雅は細く笑む。この女も同じように騙されその本性を表す。二人の会話に入るように、笑顔で槐が話しかけてくる。   「で、くるみ。取材の打ち合わせはどうだったんだ?」 「うん、来週の月曜日に来るんだって。漣さ……ちゃんの取材と、絵本見せて欲しいみたい。WEB記事だけどお店の宣伝になりそうだったよ」 「若いのに随分とやり手だったなぁ、彼。さすが、源財閥のご子息だ。しっかりしてる」  源、と聞いた瞬間に槐と雅が鋭く二人を見た。微妙に雰囲気が変わった彼等に、くるみは不思議そうに首を傾げた。 「源樹(みなもといつき)か? 東京じゃあ有名だな。この地方にも来たと小耳に挟んだが、この町だったとは」 「源一族の中で、財閥を急激に大きくした人物ですね。きな臭い噂も多いようですけれど」  二人の反応に戸惑いながら、叔父はとりあえず本業の仕事がまだ終わっていないので、帰ると告げた。妙な違和感に胸騒ぎを覚えつつ、くるみは雅と共に奥の居間へと向かった。  店が閉まり、漣は人の姿になるとカウンターに座って槐に言った。二又の尻尾をゆらゆらと動かして不貞腐れたように彼を見上げる。 「ねぇ、あの雅とかいう鬼なんなの? 槐の舎弟(しゃてい)?? またお爺ちゃん増えちゃった」 「まぁ、そんな所であろうな。俺の家来でもあり……家族みたいなものよ。お前みたいなガキにはどんな鬼も(じじい)だろうが」  槐はグラスを拭いて直すと、そう言った。そしてコーヒーカップに猫用ミルクを注ぐ。どうやらこれが漣の『忘れられない(オフクロ)の味』であるらしい。一日の労働の後にこれを飲まないと元気が出ないと言う。嬉しそうにそれを一口飲むと、先程の会話を思い出したようなカウンターに身を乗り出してきた。 「それで、槐……。源一族ってなに? 名前だけは聞いた事ある……」 「は? 全くこれだから最近の(ガキ)は危機感が無くて困るのう。先祖は源頼光(みなもとのよりみつ)、鬼を狩る一族よ。頼朝とは遠縁だが、上手く生き残って今も鬼狩りを家業にしておる。今は表向きは父親が会社を経営しているようだが、家業の方は息子が総括してるようだな」 「鬼なんて今の世の中じゃ誰も信じないし数も少ないよ。確かに人を喰らう者もいるけど、人間だって他の生き物を食べるでしょ。それに人間のほうが強いのに、変なの」  漣はふーん、と生返事をした。その樹が店に来ると言うのに危機感が無いのは、都会とは違い田舎では鬼を狩る者がいなかったからだ。漣が、生まれて百年も経たない子供である事も関係してるかも知れない。  溜息を付くと、槐は漣の頭をポンポン撫でた。 「なに?」 「全く、お前らは揃いも揃って俺の仕事を増やしてくれるのう。このカフェはくるみが大事に思っている場所だ。お前の事も大事にしてる。そんな場所を、あいつ等の好きなようにはさせんぞ」  雅が言うように、樹のきな臭い噂は鬼達の間で広まっていた。鬼を狩るだけならまだしも、利用していると言う噂まである。猫又は面倒な存在だが、小鬼を犠牲には出来ない。 ✤✤✤  居間にある炬燵机の上で、くるみは雅と話をしていた。叔父から契約の同意などは事前に説明を受けていると言うことだったので、シフトについて聞いた。 「私は、いくらでもシフトに入れますよ。暇を持て余していますから。出来れば頼りになる槐さんにお仕事を教えて頂きたいのですが、店長代理のくるみさんに……つきっきりで美味しい珈琲の淹れ方を習いたいです」  雅は、そう言うと微笑んだ。物腰の柔らかい中性的な彼は、さぞかしお客さんの心を掴んだだろうとくるみは思った。槐もきちんと後輩に仕事を教えているようで嬉しくなってしまう。  槐の良い所は、店の仕事も真剣にしてくれるところだ。吸血鬼ならば、自分を常夜に攫ってしまえばそれで良い筈なのに、カフェで働く事も絵本を描く事も、楽しそうに見守ってくれている。 「そう、それじゃあ……最初の3日位、私と同じシフトにしましょう。茨木さんがこのカフェで働いて幸せを感じられるように、スタッフ一同でサポートしますね。分からない所や、改善したい所があれば、どんどん私や槐、叔父さんに言ってね。それから、同い年だしそんなに畏まらなくていいよ」  くるみはにっこりと微笑んだ。  雅は少し面食らったように目を見開く。たいてい共に過ごしたいと甘く囁やけば、女は頬を赤らめてはにかむ。だが、くるみは全く動じずそれどころか気にも止めずに受け流したからだ。 (――――この女は鈍感なのか?) 「この口調は癖みたいなものなので、でもありがとうございます。……凄くプライベートな事を聞いて申し訳無いんですが、くるみさんって、槐さんとお付き合いされているんですか?」  苛立ちを覚えた雅は、さらに揺さぶりをかけるように言った。くるみは突然の質問に真っ赤になった。その、くるみがわかりやすい反応をすると、くすくすと雅は笑みを零した。 「えっ、そう見える?? その、私と槐は従兄妹だから仲良く見えるのかも……」 「ああ、そう言えば秋本さんがここに来る道中に言ってましたね。でも従兄妹でも恋人にはなれるから……。すみません、不躾(ぶしつけ)に質問しちゃって。もしかしたら私にもチャンスがあるのかな、って思ってしまったから」  そう、熱っぽく黒い瞳を潤ませると雅はそっとくるみの指先に触れた。突然の事でくるみは目を丸くさせ、彼を見ると頬を染めて指を引っ込めた。その仕草に雅は内心笑みを零す。  このまま口説き落とせば、この女が朱点童子に相応しくない、ただの餌だと示す事が出来る。  源一族が、この土地に足を踏み入れる前に小娘と、朱点童子と引き離し別の場所に移動して御守りする事が役目だ。  二度と、時のように妖刀鬼切安綱(オニキリヤスツナ)に斬られる主を見たくない。 「あの……茨木くん、こう言うのは職場で良くないよ。私も好きな人はいるから、ごめんね。きっと茨木くんなら格好いいし、この土地でも良い出逢いがあると思うよ」  だが、くるみの答えは雅の予想に反するものだった。申し訳無さそうにしながら注意する姿に目を見開く。あの様子からして、朱点童子に行為を持っているのは明白だ。とはいえ、言い寄られて断る女が居なかっただけに雅は驚愕する。この女、なかなか手強い。如何(いかが)したものか、と心の中で舌打ちすると顔には出さずに申し訳無さそうに肩を竦めた。 「一方的にすみません。どうしちゃったんだろ頭を冷やさなくちゃな。シフトの相談も終わったし、そろそろ私は帰りますね」  雅が立ち上がると、くるみは思わず、あっと声を上げて引き止めた。 「あの、茨木くんの歓迎会しようと思って食材買ってきたんだけど、もし用事が無いなら皆で夜ご飯食べない? 皆って言っても私と槐と漣ちゃん一匹だけど!」  立ち上がったまま『何を呑気な事を言ってるんだこの女は』と言う眼差しを向けた。不意に気配がして、猫又を抱いた槐が入ってきた。そしてくるみの頭を撫でる。   「くるみがこう言ってるんだ。ゆっくりしていけよ、茨木。親睦会で絆を深めよう」  賛同するように『ミャア』と漣が鳴くと、雅は渋々頷いた。
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