第九話 羅城門の従者②

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第九話 羅城門の従者②

 所々、傷が入った柱に瓦の飛んだ屋根。戦火を潜り抜けてきたような羅城門とススキが揺れる常夜(とこよ)で、銀の髪を揺らせた鬼がこちらに背中を向けていた。  どこか物悲しさを感じさせる風が、黄金の絨毯を揺らして、波紋のように音が遠くまで響いた。不意に背後で水滴が弾けるような音がすると、ゆっくりと銀髪の眉目秀麗の鬼が振り返った。微笑みを浮かべると、すぐさま跪いた。 「――――朱点童子様。貴方様の方から私の常夜に来られたのはおひさしゅう御座いますね。とはいえ、他の鬼の常夜を引き裂いて中に入れるのは貴方様位なものでしょう」 「――――白々しいぞ、茨木。くるみを手に掛けようとしたな、貴様。助けてやった恩を忘れて、仇で返すつもりならばこの場で斬り捨てる」  槐は腕を組みながら、瞳を細めて威圧的に冷たく言い放った。眉間には深く(しわ)が刻まれ、今にも刀で斬り捨てそうな程、静かな怒りに包まれていた。項垂れていた茨木はゆっくりと顔を上げると溜息を付いた。 「――――朱点童子様に助けて頂いてから千年以上、貴方様にお仕えしてきた私が裏切るなどと有り得ません……! 私は、私は……貴方様を心配しているのですよ。人間の女にうつつを抜かすなんて……。いつもならば、死にゆく女に夢を見させてやるくらいでしょう。もっと血を欲してもおかしくない筈です」 「のう、茨木童子(いばらぎどうじ)よ、人の世は驚くべき速さで流れていく。俺達は御伽話(おとぎばなし)の住人のようなもの。昔のように俺達を恐れる事も無い。だから、影に隠れてほんの少し、糧を頂戴(ちょうだい)するだけで良いのだ。人と鬼の関わりが薄れても、空蝉の姫だけは俺達と繋がりを持てる、唯一無二の存在でもあるぞ」  槐はまるで子供に言い聞かせるようにして、茨木に話し掛けた。人は驚くべき速度で進化し科学が発達して、幽霊や妖怪(オニ)を信じなくなっていた。昔の人々は、目に見えないものや超自然的な存在を恐れ、敬い、自然を崇めていたが、人々の恐れるものは別のものへと移り変わってしまった。良い意味でも悪い意味でも、人と物の怪との繋がりは絶たれてしまったのだ。  唯一、人と繋がれるとしたら、それは「空蝉の姫」と言う物の怪の妖術が効かず、こちら側を認知出来る存在だけだ。  ――――茨木童子は唇を噛み締めると拳を握りしめた。 「私には……! 空蝉の姫など、ただの人間の女(エサ)にしか見えません。女などお側に置いて一体何の役に立つのです? 床入れなど、朱点童子様はお困りにならないでしょう」 「はぁ……。全く男色家でもないのに、お前の女嫌いは筋金入りで困ったものよの。一度でも女の肌を知れば愛しくなり、その思考を知れば敬いたくなると言うのに」 「女に恨まれて鬼になった貴方様が、何を仰るのか」  茨木は、僅かに頬を染めると反論するように言った。槐の指摘通り女は知らないが、実母の顔がよぎると思わず、苦虫を噛み潰したような表情になる。『空蝉の姫』という存在が、人間の中でも特別だと言う事は、時折、風の噂で聞いた事があった。  女嫌いの茨木にとっては、下らない迷信であり餌である人間に情を持つことさえ抵抗を覚えていた。吹き抜ける風が黄金のススキの間をすり抜け、槐の髪が波打つと楽しげに笑った。 「その頃は、女心も知らぬ青二才だったからのう。ともかく、空蝉の(おんな)には手を出すな。もしくるみに何かあれば、例えお前であっても容赦はせん」 「――――朱点童子様、何の用かは知りませんが(みなもと)の末裔がこの土地に足を踏み入れております。源頼光(みなもとのよりみつ)の直系の子孫かと思われます。貴方もご存知のように、人の姿(なり)をしていても鬼を見破る能力がある。ですから……、女にうつつを抜かさず身を潜めて下さいませ。そして頼光の子孫の寝首を掻くのです」  茨木は、空蝉の姫には触れず拳を握りしめて槐を見上げた。銀色の瞳を細めた主人は髪を靡かせながら笑った。 「ほう、頼光(らいこう)の子孫か。戦後に東へ向かったきりかと思っていたが、この地に戻ってきたとはな。しかしのう、くるみがあの『かふぇ』で働きながら絵を描いているのでな、無理に常夜に引き込むのは無粋と言うものだろう?」 「何を、腑抜(ふぬ)けた事を……! しゅ、朱点童子様!」  槐はケラケラと笑いながら背中を見せた。思わず噛み付かんばかりに抗議をした茨木を肩越しに見つめると言った。 「ならば尚更、くるみを守らねばならんな。源の子孫かどういう輩かは分からぬが、何か目的があって戻ったのだろう。それを探らねばなぁ。お前も早くきちんと、くるみに挨拶しろ。あの娘は、俺に相応しく懐が深い女だ」  のんびりと言いながら、羅城門を後にする朱点童子に、茨木童子はガクリと膝を落とした。源頼光に討伐され、瀕死の重症を負った主人を助け出したのは家来である茨木だ。その後、頼光四天王の一人、源綱(みなもとのつな)に追われて片腕を切り落とされたが、朱点童子の容態が回復した頃に、腕を取り戻した。  茨木は、自分の腕を不意に触りながら遠い過去の事を思い出した。  幼き頃から、人とは違う不思議な能力を持っていた。未来を見通したり、手を使わずに重い物を動かす事が出来るという能力は、幼いながらも、普通の人間には備わっていない異様なものだと言う事は、村人から向けられる化け物を見るような眼差しで、良く分かっていた。  特に、実母から向けられる目は殺意にも似たもので、我が子とは思えない、鬼の取り替え子だと、度々折檻(せっかん)を受けていた。思えば父親が早くに死に、未亡人だった母に良からぬ噂が立ったのだろう。  そんなある日、茨木は山に捨てられた。彷徨い歩くうちに、額に小さな角が生えてきている事に気付いた。 『こんな所で何をしておる。ほう、小僧、さては鬼になったか。名前は何という』  派手な着物に青と黒の混じり合った長い髪を靡かせた、美しい鬼が立っていた。彼の背後には男女問わず、様々な鬼がいた。その総大将だろうか。二本角が額から生えたその鬼を見ても、茨木は恐ろしいとは感じなかった。切れ長の銀のような瞳も飄々(ひょうひょう)とした態度も、自信に満ちていて目が離せなかった。 『――――(みやび)』 『俺は槐だ。人は皆、酒が好きな酒呑童子(しゅてんどうじ)やら生き血を(すす)朱点童子(しゅてんどうじ)などと言う。雅よ、俺の元へ来るか。鬼として相応しい名を与えてやる』  人とは異なるというだけで、忌み嫌われた茨木にはあの村になんの未練も無かった。自分を恐れ、暴力を振るう母親には憎しみしか無かった。だからこそ、こうして鬼と化したのだ。もはや、人間として生きる道など残されてはいなかった。 『槐様、どうか……俺を家来にして下さい。お役に立ちます』  茨木は自然と頭を垂れて泣いていた。鬼として気味悪がられたり、罵られたり、恐れるような事は無い。この朱点童子と名乗った鬼は仲間として自分を受け入れてくれようとしていた。  ここでは、自分は生きていても良いと受け入れて貰えるのだ。 『来い、俺の家来になるが良い。こいつ等もお前の家族だ。そうだな、名は茨木童子で良かろう』  憎しみで鬼になった茨木だが、槐を兄のように父のように慕い重臣として着実に実力を付けていった。だからこそ、空蝉の姫の存在が腹立たしくもあった。槐と同じく美鬼の茨木であったが、人間の頃に受けた苦しみを忘れる事が出来ず、女に嫌悪感を持っていた。その美しさに魅了された人間の女が寄ってきても全て、喰い殺してきた。 「やはり、あの女の化けの皮を剥がして始末せねば……。そして源一族を根絶やしにしてやる」  空蝉の女が一体なんだと言うのだ。あの女の化けの皮を剥がしてやれば、槐も目を覚ますだろう。茨木の姿はみるみるうちに人へと変わる。銀の髪を隠す事は無かったが、現代的な黒一色の服装と、洗練された美しさは随分と田舎では目立つものだった。ふと、居心地悪そうに茨木は溜息をこぼした。 「洋服は好かぬな……」 ✤✤✤  高級ホテルの眼下から見える羽虫のような光の洪水を見てめていた男が、ゆっくりとブランデーを置くと、スマホを取り耳元に当てた。冷たい横顔に埋まる黒い瞳は、一度も瞬きせずに外を眺めている。 「渡辺か。そちらの鬼も全て駆除できたようだな……ご苦労さま。先方の期待にも答えられたようだな。これで、安心して開発が出来るだろう。鬼は殺さず次に使え。退に使える」  スーツ姿の男は眼鏡を押さえると目を細めて言った。 「ここは楽しいぞ。あちこち鬼の気配がしてる。だな」  そう言って笑うと、口端がつり上がった。
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