第十四話 かくれんぼ①

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第十四話 かくれんぼ①

 満月が登る屋根の上で、黒い影が膝を抱えて首を傾げていた。ゆらゆらと蛇の頭を持つ尻尾を振りながら、男はにっこりと笑った。  ダボダボの黒いシャツにズボン、そして首には鎖のような首輪が二重に絡みついていた。 「な〜〜るほど〜〜〜、あれが、うつせみの、ひめ、なんだ〜〜〜。可愛いな〜〜〜〜。でも、ここには、鬼が、いっぱいいるから〜〜〜樹さまに、知らせないと〜〜〜」  間の抜けたゆっくりとした口調で、二人の様子を見ていた褐色の肌の青年はそのまま、ニコニコしながら立ち上がり、煙のように消えていった。  ――――翌日。    居住区の座敷机には、朝早くから呼び出された仏頂面の雅が座っている。彼と対面するように右に緊張した様子で正座をするくるみ、左には、腕を組んだまま、雅をニヤニヤ見つめる槐が座っていた。  すっかり、猫の姿が板に付いてしまった漣はくるみに体を擦りつけながら甘えている。  本人曰く『やはりこちらの姿のほうが気楽でいいし、人間に喉を撫でられるのがめちゃくちゃ気持ちいい』と言う事だった。  もちろん、くるみやカフェに危険が迫れば人化して戦うといっていたが、普段ソファーでへそ天している姿を見ると、警戒心はゼロのように思えてしまう。 「で、朱点童子様は……あっさりと私の正体をその人間の娘に話した訳ですか? なんと愚かな……やはり、空蝉の姫は我々にとって恐ろしい存在です」  ピキピキピキ、と血管が浮き出ている雅にくるみは青褪める。人間の姿を保っているもののすぐにでも鬼の角が出てきそうだ。  あれから、くるみは雅が茨木童子だという事以外に、槐から率いていた鬼や、源家についても話を聞いた。 「うむ。伴侶となるくるみに隠し事をするつもりは無いのでな。まぁ、そう怒るな茨木……お前が空蝉の姫に、昔から懐疑的なのは知っておるが、きちんと心から接すれば、その有難みがわかる」 「まだ祝言も上げて無いでしょうが! 全く……仕方ないですね、猫又や、その娘と慣れ合うつもりはありませんが、源樹が現れたからには、貴方を命を張ってお守りするのが家来の役目です。ここを去らないと言うならば、致し方ない、この店で護衛するのみです」  豪華に笑う主君に、雅は思わず怒りが爆発して、ついに銀髪の髪をきっちりと結った眉目秀麗という真の(すがた)があらわになる。  黒の紋付袴を着こなした彼は、その美貌で女を誘い、食い殺すと槐は言っていたが、それも納得いくような容姿だ。  人間を食い殺すと言う事には、恐怖は感じるものの、何故か彼を嫌いになれない。それは人と違うという事で、母親に捨てられた過去の話を聞いてしまった為だろうか。 「わ、私は……茨木くんとも仲良くしたいな」 「何を馬鹿な事を言う。人間の女など、虫唾(むしず)が走る……私にとっては餌だ」  くるみが、恐る恐る雅に言うと、突き刺さるような視線で見つめられ冷たく切り捨てられた。まだまだ仲良くなるのに時間が掛かりそうだと、くるみは頬を掻いて苦笑いした。 「やれやれ。鬼の女相手でも物怖じする癖にのう」 「なっ……! 私の事はもう良いでしょう。今は源一門をどうするかですっ!」  雅の顔が紅くなったのは、どうやら彼は女性と恋仲に落ちた事もなく、経験も無いせいだと、余計な情報までくるみは聞かされたが、同じ種族である鬼女に対しても、苦手意識があるようだ。  話をそらすように、源一門の事を話題に出すと、それまで黙っていた漣がくるみの膝の上に座り、座敷机に両手を置いてぐぐっと身を乗り出すと話し始めた。  威嚇するようなイカ耳と鋭い目で、漣は雅に言う。 「くるみに何かしたら、俺が噛み付くからな爺ちゃん二号。  源樹が、この店に取材にくるまでに何とかしないと……あいつらは、鬼の正体を見破れる特殊な能力を持ってるんでしょ」  槐の正体が朱点童子だと知った時から、くるみにも引っ掛かっていた事があった。小さい頃祖父母から良く聞かされていた、朱点童子の討伐の話だ。  源頼光(みなもとのよりみつ)を頭とした四天王、渡辺綱(わたなべのつな)坂田金時(さかたきんとき)卜部季武(うらべのすえたけ)碓井貞光(うすいさだみつ)で、朱点童子の率いていた鬼達を討伐した。  話はここで終わりでは無く、源頼光と四天王達は、それ以降も様々な鬼を討伐する逸話(いつわ)がある。  彼らは全員鬼を見破れる力があったとして、樹以外の英雄と呼ばれた子孫は、どうなのだろう。  この現代で、いまだ子孫が鬼殺しを家業にしているのならば、仕留め損ねた朱点童子や茨木童子が今だ生きていると知った時、何が何でも息の根を止めるのが、一族の名誉挽回(めいよばんかい)となってしまいそうで怖い。  彼らがこの地に残らなかったのも、二人が死んで、大方鬼を殲滅する事が出来た、と思っていたからではないだろうか?  槐はそこまで語らなかったが、死んだと思われる程の重症だったのだろう。 「こうなれば、やはり鬼の残党を集めて源に報いましょう、朱点童子様。迎え撃ちましょう、鬼の天下を取り戻すのです」 「――――あのな、茨木。俺はもう、源一門とやり合うつもりはないぞ。驕れる者久しからずだ、俺も源樹もな。  俺はくるみを愛で、のんびりと人に茶を出す……この生活が気に入っているのでな。  だからこそ、この場所を潰そうとしたり、くるみに危害を加えるようなら、これまでとは違う方法で対処せねばならんぞ」 「何を悠長な……源樹はそれを許すような甘い男ではないですぞ」  一度敗北を味わい、悟りを開いたような槐だったが、くるみとこの憩いの場所のためなら、全面戦争とはいかずとも何か対策をしなければならないと考えているようだった。  くるみは、暫く黙り込んでいたが口を開いた。 「槐と茨木くんは、取材中お店に来なくていいよ。出来るだけ離れていて……、Cafe『妖』は私と叔父さんだけでシフト回してる事にするの。その一日だけ、叔父さんに槐はずっと海外に留学してるっていう記憶を変えるのはどう? できる?」  取材をキャンセルする事も考えたが、かえって樹に怪しまれるのでは無いか、という不安がよぎった。平常通り取材を受ける事で、この店や周囲には鬼が居ないという事を思い込ませ、お引取願うのが一番だ。 「そんな事は簡単だが……しかしのう、漣はどうする? こいつ目当てで取材に来るのだぞ、くるみ。猫又も妖怪(おに)なんだから、斬られるぞ。それに俺は、くるみが心配だ」 「ふむ……よもや、人間に危害を加えれば、人間の法律とやらで役人が動きましょう。朱点童子様がひとまずこの場から離れられるのなら、私は賛成です」  くるみは、ふと思いついたように手を叩いた。 「…………私は叔父さんがいるから大丈夫だよ。いくらなんでも、人には危害を加えないと思うし……漣ちゃんの事はいい考えがあるの」   ✤✤✤  取材当日、このあたりでは目を引くようなベントレーに乗った源樹が、助手の男性とともに店に入ってきた。  高級スーツに、高級時計、品のある立ち振る舞いからしても鬼を狩るような、非現実的な職業を生業(なりわい)としているようには思えないが、くるみは少し緊張したような面持ちで彼に頭を下げた。  助手の渡辺恭介と名乗る男から、叔父が名刺を受け取る。随分と体格の良い男性で、格闘家のようにも見えなくもない。 「休日にお時間取らせて、申し訳ありませんね秋本さん、神代さん」 「いえいえ、こちらこそお忙しいのに予定を合わせて貰ってすみません」 「今日は、宜しくお願いします」  渡辺が、樹の荷物からカメラを取ると首にかけた。くるみは珈琲を四人分淹れながら、テーブル席に座った三人を見る  源樹は穏やかにパソコンを開きながら、叔父に微笑みかけており、渡辺のほうは真剣な眼差しで店を見渡しているようだった。 「お待たせしました、『妖』の自家焙煎のコーヒーです。源さんはブラック、渡辺さんはラテですね。はい、叔父さんはカプチーノ」  ご近所の陶芸家が開いているショップで買ったお洒落なコーヒーカップから漂うコーヒーの香りに、樹は目を細めて口にした。  隣の渡辺がコーヒーを写真に写した。 「うーん、美味しいですね。この地域のカフェの中でも指折りに入るお味です」 「いやぁ、光栄ですねぇ。僕に負けず劣らず姪が上手なので助かっていますよ」 「これだけ珈琲が美味しい上に、猫ちゃんがいるとなると、お客さんも沢山いらっしゃるでしょう。お二人では大変ではないですか?」  眼鏡を押さえ、鋭い質問をする樹に叔父よりも先に、くるみはこの日の為に練習してきた答えを伝える。 「私は東京でカフェのチェーン店に努めてたので、こちらのほうが楽です。それに留学中の従兄弟も、もうすぐ帰ってきて手伝ってくれるので」 「それなら、安心ですね」  カチャ、と珈琲のカップを置くと早速取材が始まる。珈琲のこと、お店の事、そしてくるみの絵本に関しても質問が及んだ。  樹に変わった様子も無く、くるみは少し体の緊張を解すように息を吐いた。 「ふふ、神代さんそんなに緊張しなくても、大丈夫ですよ。記事を書く為に録音はしていますが、そのまま流す訳ではないので。  ところで、漣ちゃんはどこでしょう……猫ちゃんはやっぱり気まぐれなのかな?」  学生時代から、接客業で働いていたので表情を読まれないようにするのは得意なはずだったが、樹は見透かすように笑いかけてきたので背中に冷や汗をかいた。  眼鏡の奥の黒い瞳は笑っていて、好意的に見えるが雅から彼の悪評を聞いているだけに、薄気味悪いものを感じた。 「しゅ、取材なんて初めてなので……。もしかしたら居間で寝てるのかな?」  くるみは、慌てて立ち上がると部屋へと入って猫を抱き上げた。大人しくくるみに抱かれながら出てきた猫は、白いソックスが可愛らしいハチワレの猫だった。  赤い首輪が良く似合う美人なメス猫だ。 「ミャウー」 「あ、レンちゃんごめんねー、寝てたの起こしたねぇ」  叔父さんがデレデレした様子で、猫を見ている。  それとは対象的にくるみに抱かれた猫を、樹はまるで正体を探るように真顔で凝視した。同じく、渡辺もハチワレ猫を凝視するが、無言のままちらりと困惑するように、隣に座る樹に視線を向けた。
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