第十三話 歓迎会の後で

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第十三話 歓迎会の後で

 歓迎会も、遠慮がちに参加していた雅だったがアルコールが入っても、表情一つ変えずに和やかに会話を続けた。  殆ど自分の事は話さないが、まるで旧知の仲のように槐と話に花を咲かせていた。くるみも同じく、この辺りの隠れたスポットや駅近くの美味しい飲食店などの情報を教えてあげたり、同年代ならではの共通の話題をふってみたりとあれこれコミュニケーションを図った。  雅は、同年代の異性に比べると随分と落ち着いていて先程の、口説きは気の迷いなのだろうかと思うくらいだ。 「それじゃあ、今はこのカフェをモデルにして絵本を描かれているんですか。私も見てみたいな」 「うん、と言ってもストーリーはまだ練ってなくて、なんと無く落書きみたいに描いてたものなんだけど、気に入っちゃったんだ」  くるみは、そう言うと自室から雅にイラストを見せた。柔らかな色彩のもので可愛らしい絵柄だ。そこで働く従業員や客の中には鬼らしき者が混じっている。誰も彼等を恐れたり、店から追い立てるような描写はない。  雅は目を細め、無言で水彩画を見つめていたが不意に彼女に問い掛けた。 「――――鬼が居ますね。珍しいな……鬼と人は敵対するものでしょう。人は鬼を恐れるし、鬼は人を喰います。だから桃太郎の鬼退治だとか、金太郎が、主君に仕えて朱点童子を退治した話なんてものが好まれる」 「そうだね、でも……私は泣いた赤鬼のお話しが好きなんだ。私は怖い鬼ばっかりじゃないと思う。人間だって生きる為に植物や動物を食べるんだから……上手く言えないけど、違う種族や人達が共存できる場所があったらいいなって思って描いたんだ」  くるみは、言葉にして初めて自分が描きたいものが形になったような気がした。  槐に最初に出逢った時は恐怖を感じたけれど、強く惹かれたのは事実だ。初めは血を吸う槐を怖いと感じた事もあったが今は違う。  そして猫叉という妖怪(おに)の漣に出逢って、彼の心に触れると鬼には人との深い繋がりを持っているんだと言う事が分かった。  雅はくるみを見つめて探るように黙り込んだ。 「…………」 「人間と鬼の共存ねぇ。くるみは、昔から甘ちゃんなんだよ……茨木。だけど俺はくるみの描くこの世界観が好きでな。人と妖怪(おに)が仲良くしてる『もののけカフェ』なんて面白いだろ」  槐が、そう言って笑うと雅は黙ったまま何かを考えているようだった。この絵の中には明らかに槐がモデルと思われるような人物に、猫がいる。雅からすれば絵本なんて、子供の落書きのようにも思える稚拙(ちせつ)なものだが、不思議と穏やかな気持ちになった。 「茨木くんもここに書き足しておくね。貴方もこのカフェの一員だもん」 「――――私もですか?」  雅は、驚いたように目を見開く。自分が辞めたらどうするだと言う突っ込みを入れてやりたくなったが、満面の笑みで空蝉の姫は頷いていた。なんだか、このマイペースな人間の娘をまともに相手をするだけこちらが疲れるような気がする。  後々、この絵本に雅が登場すると言うくるみに、槐は笑いを噛み殺して自分を見ているので、呆れたように深い溜息を付いた。 「――――はぁ、もうご自由になさって下さい。 この辺りに引っ越しして荷物の整理もまだですから、私はそろそろ帰りますね」 「え、そうなんだ! ごめんね……この近くって言っても歩いたら15分はかかるものね。また明日もよろしくお願いします」  つい最近、新しいマンションがこの辺りに建ちだした。と言っても都会には及ばないが徐々に開発が進んでいるのだろう。ながらく空き地だった場所や廃屋、古いアパートなど源財閥が土地を買い取って開発しているという噂は聞いたことがあった。  既に、漣は大きな欠伸をするとへそ天状態で伸びをして眠り始めている。玄関先でくるみが手を振りながら新人を見送ると、雅は迷惑そうに苦笑しながら手を降り、暗い夜道へと消えていった。 ✤✤✤  くるみが満足したように振り返ると、槐が手を差し伸べていた。軽く酔いが回っている事もあって、くるみは彼の手を取る。  ぎゅっと手を握りながら店へと入ると、まるで恋人同士みたいに指を絡ませて鼓動が早くなってくるのを感じた。  自然に触れ合う事に、嫌悪や抵抗を感じず、むしろ安心感を覚えてしまう。槐の大きな手の温もりは心地よくて、長い指が絡まっている密着した部分を、変に意識してしまって顔が熱い。 「全く、長い一日だったのう。はよう、二人きりになりたかったわ。今日はとてつもなく頑張ったんだからくるみに甘えたい」 「もう、仕方ないなぁ……今日だけだよ」  人間から鬼の姿に変わった槐を見ると、くるみは微笑んだ。  午後から雅と二人でこの店を回してくれていたのだから、甘えたいと言う願いを叶えてやっても良いだろう。とはいえ、居間の方には漣が熟睡しているので邪魔をしたくない。  お店の灯りをつけると、ソファーで寛げるスペースにくるみが座り、槐が寝転がると膝枕をしてやった。  黒と群青の夜明けの空のような色をした流れるような長髪も、白んだ月のような鬼の瞳も綺麗だ。人には無い二本の角をついつい触ってしまいたくなるが、それは我慢する。 「なんだ、くるみ。お前も疲れたか? 俺が後で膝枕してやろう」 「う、ううん……私は良いよ。茨木くんとこれから仲良くやっていきそうだね、槐の事を気に入ってるみたいだし、テキパキしてるから安心してお仕事頼めそう」 「ま、茨木は頭は硬の硬い奴だが根は真面目で、愚かではない。主君を取られたと思って意地を張っているだけだ、直ぐに俺の空蝉の姫の良さに気付くだろう」  くるみは、頭の中で沢山のはてなマークが浮かんだ。初めて会ったにしては親しく話していたような気はしていたが、まさかと言う思い出問い掛ける。 「もしかして、茨木くんって……鬼なの?」 「なんだ、もうとっくの昔に気付いてると思っていたがのう。マイペースなくるみらしいな。あいつは俺の家来で、俺が空蝉の姫に(うつつ)を抜かしておるのが気に入らんのだ」  あっけらかんと白状する槐に、くるみは目を見開いた。どれだけこの辺りに鬼がいると言うのか。だから、雅はあの絵を見た時にあんな反応をしたのだろうか。  あまりに日常的に鬼と遭遇するので、くるみは目眩を覚えてしまった。 「ね、ねぇ……あの時、私を押したのは茨木くんなの? というか茨木って、茨木童子のこと? その主君って、まさか朱点童子?」 「そうだ、ようやく俺の正体にも気付いたのか? お前は長い間、俺の事を夢物語と片付けていたが、きちんとここに存在しているぞ」  この辺りで有名な鬼と言えば、観光名物にもなっている朱点童子だ。さすがにお伽噺と思っていたのに、思わずえーーっと叫びそうになって、槐に口を塞がれた。  もう頭痛がしてしまいそうな展開だ。だが、伝説では頼光(らいこう)四天王に倒されて首を斬られたと言う事になっている。そして茨木童子は、四天王の一人渡辺綱(わたなべのつな)に追われた後腕を切り落とされ、綱の乳母に化けた茨木童子は、斬られた腕を奪還して逃亡した事になっている。 「でも……伝説では死んだ事になっているよね」 「首を斬られたと言うのは間違いだ。俺は頼光(らいこう)の持つ、妖刀童子切安綱(どうじぎりやすつな)で瀕死になり、俺を背負って茨木が命からがら逃げたんだ。  自分も重症だったが、雅……あいつにとって俺は、主君であり実の父や兄と変わらないからな」  生まれ持って不思議な能力を持っていた雅は、鬼として生みの親や村人達に迫害され捨てられて恨みの中鬼に変わりゆく途中に、槐に拾われたのだと言う。  そんな、話を聞けば殺されかけた事は許せないが同情してしまう。くるみも母親に受け入れられず、拒否されて苦しむ気持ちも分からなくはない。 「それって……ヤキモチ? ツンツンしてる所もあるけど案外可愛いのかな」 「のう、くるみ。自分を殺しかけた鬼に対して可愛いとは笑えるぞ。――――俺が特定の女を傍に置くのが、あいつは気に食わないのだろう。命を絶つ瞬間に立ち会うばかりだったからな」  不意に、槐の指先が伸びてきて頬を撫でられると槐と見つめ合って頬を染めた。恋に傷付いた女性達に死ぬ瞬間に儚い夢を見せる。そして見返りに血を(すす)る彼が、生きている人間を傍に置く事が、信じられないと言う事だろうか。 「私は空蝉の姫だけど、槐は……ただの私だったら好きでいられる? 嫁って簡単に言うけど、空蝉の姫だから、イコール無条件でお嫁さんっていう感覚なの?」  目を逸らしながら、くるみは言った。  なんだかとても面倒くさい事を言っていると言う自覚はある。  なんだかわからない称号を生まれた瞬間から持っているのだから、無条件で槐の運命の相手なんだ、で納得すれば良いだけなのは分かっている。  なのに、空蝉の姫だから運命の人とか、嫁だ、なんて考えると不安になってしまうのは、紛れもなく槐の事が好きで、ある日突然その称号が消滅してしまう事を恐れていたからだ。 「ようやく素直になったようだな、くるみ。確かに空蝉の姫は鬼にとっては特別。だがお前自身は普通の人間だ。しかしの、お前の笑顔は俺の心を温かくする。  お前の傍にいると……人間だった時でも見えなかった世界が見えてくる。俺を飽きさせない不思議な女だ」  不意に槐がくるみの首に手を回すと引き寄せた。唇が重なるか否かで槐は低く囁く。 「くるみ、俺はお前に恋い焦がれてる……お前はどうなんだ?」 「……っ、私も認めるよ。朱点童子(おに)だったとしても人だったとしても関係なく、槐が好き」  フッ、と槐が一瞬笑うと互いの唇が重なった。優しくゆっくりとした口付けを繰り返し頭を撫でられると心地良い。  人間と生きる時間や世界が異なる鬼と、真剣に恋をして未来が一体どうなるかは、くるみにも良く分からない。けれど今はこの心地よい感情に包まれていたかった。 「槐、私の血を吸ってもいいよ。牙が出てる」 「しょうがないのう。くるみがあんまり可愛いから、無意識に牙が伸びてしまったようだ。月に一度と決めていたが、少しだけ喉を潤わせてもらおうか」  体勢を起こし、槐の太腿を跨ぐようにして座ると腰を抱き寄せられ首筋を舐められた。  ピクン、と打ち震えた瞬間に針で刺すような一瞬の痛みと吐息を乱れる程の吸血の心地良さを感じた。槐の背中にぎゅっと抱きつくと頭を何度も撫でられ甘く痺れるような時間が過ぎるのを待った。
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