第七話 紫陽花の猫④

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第七話 紫陽花の猫④

 くるみが叫んだ瞬間、槐と漣が反射的に止まった。特に槐は怪訝(けげん)そうな表情でくるみを尻目に見た。漣もまた大きな口の裂けた化け猫姿のまま、動きを止めて此方を見ている。くるみは涙を拭き槐の背中から出てくると、二人の間に入った。 「のう、くるみ、一体何が駄目だと言うのだ? お前を手に掛けようとした(ガキ)に慈悲などいらんぞ」 「――――殺しちゃだめ! 私がこの子を責任持って飼います!」 「は?」 「え?」  くるみが二人に両手を広げてそう叫ぶと、槐と漣の口から同時に気の抜けた声が漏れた。茶トラの仔猫の記憶を見た瞬間、動物好きのくるみは、身勝手な飼い主の行動に胸が破裂しそうな位に痛んだ。青葉(あおば)と言う名字も、彼が生前に拾われた少女と同じものだ。死して猫又という鬼になっても、大好きな少女が名付けた名前を捨てずにいた彼を思うと不憫(ふびん)に思った。 「血迷ったかくるみ……? 俺という男が居ながら軟弱な猫又を間男(まおとこ)などと」 「どう言う事、くるみ。俺の姫になってくれるの?」 「ち、違います!! 間男にもならないし姫にもなりません!! この()は人間のせいで鬼になったんだよ。だから私が引き取る。……妖で働いて貰うの」  漣はその言葉を聞くと、みるみるうちにその姿が元の人の姿になった。戦意喪失し頬を染めてビー玉のように輝く金色(ゴールド)の瞳を丸くした。耳はせわしなく動いている。槐も、突飛な提案に、一体何を言っているんだと呆れたように腕を組んでくるみを見ていた。 「くるみ、一体どういうこと? 俺も店員さんになっていいの?」 「のう、くるみ。こいつは猫の姿をしていても、鬼。直ぐに手のひらを返して、くるみを殺すかも知れんのだぞ」  確かにその可能性もある。だが、くるみには漣がそんなに悪意を持った鬼には思えなかった。人に裏切られ死んで猫又(おに)になっても人に愛情を求めてる。そんな子が憎しみで人を殺しても無闇に傷付けるだろうか。  ――――だから。 「お店の看板猫になって貰うんだよ。猫が好きなお客さんは遠くから足を運んでくれるから。私は漣さんの姫にはなれないけど、一緒にいれるよ?」 「……看板猫! それ凄くいいね! のんびり人間と遊べるし、くるみとも一緒にいれるなんて最高だよ! 俺やる。くるみ大好き」  くるみはにっこりと微笑んだ。お店で皆に可愛がって愛される、それが一番、漣にとって幸せな事じゃないかと考えた。漣の表情はまるで花咲くように笑顔になって、くるみに抱きつくとゴロゴロと喉を鳴らしながら頭に頬を擦り付けてきた。くるみは、猫が体を擦り付けるようにぐりぐりと懐かれて思わず苦笑した。その様子を苛立つように見ていた槐が、首根っこを掴むと引き離した。 「全く、俺の空蝉の姫はお人好しが過ぎるようだな……仕方あるまい。良いか、この猫又(ガキ)が、少しでもお前に何かしでかそうものなら、俺が斬り捨てるぞ」 「ほんっとにお爺ちゃんは煩いなぁ。俺はくるみを殺したりしないよ。くるみは特別なんだからな」 「二人ともそこまで! 今は私がお店を任されてるんだからね。喧嘩はだめ」  漣は、槐を少し見上げてべーーっと舌を出すと槐から逃れるように茶トラの猫の姿に変わって、ごろごろと足元に体を擦り付けてきた。漣の体を抱き上げると腕の中で、二股に割れた尻尾をゆらゆらと動かしている。いつの間にか、紫陽花畑(あじさいばたけ)と青空の常夜は消えて、月の明かりが薄暗い畦道(あぜみち)を照らしていた。 「漣さん、お店に出る時は尻尾は一本にしておいてね。流石にお客さんも……吃驚すると思う」 「もちろん! 明日から楽しみだなぁ〜〜」  くるみの腕の中で満足そうにゴロゴロと目を細める漣を苦々しく見下ろしながら、槐はくるみの横に立つと、不意に頭を引き寄せて額に口付けた。突然の事にくるみは赤面して槐を見上げる。銀の月に似た鬼の瞳が自分を、心底心配そうに見つめている。 「な、なに?」 「俺に何も告げずに危ない夜道を歩くな。運命の空蝉の(おんな)と出逢った鬼は、その者無しでは生きていけぬ程になる。まぁ、簡単に言えば、お前に何かあれば、俺は生きながら心が死に、屍のような鬼になる」 「う、うん……ごめんね、槐」  槐の言葉にくるみは更に湯気が出そうなくらいに赤面した。つまり、自分に何かあれば生きていけないという事だろうか。あまりにも直球な告白に羞恥に目を逸らして先を急いだ。  槐は、真剣に自分を運命の相手だと思っている。こんなに胸が高鳴るのは気障(きざ)な振る舞いをふざけてしている訳ではなく、本心からそう思っているからだろう。 (――――あの時、助けて欲しくてとっさに槐の名前を呼んじゃった。キスをされても槐なら全然怖くない。やっぱり私、槐が好きなのかな)  鬼と人の恋が、一体どんなものかわからない。異種族の恋愛は、教科書に書かれたような単純な関係(モノ)ではないだろうし、両親や友達に相談出来るような内容(モノ)でも無い事だけはわかる。普通の恋だってまともにした事が無いくるみには、まだ新しい恋に踏み出す勇気がなかった。  ただ、そんな不安を押し退けてしまう位に槐を意識し、想っている事は否定できない。くるみは瞳を潤ませながらブンブと頭を降った。その姿を、背後から微笑ましく瞳を細めて見ていた槐は不意に切れ長の瞳を、森の中に向けた。  暗闇の中で、何かが(うごめ)く気配を感じたが、それを無視するようにくるみの肩を抱き、槐は家路を急いだ。 ✤✤✤  翌日、人間の姿になっていた漣が猫のように大きな口を開いて欠伸をすると畳の上で気持ち良さそうに寝転がって、体を丸くすると寛いでいた。尻尾は緩やかに動き、パタパタと畳を叩いている。朝食の準備をする槐が、心底邪魔そうに漣の腰を蹴ると、シャーーツと威嚇するように唸りながら起き上がった。 「人間になってる時くらい少しは働かんか、ぐうたら猫が」 「なんだよ、カッカして。蹴るなんて暴力反対! 爺ちゃんは気が短いんだから嫌なんだよ。くるみ〜〜、この人怒ってよ」 (――――人間になっても、やっぱり仕草や行動は猫なんだなぁ。でもさすがに猫缶とかカリカリ食べさせる訳にはいかないよね)  二人のやり取りを見ながら、とりあえずお手製のツナサンドとサーモンサンドを作った。槐は日本食が良いらしく、拘りの朝食を自分で用意する。くるみは、とりあえず同じくツナサンドを作って腹ごしらえをする事にした。モーニングは少し遅めの八時からとなっているが、常連さんの朝は早い。   「さて……、モーニング始まる前にご飯食べて用意しなくちゃね、いただきます!」 「いただきます! 美味しい、くるみの作ったツナサンド美味しいな。サーモンサンドも美味しい。くるみ大好き!!」  漣は自分の為に作って貰えた事を喜ぶようにぱくぱくとサンドイッチを食べていた。やはり元は猫なので手で掴めるものが良いのかと思っていたがなかなか好評だったようだ。隣に座る槐は、行儀良く味噌汁にご飯を食べている。くるみは家を出て、久し振りに家族団らんして食事をしたような気になった。  彼らは物の怪で、人とは違うが表情豊かで楽しい。自然に笑みが浮かぶ。また、叔父さん達も呼んで温かな食事をしたいと願った。 ✤✤✤  勾玉の首輪をつけた茶トラの猫はCafe『妖』を訪れるお客さんのを目を引いた。人馴れした漣は男女問わず体を擦付け、可愛がられていた。(おおむ)ね、どのお客さんも好意的に受け止めてくれている。お店の看板に猫いますのマークでも手作りして置けば、お客さんも選択しやすいだろうと、くるみはカウンターから微笑みをながら見守っていた。 「かわいい〜、口コミには書いて無かったけど猫がいるんだ! 撫でさせてくれるの?」 「ニャア〜〜」  若い女性客の膝に飛び乗ると、ゴロゴロと喉を鳴らし、指先を舐めて気持ち良さそうに撫でられていた。漣の過去を思うと、猫又(おに)にも関わらず沢山の人に愛されている姿に、くるみは自分の事のように幸せな気持ちになった。 「あいつ、若い女を選んで懐いてないか」 「もう、そんなこと意地悪な事を言っちゃだめだよ、槐。お客さんも喜んでくれてるんだし」  呆れたようにカウンター越しにオーダーを渡した槐が言うと、笑いながらくるみは答えた。槐は漣の事を気に入らないようだが、元が猫なだけに邪気が無く、それ以上口出しはしなかった。暫くして、扉の鈴がなると老夫妻が入ってきた。  常連のお客さんではなく、観光客が散歩がてらに遊びに来たのだろう。そういうお客さんも多いと叔父から聞いていたので不思議ではない。奥の席に座った彼らの元に、漣は鳴きながら向かった。ちょこんとソファに乗ると、老婦人が顔を綻ばせて漣の頭を撫でた。 「あら、猫ちゃんがいるわ。お父さん」 「ほんとうだ、可愛いね。とても賢そうだ。うちの子と同じくらい人懐っこい」 「ふふ、この子……昔飼ってた子に似てるわ。茶トラだったの。居なくなってしまって凄く悲しかったのよ。大切な友達だったわ。だから大人になったら絶対、この子みたいな猫を飼おうと思ったの」 「そう言えば、お母さん、この辺りに住んでいたんだったか。いつも子供の頃の話になると言ってたねぇ。確か猫の名前はレンだったかな」  漣は目を見開いた。不意に気まぐれにソファから降りカウンターの中に入ると誰にも気付かれないように涙を拭った。そして、談笑する老夫妻を見つめながら微笑むと静かに言った。 「ナギサ……俺もずっと思ってたよ」  名もわからない老婦人だったが、漣は彼女が誰なのかわかった。きっとくるみが彼女との縁を繋いでくれたのだと思うと漣は涙が止まらなかった。
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