第二話 不滅の言霊

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第二話 不滅の言霊

 懐かしい畦道(あぜみち)を通り抜けて、初夏の香りを感じながら、今は亡き祖父母の実家へと向かった。この辺りにも、ぽつぽつとお洒落な店ができたが、子供の頃からあまり変わっていないので通る度に色んな記憶が甦ってくる。  ここに帰ってきたのは、二年前の祖母のお葬式以来だった。暫くは、くるみの父が管理していたが、いずれ田舎に戻って仕事をしたいと言っていた叔父夫婦に名義を譲ったと言う事だった。  相変わらず、人の良さそうな雰囲気で四十代半ばにしては若く見える叔父が、古民家から出てきた。 先程、もうすぐ着くとLINEしたので出迎えてくれたのだろう。 「くるみちゃん、よく来たね。本当に助かるよ」 「叔父さん。こちらこそありがとう。私はお祖母ちゃんの部屋を使っていいの?」 「ああ、良いよ。僕達はもともとこの近所に住んでるから、住居スペースは好きに使ってくれていい。アトリエにしてくれても良いし」  くるみは、嬉しそうに微笑むと古民家カフェの内装を見た。レトロな家具にモダンな和風のカフェは、畳をフローリングに代えてテーブルと椅子が設置されていた。  淡い照明が、天井から垂れ下がり外から見える緑の風景と季節の花達は、どこか隠れ家のようにも思える。店に飾られているモダンな和食器の焼き物を、思わず手に取って眺めた。  カウンターには、くるみの絵本が飾られていた。  こんな素敵なカフェなら、ずっと働きたいと思う程心地の良い場所だった。お客さんの姿が無いのは、今日が定休日だからだろう。 「おじさん、もう飾ってくれてるの? ありがとう」 「うん? 素敵な絵本だね。くるみちゃんの宣伝になるなら僕達も嬉しいよ。それにしてもくるみちゃんが、バリスタ資格持っててくれて良かったよ」 「うん、高校の時にチェーン店でカフェのバイトしてから、自分もやってみたいなぁと思ったの。私みたいな無名の絵本作家じゃ、食べていくのは難しいから」  叔父さんが手渡してくれた珈琲を飲むと、香ばしい酸味が喉を潤した。一通り仕事の説明を受けてた。  明日の午前中までは、叔父が側に居て一緒に手伝ってくれるという。くるみはカフェのバイト経験が長い分、ある程度は応用が出来そうだと胸を撫で下ろした。これで少しは叔父も安心して、叔母の看病に集中できるだろうか。  お金があるなら、お店をお休みしても良さそうだけど、ある意味これが叔父さんの唯一の息抜きになっているのかも知れない。 「さて……、くるみちゃん。あとは自由時間だよ。ひさしぶりに遊びに行ってくる?」 「そうだね……、中学生まではこの辺りの散策してたんだけど。大人になったらそんな事もしなくなっちゃったなぁ」 「じゃあ、ついでに買い出しも頼んでいいかい?」 「はーい」    くるみは叔父からメモを笑いながら受け取ると、祖母が使っていた部屋に荷物を置くと、ショルダーバッグを持って『(あや)』という看板を後にした。 ✤✤✤  叔母さんの自転車を借りて、サイクリングがてらに買い出しを済ませると、ふとあの日の小道の事を思い出して自転車を止めた。 「確か、この辺りにあった気がするんだけど……やっぱり、夢だったのかな?」  どこをどう探しても、あの小道は見当たらない。十年の間に道が塞がれたのだろうか?  やっぱりあの人は夢だったのだろうか?  人の血を吸う鬼なんて、いくらなんでも小説や映画の見すぎだ。  思春期に、現実逃避をする為に自分に都合よく格好いい妖怪を空想していたのかもしれない。  それに、本当にそんな現実離れしたものが存在していたなら今頃、ネットやTVで騒がれるだろうし、何より怖くて田舎道なんて歩けないじゃない、とくるみは恥ずかしくなった。 「そう言えば、十年経ったな……って馬鹿みたい。早く帰ろ」    頬を染めながらそう言うと、自転車に跨がろうとしたその瞬間、神楽鈴(かぐらすず)の音色が遠くから聞こえた。驚いて音のする方に視線を向けると、霧が立ち込める小道が見えた。  二十歳も過ぎれば、何処に繋がっているのかも分からない森の小道を、女性一人で歩く事がどんなに危険か理解している。なのに、澄んだ鈴の音に誘われるように、くるみは霧の小道を歩き始めた。  十年前は、真夏の日差しがキラキラと緑の葉を照らし木漏れ日が緑と土の絨毯を照らしていた。今日は夕暮れの色に染まった霧の中を歩いている。  恐ろしさと美しさが入り混じった、幻想的な道を歩いて行くと、前方に見覚えのある沼が見えた。 「あの沼、本当にあったんだ……。でも、あの時のイメージと違う……」  目の前に出てきたのは、何処にでもある沼という感じで、くるみは首を傾げた。自分の幻覚に思い出補正をかけてしまったのだろうか。  けれど、確かにそこには沼があって、神楽鈴の音色は近く大きくなっている。くるみは恐る恐る沼に近付いて見る事にした。  近くまでくると、確認するかのように覗きこむように沼を見た。普通の沼だと思っていたが、自分の想像よりも遥かに透明度が高く神秘的だ。 「凄く綺麗……」  くるみが小さく声を発すると、沼に音の波紋が広がっていく。驚いたように薄茶の瞳を大きく見開いた。  沼の底からこちらに向って上がってくるのは青黒いグラデーションの長い髪を結い上げ、神秘的な銀色の瞳に、真紅の角、そして派手な着物を水中の睡蓮のように咲かせた男性だ。 「嘘……、えっ、まっ……!?」  鬼の腕が水面から出ると、不思議な事に水に濡れている様子も無く、その美しい髪を水滴一粒もついていない。あまりの事に硬直して彼を見つめていると、その薄い唇が笑うように釣り上がった。 「空蝉(うつせみ)(おんな)、自ら約束通りこの俺に逢いにきたのか?」 「ま、まっ、や、やだ、まって、溺れ……!」  くるみの体を沼に引きずりこむように、水中に誘った。パニックになって体を動かしたが、水中にしてはなんの抵抗感も無い。  呼吸が出来る事に気付いたくるみが、辺りを見渡すと、あの息を飲むほど美しい真っ赤な紅葉が逆さまに生えていた。  いや、水面にあの紅葉が写っているだけだ。それなのに水中には、紅葉が風に散るように揺らめき、鮮やかな光り輝く大きな錦鯉が数匹泳いでいる。  まるでそこは、絵本の世界のように美しい。 「どうなってるの、私……幻覚見てるの?」 「幻覚とな。面白い事を言う。ここは俺の常夜(とこよ)だ。まぁ、人にわかりやすく言えば俺の作り出した領域のようなもの。自我をもってここに来れたのは、お前が初めてだ、くるみ」 「どう言うこと? 何で、私の名前を知ってるの……? 空蝉の女ってなに??」  抱き寄せられて漂っていることも、恥ずかしいが、あまりに現実離れした出来事に遭遇(そうぐう)して脳の処理が追いつかない。もしかして夢を見ているのだろうか。  美しい鬼は少々、煩わしそうにするとくるみの顎を自分の元に引き寄せた。 「お前の血を舐めた時に名を知った。この常夜には、時折、死を求めて人の女が迷い込む事がある。その生き血を吸い、最期に交わって泡沫の快楽で幽世(かくりよ)へと引導(いんどう)を渡してやるのだ。  ――――だが、俺のような外道の鬼にもごく稀に運命の女が現れる。お前のように魅惑の術が効かず、正気でいられる女だ。それがお前達のような者だ」  そう言うと、美しい鬼は薄い唇を重ねてきた。甘く柔らかく啄むような口付けはゾクリとするほど、心地良く思わず開いた隙間から、暖かな舌先が入って絡まった。  実を言うと、こういう本格的なキスをするのは初めてだ。心臓がドキドキして、抵抗したいのに柔らかな舌先が性感帯を刺激するように絡まると淫らな息遣いが口から漏れて、彼の着物をぎゅっと握り締めた。 「んっ……ん、はぁっ、んんっ……ゃ、やだ、まっ……んんっ、はぁ……」  抵抗を許さない舌先が、口腔内を丹念に愛撫すると段々と意識がぼんやりとしてくる。完全にリードする形で口付けられると、自分の意志に反して、脳から爪先まで快感が体を駆け巡った。こんな感覚は初めてで戸惑っていると、ゆっくりと濡れた唇を舐めながら、鬼が離れた。  いつの間にか腰が抜けそうになっていたようで、腰を抱かれながら間近で恐ろしくも美しい鬼を見つめた。  銀の月のように惹き込まれそうな瞳だ。 「――――貴方、何者なの?」 「つれない女よの、(えんじゅ)と名乗っただろう」 「そ、そうじゃなくて……妖怪なの?」 「嗚呼(ああ)、そちらか。お前達人間が何者と呼ぼうが興味は無いが、俺に興味を持つとは可愛いやつめ」  何と無くはぐらかされたような気がするが、妖艶に微笑まれて思わず赤面して言葉に詰まった。不意にTシャツから見えた首筋を撫でると言った。首元まで顔が近付けられて、熱い吐息がかかる。 「さて、他の鬼に目を付けられる前に儀式を済ませるとしよう」 「えっ……、まっ、……っっ!」  牙を立てられたかと思うと、熱い感覚が体を駆け巡った。血が溢れるとそれを舌先で舐めとった。吸血される度に快感が走って指先の力が入らない。  支える指先が落ち着かせるように、背筋を撫でると敏感に腰が震えてしまう。  不意に意識が遠のくような感覚がして、辺りを見ると先程歩いた畦道の風景が、物凄い速さで春夏秋冬を日の出日の入りを繰り返し、人々が行き交っている。  紅葉が流れるように景色を覆ったかと思うと、くるみは意識を失った。 ✤✤✤ 「くるみちゃん、くるみちゃん……大丈夫かい? こんな所で寝たら風邪引くよ」   誰かに肩を揺すられ、くるみは呻きながら薄茶の瞳を開けた。心配そうな表情で覗き込む叔父に、驚いたようにポカンと口を開けて見つめた。  どうやら自分は縁側で横になって眠ってしまっていたようだ。  先程までの光景はなんだったのか。もしかしてまたあの白昼夢を見てしまったのか、でもあれは限りなく現実に近くて、子供の時よりも鮮明でリアルだった。妄想や幻覚なんだろうかと首元を触ると、貼った覚えの無い絆創膏が貼られている。   「お、叔父さん……? 私、えっ、ここで……ずっと寝てたの? 買い物に行って帰ってきた?」 「ううん、荷物を置いてそのまま寝ちゃったから、槐くんに買い物頼んだんだよ」 「え、槐くん……?」  誰、と声をかけようとすると背後からラフな現代の格好をした、短髪の(えんじゅ)そっくりの青年が現れた。  思わず悲鳴をあげそうになると、槐は目を細めて自分の口元に人差し指を立てて、笑みを浮かべた。 「そうだよ、寝ぼけてるの? 姉さんの息子の、伊吹槐(いぶきえんじゅ)くん。本当に持つべきものは従兄弟だよねぇ。住み込みで手伝ってくれるって言うから、防犯面でも安全だよ。2日前にLINEしたんだけど忘れてた?」 「叔父さん、くるみは昔から寝起きが悪いから……ほら、何時まで寝てるんだよ。ご飯にするよ」 「な、なに、いって……い、従兄弟??」  そう言うと、ポカンと口を開けて従兄弟を名乗っている鬼を見た。父親には姉も妹もおらず、もちろん従兄弟なんていない。近くまでくると頭を撫でられ、肩を抱かれると叔父に聞こえぬように耳元で囁かれた。 「――――押しかけ女房のようなものよ、空蝉の姫。新居には少々辛気臭い屋敷だが、毎夜溺愛してやろう」  ――――とんでもない事になってしまった。  
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