第十八話 嵐の前の温もり

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第十八話 嵐の前の温もり

 何故、鵺を縛り付けていた鎖がくるみが触れた瞬間に外れたのかは分からないが、空蝉の姫には普通の人間には無い、特別な力が備わっているようだった。  源樹の密偵だった鵺の、長年縛り付けていた楔を壊して開放したのだから、もう好きな所に逃げるようにと促したが、鵺は頭を振った。 「ん〜〜〜〜、行くとこないから〜〜〜〜困った。仲間も〜〜どこにいるかわからないし」  鵺はのんびりとした口調で頭を抱えていた。幼い頃から鵺は、源家に飼われていたようなもので、外に放り出された所で突然の自由に、妖怪(おに)としてどう生きたら良いのか分からないのだろう。 「まぁ、こんな鈍臭い性格で、今の現世を生きていけるとは思えませんしね。本当に、今までどうやって源家に仕えていたのか理解に苦しみますが。  ですが、仲間であるフリをしてあちら側を探らせる事も出来るでしょう……そう言う意味では使えそうです」  茨木はそう言うと、冷めた瞳で頭を抱える鵺を見ていた。 「お前、意外と優しい所があるんだな。鵺をこの店に置いてやろうと言う提案か?」 「なっ……! 違いますよ、私は利用できるものは利用するだけですっ!!」  槐がニヤニヤと雅を見ると、反論するように腕を組んで咳払いをした。何時もは小姑のような態度でくるみにはトゲトゲしい彼だが、こういった提案をしてくる所を見ると、この店の事を嫌っている訳ではないのだろうか、とくるみは首を傾げた。 「うん……、そうだね。鵺くんを私が解放した責任はあるしここに居て貰おうかな。でも……接客とかは、さすがに無理だよね」  何となく、鵺には失礼だが珈琲を持っていく途中で、派手に転びそうなイメージがあるので、くるみは一体どうしたものかと腕を組んで首を傾げた。  頭を抱えていたは鵺は、まるで明るい未来が見えたかのように茶色の瞳をキラキラと光らせていた。 「くるみちゃ〜〜ん、ありがと〜〜! 僕、セッキャクはできないけど〜〜、お皿洗えるよ〜〜掃除も〜〜好き〜〜」 「ほう、ならばお前には源家の内情を洗いざらい喋って貰ってから、あちらの密偵をして貰おうか。そしてこのCafeに住み着くと言うなら、裏方として掃除と皿洗いすると良い」  槐がそう告げると、こくんと頷いた。  幸い祖母の実家は田舎と言うこともあり部屋数も多く、母屋の奥には物置として使っている小さな離れもあった。  槐が雅に住むように提案したが、栄えた駅前のマンションのほうが良いと、冷たく断られた場所を使ってもらってもいい。源樹の目を誤魔化す為の偽物の鎖の加工は、手先の器用なくるみがする事になった。 「まだ、完全に貴方の事を信じたわけじゃないけど……でも、うん、そんな綺麗な目をした妖怪(おに)は見たことが無いから、信じるよ。カフェ『妖』をよろしくね!」  鵺は、にっこりと微笑むと大きく頷いた。 ✤✤✤  くるみは、お風呂上がりに布団の上でゴロンと寝転がった。なんだか今日は大変な一日だったように思う。  まさか、樹が鵺を使って監視をしていたとは思わなかったが、だからこそあの取材を受けた時に、(なか)ば脅すような台詞をくるみに言ったのだろう。携帯電話の通知音がなって、寝転びながらロック画面を解除すると、一件のメールが入っていた。 「神代さん、メールありがとうございます。記事もご満足して頂けたようで幸いです。先日の私の提案を、前向きに検討(けんとう)して下さったのですね。空蝉の姫の事は、神代さんのこれからの人生プランにも影響を及ぼすような大切な事です。できればメールや電話ではなく、直接お会い出来ればと思います」  差出人は、源樹だ。  すっかり鵺の騒動で忘れていたが、先程のメールの返信がきていた。くるみは戸惑うように指を彷徨わる。  彼に一人で会うのは危険なような気がするが、ここで誘いを断るのも怪しまれるだろう。  不意に、部屋の襖が開いて風呂上がりの槐が入ってきた。 「のう、くるみ……眉間にシワが寄って難しい顔をしているぞ。やっぱり何か心配事でもあるのか?」  お店が閉まると、槐は『朱点童子』の姿に戻る。従兄弟(にんげん)の時の彼も素敵だが、やはり初恋の時のままの姿は艷やかで、思わず頬が赤く染まる。  自分と同じ香りを纏わせて入ってきた槐を心配させないように、くるみはそっとiPhoneを置いた。 「本当に何でも無いってば。今日は色んな事があったなぁって思ってただけだから、心配しないで」 「そうか……? しかし、空蝉の姫と言う者は自然と鬼を惹き付けるのう。まさかこんなに邪魔が……いや、仲間が集まってくるとはな」  そう言うと、青と黒のグラデーションの美しい髪を揺らせてくるみの隣に寝転がると、頬杖(ほおづえ)をついて銀の月の瞳を細めるとくるみを見つめた。  柔らかく微笑む彼を見ると、ますます頬が熱くなった。こんな風に槐が、寄り添うようにいてくれると、心の底から安心できてこの世に何一つ怖いものは無く多幸感(たこうかん)を感じる。 「な、なに……?」 「いや、可愛いなと思ってのう」  その言葉に、くるみは真っ赤になって布団を鼻まで被った。こういう事をふとした瞬間に恥ずかしげも無く普通に言ってくるので、毎回心臓に悪い。 (……どうしよう、キスしたくなってきちゃった)  くるみは、槐を見ながら真っ赤になった。いつも彼の方が求めて来るので、自分から仕掛けた事は無く、この気持ちをどうしたらいいのか分からない。  今、とてつもなく槐とキスして抱き合いたいと思っていた。 「くるみ、顔が真っ赤になっておるぞ? もしかして……最近店が忙しかったから風邪でも引いたんじゃないだろうな?」  槐は心配するように、くるみの額に手を当てて熱を測った。ひんやりとした手の平が心地よくて、目を細めながらくるみは槐の懐に入るように身を寄せた。  少し驚いたように目を開けると、笑って肩までの薄茶の癖毛の髪を撫でてやる。 「なんだ、くるみ。今日は随分と甘えるな?」 「えーと……うん。今日はすごく甘えたい気分なんだ。槐ともっと近くにいたいって言うか、まだ寝たくなくて」  何だかしどろもどろになってしまった。もう少し、色気のある誘い方が出来ないものだろうかと頭を抱えてしまう。案の定不思議そうにしていた槐だが、ふと顔を近付けるとくるみの唇に優しく口付け離れた。 「――――お前が愛しい。天命が尽きるその日までお前の側にいてやろう」 「わ、私も槐が好き。ずっと……おばあちゃんになって死ぬまで槐の側にいたい」  槐の言葉に、鼓動が徐々に早くなって体を起こすと槐の胸板に乗って彼を覗き込んだ。もう、ここはこのまま勢いに任せて自分の気持ちを伝えてしまうしかないと、決意する。 「槐……あの、私ね……槐とキスしたい。だめ?」  くるみはそう言うのがやっとだったが、槐が一瞬自分を凝視したまま固まったので、やはりあまりにも色気も何も無かったのでは無いか、とか、冷静になって我に変えれば穴があったら入りたい位に恥ずかい事を言ってしまってるのでは無いか、と様々な感情が入り混じった。 「や、やっぱり……今のは聞かなかった事に……」 「いや、嬉しいぞ俺は。くるみの方から俺にねだるとはな……聞かなかった事にはできん。あまりにも可愛すぎて……しばし時が止まってしまったぞ」  まさか、くるみの方から誘ってくるとは想定外だったのか、槐は頬を紅潮させて喜んでいる。 (そんなに、感激されたらそれはそれで恥ずかしいんだけど……でも、嬉しいって事はいいのかな?)  くるみは、槐の指に指を絡めると角の生えた額に自分の額をくっつけ、自分から唇を押し当てた。そして互いに目を閉じると啄むように口づけた。  もう外は、コオロギが鳴くような季節になっていて二人の吐息と虫の鳴き声が静かに響いていた。槐が、繋いだ指先を解いてくるみの小さな背中を撫でると、抱きしめたまま反転して覆い被さる。 「ん…………」  唇を離すと、槐の結い上げた一房の髪がさらりと流れ落ちてきた。伝承では朱点童子は恐ろしく乱暴者で怖い鬼に描かれているのに、槐は自分の家族よりも理解してくれていて優しい。  頬を指でなぞられると、くるみは頬を染めて甘えるように言った。 「槐、もっとキスして」 「無論、お前が満足するまで接吻(せっぷん)してやろう」  優しく囁くと、槐はくるみの柔らかな唇を甘噛みし、舌先で柔らかな感触を確かめるように舐めると僅かな隙間から挿入する。  くるみの呼吸に合わせるように、角度を変えながら口付け、二人の舌先は熱を帯びて絡まり互いの液体を交換し合った。 「くるみ………接吻して蕩ける顔が愛しい。全くお前の前では腑抜けになってしまう。しょうがない鬼だな、俺は」  槐は掠れた声でそう言うと、くるみに深く口付ける。酸欠で頭がぼんやりとする位に濃厚な口付けに、くるみの呼吸は徐々に荒くなっていく。   「キスしただけで、気持ちよくなるなんてマンガや小説の世界だけかと思ってたのに槐のキス、凄く……好き」 「それは光栄だな……はぁ、しかし、素直なくるみは……理性を保つ事が難しくなってしまうくらい可愛いので困る」  「電気、少しだけ暗くして、恥ずかしい」 「仕方あるまいな……その代わり、どうなっても知らんぞ。その覚悟はお前にはあるのか?」  そう言われると、くるみ頬を染めながらこくんと頷いた。
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