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第十五話 かくれんぼ②
ハチワレの雌猫『レンちゃん』は実は保護猫を引き取ってきた。もともと、猫好きの叔父が再び我が家に迎えたいと言っていた事もあって、槐に後押しをして貰った。
そこで、偽装する為にレンと名付けて貰うように暗示をかける。
叔父には命名権を剥奪してしまって申し訳無いが、源樹の目を眩ませるためだ。
猫好きの叔父なら、保護猫を大事にしてくれるだろう。
万が一、WEB記事に出されてそれを見たお客さんにはもう一匹増えたと言えば良い。なんなら一緒に連れてきても良いのだから、とくるみは思った。
「おや、美人さんですね。白いソックスを履いているみたいで可愛いらしい。お客さんも通い詰めたくなりそうです」
樹は、困惑する渡辺の視線を無視すると動揺する事なく、くるみと叔父ににこやかに話し掛けた。彼の笑顔からは本心は全く読み取れないが、妖怪の気配を消す事に徹底したので、彼をやり過ごせているとくるみは確信していた。
「最後に、レンちゃんのお写真と皆の集合写真を撮りましょう。渡辺、カメラ」
これでようやく最後だと思うと、くるみの肩は安堵するように力が抜けて下がった。渡辺は樹に命令されるまま、ハチワレのレンの自由気ままな様子を何枚か写真に収め、二人と一匹の仲睦まじい集合写真を撮った。
あまり、写真を撮られる事が好きではないくるみだったが、この時ばかりは絵本の宣伝と自分に言い聞かせ、また取り繕う為に満面の笑みを浮かべた。
「神代さん、お店の前で一枚撮らせて貰っても良いですか?」
「あ、はい」
看板娘のくるみちゃんの特権だなぁ、と叔父は何故か、個人撮影を羨むとハチワレのレンと共に店のソファーで三人を見送る。
休店日と言う事もあり、店に続く森の小道には誰一人通行人はいない。季節の変わり目で涼しくなった風を感じながら、看板の前に立たされたくるみは落ち着かない気持ちでいた。
渡辺がカメラを構えた瞬間、樹が制するとこたらに向って歩み寄ってくる。
「ああ、神代さん……すみません、ゴミが」
そう言ってにこやかに肩に手を置くと不意に源樹が顔を寄せ、耳元で囁いた。
「――――全部お見通しですよ、神代さん」
その瞬間、くるみは頭から冷水を浴びせられたように背筋が寒くなり恐怖で彼の顔を凝視してしまった。眼鏡の奥に見える黒い瞳はにこやかで、それが更に恐怖を煽る。
クスクス笑いながら、樹は胸ポケットからごく親しい人にのみ渡す、プライベート用のアドレスを書いた紙を手渡した。
「いつでもご相談に乗りますよ。貴方の知らない事も私どもは先祖代々、引き継いでおりますので、全力でサポートさせて頂きます。神代さんも空蝉姫の事は知りたいでしょう?」
心臓が痛い程に鼓動を打っている。
とりあえずくるみなそれを受け取ると顔を上げた瞬間に、渡辺が写真を撮った。
そして何事も無かったかのように、店に戻ると叔父と二人で取材をして貰った礼をすると見送る。その間も、くるみの頭の中では先程の樹の言葉が無限にループをしていた。
(どうして、わかったの?)
皆にこの事を話すか、樹に手を引くように強く言うべきかくるみは悩んだ。特に被害にあってもいないのに、警察に相談など出来はしないし、一体何を話せばいいのかも悩む。
誰を頼って良いのかも不明だ。
だが、表面的に優しくても、彼がいかに偽善的な人間なのかを理解したくるみは強く心に誓った。
(槐も、茨木くんも、漣ちゃんも守らなくちゃ。この場所はお客さんにとっても鬼にとっても、憩いの場所なんだから誰か欠けても絶対だめ!)
✤✤✤
ベントレーに乗り込んた渡辺は助手席に座りながら、上司である樹の顔色を伺うようにチラチラと見ていた。
「樹様、あの店には妖怪の気配もなく、飼われている猫もごく普通の生体でしたが……神代くるみは、空蝉の姫では無くたまたま術に掛かりにくいタイプの、人間だったのではないですか?」
その言葉に、樹は鼻で笑うと田舎町を走り抜けながら言った。
「俺が探りを入れていた事を事前に知られていたようだな。神代くるみは機転は利くが交渉術は並の下だ。カマを掛ければ直ぐにボロが出る」
「しかし……空蝉姫にとっても、鬼はそれなりに厄介な存在でしょう。付け狙われ時には命の危険もあるというのに」
「――――鵺」
渡辺の疑問に答えるように、樹が鵺の名前を呼ぶと首に鎖を巻かれた青年が後部座席にゆらりと現れる。
ニコニコしながら、運転席と助手席から顔を出す。
「くるみちゃんはね〜〜〜〜、とってもとっても〜〜〜可愛いうつせみの姫だから、皆に〜〜〜〜愛されてるんだ〜〜〜〜。あのかふぇには〜〜〜〜鬼が、えっとぉ、三匹いたよ〜〜〜〜。その一人が恋人みたい〜〜〜〜」
のんびり、ヘラヘラ笑いながら答える鵺に渡辺はイライラしたように遮った。
「鬼と恋人だと、まぁ、文献によれば拐かされてそのまま嫁になった娘もいると書かれていたな。で、一体その鬼は何者なんだ?」
「う〜〜〜〜ん、えっとね……見たことある気が〜〜〜〜えっと〜〜〜〜僕も長いこと生きてるから、記憶が〜〜〜〜」
後部座席で、三角座りしながら首を傾げる鵺に蛇の尻尾がまるで意思を持っているかのように彼の頭をよしよしと撫でた。
その様子をバックミラーで見ていた樹は、軽く溜息を付きながら言った。
「とにかく、神代くるみと関係を持っている鬼は古い鬼のようだ。古ければ古いほど、鬼の妖力は強くなる……そんな奴を源財閥で使わない手は無いだろ。
地上げのような仕事は、雑魚に任せておけばいいが、企業相手には古い鬼の妖力が役に立つ」
源樹は目に見えない力で合法的に個人やライバル会社に圧力をかける事で利益を得て、今までいくつかを潰してきた。そのやり方に反対する親戚や頼光四天王の一族もいたが、結局彼の手腕に誰もが口を閉じた。
親戚はこの不況の時代に利益を得て財を成し、卜部季武、碓井貞光の子孫は源の力を恐れ反対をしない代わりに、彼の元から去っていった。
「なるほど、さすが樹様。坂田も東京からこちらに呼びましょうか。樹様ならば童子切安綱で直ぐに息の根を止めてしまえるでしょうが……古い鬼ともなると、生きたまま捕獲するには人手がいりそうです」
「坂田は、すでにこちらに向かってる。だが、神代くるみを捕えれば手間をかける事もなさそうだがな。
まずは、神代くるみの信頼を得る事が先だ」
樹は、あくまで源氏としてサポートするという形でくるみに持ち掛けた。自分の存在も鬼の事も気になるだろう。
お前が知らない事を知っている、と言われて気にならない人間はそう多くはない。鬼と関係しているのだから、源氏とも彼女はもう無関係ではない。
「古い時代の鬼との間に子供でもいれば価値はもっと上がるが、複数の鬼を従えられるならば、一族の者に空蝉の姫の血が混った方が一族は安泰だ」
「ずっと独身を貫いておられたのに、神代くるみとご結婚される決意を固めたのですか」
渡辺が、冗談混じりに樹に問いかけると笑いながら言った。
「親父は俺に見合いさせる気満々だぞ。源家を継ぐ子にはそれなりの家柄が必要だからな……くるみには、一族を支える異母兄弟を産ませるだけだ。まぁ、それなりのマンションは買ってやるよ」
鵺、と呼ばれて膝を抱えていた青年がゆっくりとミラー越しに樹を見つめた。
「くるみの監視を続けろ。鬼の名前を思い出せたらきちんと俺に報告しろよ」
「はぁい〜〜〜行ってきまぁす!」
のんびりと返事をすると、背後に彼の『常夜』が現れる。真夜中の月に屋根しかいないその世界には、ヒュー、ヒューという物悲しい声が響いていた。
かつて平安時代に、貴族や帝に鵺の鳴き声とされ恐れられていたトリツグミの鳴き声だ。飲み込まれるように姿を消すと、渡辺が溜息を付いた。
「――――鵺が、ミイラ取りのミイラにならなければ良いのですがね」
「あいつは、小さい頃に頼光に捕まった妖怪だ。帝の屋根の上で鳴いていた雌の鵺の腹の下に隠れていた。そして育てられ手懐けられたのだから、裏切りようがない。
あの鎖が絡まっている限り、永遠に源家に忠誠を尽くすようになっている」
渡辺は、鵺の常夜を見たのは初めてだった。どういった理由かわからないが、鬼達の常夜は彼等の内面を表してる。
――――忘れられない場所、物、記憶の欠片。
人間だった頃に抱いた強いトラウマや、大切にしていた思い出の土地などが、彼等のセーフティスペースとなって作られている。
鵺は恐らく、母親との思い出の場所が常夜になっていた。母親との思い出の場所であり、母親を失った場所でもあるのだろう。
「メールが来れば、その時から作戦開始だ」
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