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第十六話 夜を駆ける者①
それから数日後、くるみ宛にWEB記事が投稿された事を知らせる告知メールが届いた。文面には、サイトのアドレスと「お洒落な地方カフェに行こう!」と言う見出しの記事のURLが貼られていた。
そして文面の最後には、なにか不備がありましたらお気楽にメール下さいと言う、樹の個人的な言葉も添えられていた。
くるみはスマホをしまうと、ため息をつく。
WEB記事は良く取材されていて、何も不審な所は無く完璧な宣伝になっている。
源樹のプライベートな連絡先を渡されてから、彼の方からはなんのリアクションも無く、それが返って不気味に感じられた。
槐に、どうだったかと聞かれて反射的に取り繕ったものの、樹は自分達の事をなにか知っているかも知れないとは答えた。
だが、個人的に彼の連絡先を聞いている事は伏せる事にしたのは、自分の為に動いてしまう彼等の事を考えた末の行動だ。
(私が空蝉姫と言うことは知ってたけど……どこまで、あの人はこっちの事情を知っているんだろう。源さんは妖怪を見破れるって言うから、皆に動いてもらうのは危険だよ)
空蝉の姫という特殊な体質でも、くるみは現実世界においてただの一般人だ。
大企業の御曹司相手に、対応できる事は少ないし本当のところは怖ろしい。だが、彼が何を知っていて、何を知らないのかという事をこちら側が知ることは必要だとくるみは思った。
樹と秘密裏に、好意的に接触して探り入れるなんて事はできるのだろうか。
(田舎で絵本描いて、スローライフするつもりだったんだけどなぁ。どうしてこんなスパイみたいな事することになっちゃったの、私)
「ほれ、ほーれ」
「にゃっ! にゃっ、にゃっ!」
「ミャア! ミュッ!!」
ぼんやりと、紐のおもちゃで槐に遊ばれている漣とハチワレのレンをぼんやり見る。
不意に、槐が店の机を拭いている雅に遊び相手を変わるように促した。猫の毛が衣服につくことを嫌がった彼だが、渋々槐からおもちゃを受け取ると漣とレンの相手をする。
そのうち、自分をそっちのけで2匹のニャンプロが始まり出すと、雅は重いため息をついた。
「のう、どうしたくるみ。ずっと浮かない顔をしてるが……何か心配事でもあるのか?」
カフェの閉店後、人間の姿のまま寛いでいた槐が背後から抱きついてきて、肩に顎を乗せてきた。あまりに自然な行為に心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
自分の中で、槐と向き合って『付き合う』と正式に決めてから、彼の事をどんどん好きになっている気がしている。
「ううん、何でもないよ。今日はちょっと忙しかったから疲れたのかな」
「ん。そうか……なら、今日は俺が夕餉を作ってやろうか。ご近所から野菜を貰ったから煮物でも作ろう」
「うん、ありがとう」
今日の料理当番は自分だったが、槐に甘える事にした。くるっと振り返ると槐の心音を聞くように抱きつく。
人間と変わらない鼓動に安心感を感じて目を細めた。急に甘え始めたくるみに、槐は頭の上で笑って頭を撫でながら抱きしめる。
「私に猫又の相手をさせて、そこでいちゃつくのは辞めてもらえませんか? お前もいつまで猫の姿でいるんですか。私は帰りますよ」
「まぁ、待て。夕餉を作ってやるから喰って帰れよ」
呆れたように後ろから声をかけられ、我に返ったくるみは槐から離れる。
雅がいるのも漣がいるのも自然すぎてついつい、ところ構わず甘えてしまった。
くるみは、恋愛を全くして来なかった訳ではないが、真剣に付き合ったのは初めてなので、周りが見えず甘えてしまい、赤面しながら反省した。
槐の体温も香りも感触もとても落ち着くので、不安になるとついその感覚を求めてしまう。
こんな恋愛体質じゃなかった筈なのに、と好意を向けられていた自分が逆に夢中になってしまっていて、なんだか恥ずかしい。
「ご、ごめん。茨木くんも一緒にご飯食べようよ。知ってると思うけど槐のご飯美味しいし栄養たっぷりだよ」
「貴女にいわれなくても、そんな事は百も承知だ。このご時世、鬼が人間の死肉だけを食べて生きる事もそうそう無いですからね。……まぁ、朱点童子様がそうおっしゃるなら」
ぞっとするような台詞を吐いて、立ち上がった。人の肉を喰らう雅は、昨今では土葬も少なくなり、効率よく食事をする為に病院に出入りしているらしい。
その先の話は、聞く気がしなかったのでくるみは遮ったが、それでも現実は足りないので補うために人間と同じような食事をしているのだと言う。
二人とも今の人間社会に溶け込む為に、自然と自炊がうまくなったようだ。
「それなら、一緒に食べよう。マンションで一人で食べるのもいいけど、皆で食べても楽しいよ。漣ちゃんも、猫用おやつあげるからお手伝いしてくれない?」
漣は例の猫用おやつが大好きで、耳をピコピコ動かすと人間の姿へと変わった。久し振りにの着物姿の美少年に、懐かしささえ感じる。
「やったー! 俺はくるみの料理が好きなんだけど、おやつくれるんなら槐の料理も手伝う! でも人参はいれるなよ。嫌いだから」
二本の茶トラ柄の尻尾をゆらゆらと振りながら、叔父の仕事中に預かっているレンを抱き上げた。最近猫の言葉でよく話しているが、この美人猫に気に入られているようだった。
漣と雅、そして槐が先に居住スペースの方へと向かうのを確認すると、くるみは見られないように樹にメールを送信した。
『先日はありがとうございます。お陰様でWEB記事のお陰で新規のお客さんも増えました。
空蝉姫のことですが、お伺いしたい事があります』
どうなるかはわからないが、このまま相手の出方を見るだけの時間が過ぎていくのは神経がすり減る。槐も警戒している様子で、時々雅と話し込んでいる事もあった。
自分も何か手を打たなければと言う思いでメールをした。
最後に残ったくるみが、レジ締めをして一人店を出る。店の外に出してある看板をしまえば今日の閉店作業は終了だ。
いつの間にか肌寒い秋がやってきて、この辺りも日が暮れるのが早くなっている。
ヒュー、ヒューーと口笛を吹くような音がして、くるみは腕を擦りながら空を見上げた。
この不気味な鳴き声が、いったいなんの動物の鳴き声なのか都会から来たくるみには分からなかったが、トラツグミと言う野鳥の鳴き声だと祖母から聞いて、安堵した事を覚えている。
それからは、鳴き声を聞いても特に気にも止めなかったが、大人になってこの店で手伝いを始めてから、久し振りにこの声を聞いたような気がして懐かしい気持ちになった。
「そう言えば、昔は鵺って言う妖怪の声だって言われてたんだよね」
くるみは独り言を呟くと、ばんごはんの下ごしらえを始める良い香りが漂ってきて微笑んだ。
今日はもう充分に働いたし、ご飯を食べて絵本の続きでも書こう、と店に入ろうとした瞬間、背後でドサッという音がして心臓が止まりそうになった。
「え? なに……イノシシ?」
空から何かが落ちてきたような気配がしたので、猪ではない事はわかっているが、そう思わないと怖ろしい想像が頭をよぎってしまう。
くるみは、恐る恐る背後を振り返った。
店内の照明が、逢魔が時の夕暮れから暗くなった夜道をうっすらと照らしていた。
目を凝らすと、そこに人が倒れているのが確認出来て、心臓が止まりそうになった。最後に来たお客さんが体調を崩して倒れてしまったのだろうか、と心臓の鼓動が早くなった。
「えっ! あ、あの……大丈夫ですか?」
人の気配に全く気づかなかった分、くるみは恐怖を感じて遠巻きに声をかけたが返事がない。本当に危険な状態なら救急車を呼ばなければならないので、倒れた人影の方へとくるみは駆け寄った。
茶色のくせ毛に褐色の肌、ダボダボの黒いシャツにジーンズを履いた青年は裸足だった。何か事件に巻き込まれたのだろうか、とくるみが手を伸ばそうとした瞬間、ぐっと手首を掴まれて青年が顔を上げた。
「んぁ…………」
「わぁっ、あの、ちょっと! は、離してください」
「おなか~~~~すいたぁ~~~~」
「き、きゃぁぁぁ!!」
体を起こした青年が、ひもじい声をあげながらへなへなとくるみにもたれかかってくると思わず絶叫してしまった。
叫び声を聞いた槐と漣が慌てて飛び出してくる。
「おい、くるみ! 大丈夫か!?」
「どうしたのっ、くるみっ! 樹が攻めてきた!?」
血相を変えて二人は男の下で身動きが取れなくなっている様子を見て、素早く駆け寄ると不審者を引き剥がして抱き寄せた。
槐の額には青筋が立ち、漣の爪は鋭く飛び出して尻尾がパンパンに膨れ上がっていた。くるみは、二人の腕の中で金魚のように口をパクパクとさせていた。
「あ、あの人が倒れてて……」
「なんだ、不審者か? 人間なら警察に連絡するか」
「くるみに何するんだこいつ、引っ掻いてやる!」
フーーーッと威嚇する漣と、パンツのポケットからスマホを取り出す槐の背後から、いつの間にか二人に追いついた雅が、呆れた様子で腕を組みながら言う。
「皆さん、少し落ち着いて下さい。この者の尻尾を見て、あの蛇は……鵺でしょう」
雅の指摘に、全員が青年を見るとぐったりとしている蛇が臀部から生えていた。その瞬間に腹の虫が鳴る大きな音が鳴り響いて全員が顔を見合わせた。
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