第八話 羅城門の従者①

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第八話 羅城門の従者①

 あれから一週間が経ち、Cafe『妖』の仕事にも随分と慣れてきた。槐との生活にも少しずつ慣れ、彼が鬼であることも忘れてしまいそうなくらいに、くるみの『従兄弟』として定着してきた。一見、本性さえ出さなければ爽やかな美形(イケメン)の槐は、常連や観光客を問わず、子供から大人まで女性に人気が高かった。  漣は、その愛くるしい茶トラの姿で老若男女問わず、猫好きの客層の心をがっつりと掴んで、毎日代わる代わる様々な人間に可愛がられていた。くるみの目から見ても充実した毎日を送っているように見える。 「ねぇ……二人とも。私の膝を取り合いするの止めてくれない? 暑いし気になって描けないんだってば」  くるみは大きな溜息を付いて絵筆を置いた。居間に置かれた座敷机(ざしきづくつくえ)の下で猫の頭と、槐の頭がくるみの膝の上を取り合っている。大人げなく槐が漣の頭をぐーっと押すと、意地でも退かない猫又の漣がぐい、ぐいっと押していた。 「だって、このお爺ちゃんが大人げなさすぎるんだよ。俺はくるみの膝の上でまったりしたいの!」 「猫又ごときが、くるみの膝を陣取ろうなんぞ、千年早いわ。こいつが動物好きだという事は大目に見てやっても、お前は鬼だろうが!」  座敷机の下でぎゃー、にゃー喧嘩する妖怪達に溜息をついた。今日は休日で午前中に絵本の制作に取り掛かっていた。何を題材にするか悩んでいたくるみだが、身近にいる鬼と猫をモデルにしようと思い立って描き出したら、筆が乗って止まらなくなってしまった。ここで働くまで都会では、絵筆を折りそうになる位にスランプに陥っていた。それが嘘のように、描く事が楽しくて仕方ない。 「ねぇねぇ、この絵に描かれてるのは俺なの?」  漣はひょこっと机に顔を出すと、くんくん鼻を鳴らしながら、白いイラストボードに色彩が宿って行く様子を、不思議そうに見つめていた。ふかふかの両足を座敷机に置いて、ビー玉のような金色の瞳が、興味深く覗き込んでいる様子はとても愛くるしい。思わずくるみは、破顔(はがん)して反射的に、茶トラの後頭部を撫でた。漣は嬉しそうに目を細めて二本の尻尾がゆらゆらと揺らした。 「そうだよ、この茶トラの猫ちゃんは、漣さん。それでこの人は槐……まだ、絵本の題名は考えて無いんだけど、思い浮かぶものを描いているんだよ」 「嗚呼(ああ)、また俺の絵姿を描いてるのか。人の姿も空蝉の姫のお気に入りのようだ。のう、くるみ……そろそろ素直になったらどうだ。いつでも祝言をあげる準備は整えておるぞ」  むくっと起き上がった槐は、そう言うと肩を抱き寄せて頬に口付けてくる。槐の低く甘い声に真っ赤になってしまったくるみは、思わずどぎまぎして筆が滑ってしまった。 「え、槐……! もうっ、変な事言うから間違えちゃったでしょ。直せるけど……もう。でもちょうどいいや、そろそろお買い物しなくちゃね」 「()(こく)か。そう言えば……今日は卵が特売だったぞ。早く行かねば売り切れる。俺も欲しい調味料があるので護衛の為にも行く」  時計を見ると、時刻は十時半だった。すっかり主夫のような口ぶりの槐は、吸血鬼なのに料理が趣味で、調味料にも人一倍拘りがある。血に対しても並々ならぬ拘りがあるようだし、食事に関しても美食家なのだろう。漣は欠伸をすると、伸びをしてくるみの膝から降りた。 「じゃあ、槐にお買い物ついてきて貰おうかな。漣さんは……どうする? 一緒にいく? お留守番しとく?」 「んーー、くるみと一緒にいきたいけど、眠たい……売ってたらあれ買ってきて。食べたら止まらなくなるやつ」 「うん、いつものあれね! じゃあお留守番お願いするね」  漣は眠たそうにしながら転がると、夢見心地にそう言って尻尾を振った。いつものアレとは今話題になっている、猫が夢中になるおやつだ。猫又も好きだろうか、と手渡したてみたら人の姿の時でも美味しそうに食べていたので、それ以来お気に入りになってしまい、買い物の度にせがまれていた。  漣にはお留守番して貰う事にして、人の姿になった槐と共に、スーパーに向う事にした。Cafe『妖』のお店がある辺りは民家も少ないが暫く歩けば、直ぐに商店街や大きなスーパー等がある開けた場所に出る。散歩がてらに槐と買い物に出掛ける事にする。  お店も順調だし、空蝉の姫という危険性を槐に聞いてはいても、都会で親と揉めていた頃を比較しても随分(ずいぶん)と平和な日々だ。正直鬼よりも都会で接する人間のほうが怖いと思う程、彼らにも信頼を置いていた。 「こんにちは」  槐は、道中常連さんに出逢うと信じられない位に爽やかな笑顔で挨拶をした。どこから見ても好青年の槐に、奥様方は頬を染めて笑顔で挨拶を返している。くるみは同じように挨拶をしながら、槐を見上げつつ首筋に触れた。  わずかについた二つの牙の痕は、まるで虫刺されのようになっているが、槐の空蝉の姫であるという証だ。これを確認しなければ、鬼であることを忘れそうになる位に槐は人間に馴染んでいる。何気ない日常の中で、隣に槐がいる事に、いつの間にか自然と安心感を覚えている自分に頬を染めた。 「なんだ? 俺の顔に見惚れていたか……くるみ」 「ち、違う……今日の夕飯何食べたい?」 「今日はくるみの担当か、最近は洋食も食えるようになってきたし、お前の得意料理が食べたい」  ふと、くるみの視線に気付いて槐は顔を覗き込んできた。昨日は槐が和食を作ってくれたので今日は自分の担当だ。正直、槐ほど料理が上手な訳ではないが、槐も漣も喜んでくれるので作るのが楽しくなっている。スーパーに入るとチェーン店特有の音楽が流れていて、それを聞きながら買い物を済ませた。  代金を支払い、店から出るとふとくるみが足を止めた。そう言えば漣に頼まれていた『おやつ』を買い忘れていた事に今更になって気が付いたからだ。 「あ、槐……私、買い忘れたものがあるから先に帰っててくれない? 冷たいものが入ってるから……直ぐに追いつけると思うし」 「しょうがないのう。あまり遅くなるな。重い荷物は俺が持って帰るとしよう」  槐はそう言うと、くるみの荷物を持って歩き始めた。昼前になると田舎といえど人が多くなってくる。漣のおやつと、買おうか迷っていた特売の食材を手にして、くるみは会計を済ませた。いつもよりレジが混んでいたせいか、くるみが思うよりも時間が掛かってしまった。  スーパーから出ると、槐の後ろ姿も見当たらない程だ。『妖』に向かって歩いていけば、途中で追いつけるだろうと考え、くるみは足早に歩いて槐の姿を探した。  真っ直ぐ歩いていると、何時もの十字路に出た。ここは唯一この辺りで車の往来が一定数ある場所だ。歩道には自分しか立っていない。  信号を見上げながら、赤から青になるのを待っていると、突然後ろから何者かに強く押され、思いもよらない出来事に力を抜いていた、くるみの体は横断歩道に押し出された。  右側から、クラクションの大きな音がして反射的にそちらを見ると、大型トラックが迫っていた。記憶が走馬灯のようによぎって死を覚悟したくるみは恐怖のあまり目を閉じた。  運転手の怒号と、風圧がくるみの髪を揺らした。薄っすらと目を開けるとトラックは自分の目の前を通り過ぎ、槐の胸板に抱きしめられていた。 「――――()かれる所だったぞ、くるみ、大丈夫か?」 「……あ、え、えんじゅ……? 助けてくれたの……」  あまりの恐怖に、くるみは腰を抜かしてしまっていた。危機一髪の所を、鬼の凄まじい跳躍力で助けてくれたのだろうか。青褪(あおざ)め体を震わせていたくるみが涙ぐんでいるのに気付くと、槐が溜息混じりに抱きしめてやった。頭を優しく撫でられ、くるみは無意識に槐の背中に腕を回す。 「嫌な胸騒ぎがしてな、戻ってきて良かった。お前の代わりに特売の卵がぐしゃぐしゃになってしまったがのう。まぁ、また買えば良い」 「ううっ、ありがとう……ごめんなさい。誰かに押されて、道路に飛び出しちゃった」 「なんだと?」  泣きながら話すくるみに、槐は眉をひそめて周囲を見渡したが、見通しの良い一本道で誰かが走り去ったような形跡も無ければ、十字路を横切る影も無かった。どれだけ全速力で走っても犯人が人間ならば、逃げていく姿を見つける事が出来るであろう場所だ。  人間以外にくるみの背中を押して、事故に見せかけようとする者がいるならばそれは『鬼』だ。険しい表情の槐は、くるみの背中を撫でながら言った。 「くるみ、立てるか? 取り急ぎ家に帰るぞ。(すね)を怪我してる……血の匂いを嗅ぐと、人の姿が保てなくなるのでな」 「うん、大丈夫だよ。本当……、脛、さっき擦っちゃったんだね、痛い」  そう言うと、くるみを立たせる。血の匂いを吸い込まないように槐は、手の平で口元を覆っていたが、甘く芳しい空蝉の姫の血を感じると牙と角が生えてくるのを感じた。 「槐、角が……」 「お前の血の香りが、あまりにも美味そうだから、鬼の本性がでてしまうんだぞ、罪な(おんな)だ。しかし……間に合わんな。仕方あるまい、俺の常夜を通過して家まで帰る」  槐はそう言って笑うと、くるみを抱き寄せまるで空中を裂くように指先を下ろす。紅葉と錦鯉、そしてあの透明な沼が現れたかと思うと、槐の常夜がぐにゃりと歪み、二人を飲み込むようにして包み込むと、忽然(こつぜん)と横断歩道で抱き合っていた二人の姿が消えた。  それと入れ替わるようにして、何もない空間から男が出現した。銀の髪を結い上げ、真紅の瞳をした眉目秀麗の青年の額からは、二本の角が生えている。槐とは対象的に漆黒の着物を上品に着こなしていた。鬼は不機嫌そうに眉をしかめて舌打ちする。 「良い所だったのに。あの人間の女さえ死ねば、朱点童子様も正気に戻られるだろう……次の手を考えなくては」  そう言うと、ふわりと宙に浮いて荒れ果てた羅城門(らじょうもん)と黄金のススキが揺れる常夜に吸い込まれるようして、その場から消え失せた。 ✤✤✤ 「えーー!!! どうしたのっ、くるみ」  槐に支えられるようにして戻ってきたくるみを見るなり、驚いたようにして漣が走り寄ってきた。脛を擦りむいて、少し血が滲んでいる。猫の姿のままオロオロとする漣を見ると、心配させないように言った。 「ちょっと転んじゃっただけだから、大丈夫だよ」 「鬼に襲われた。のう、猫又。お前にくるみの手当を任したぞ」  くるみの言葉を遮るようにして、槐はそう言うと(きびす)を返した。人間の姿になった漣はくるみを抱きしめながら、毛を逆立てるようにして言った。 「くるみに怪我させて、お爺ちゃん何やってるんだよ!」 「槐、どこいくの??」  肩越しに二人を振り向く槐の顔は、見た事のない位に冷たい表情で、くるみは不安そうにして彼を見つめた。ふと、口元に笑みを浮かべると安心させるようにして言う。 「手癖の悪い鬼を躾に行くだけだ。そう心配するなくるみ。直ぐに戻ってくるから良い子にしておれ」  そう言うと玄関を開けた。錦鯉と紅葉に導かれるように、常夜へと入ると後には水の泡だけが空中に舞って溶けていった。
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