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ポーン、と軽い音がして、投げやりに視線を上げる。残照が後退した青紫の空に、サッカーボール大の火の玉がパッと現れて、消える。コマ送りのフィルムの中に、1コマだけ紛れ込んだバグのように、ほんの一瞬、2、3秒だけ。
――パ、パ、パン
錯覚を否定する破裂音の連発に続いて、赤紫の菊花が3輪。先程の幻が現れた辺りの遠景に重なって、中小大と順番に出現した。
そうだよ。今夜は、花火大会だったんだ。
ブルーグレーのビロードみたいな緩慢な流れに瞳を向けて、握った缶チューハイをグビリと傾ける。
誰も居ない防波堤。凪だから波を被る心配もない。下駄を脱いだ裸足をブラブラとコンクリートの先の宙に泳ぐ。
――パン……パパーン
浴衣に潜り込む夜風が、いい加減に酔った肌に心地良い。
今頃、アイツは本命と花火デートを楽しんでいるんだろう。
「……ックショウ。バカにしやがって」
毒づくと、惨めさが増す。ストロングレモンの液体を喉に流す。アルコールは強くない。だけどヤケ酒でも煽らなきゃ、やってらんない時もある。
俺は、本気だった。本気だったから、夏のボーナスを注ぎ込んで、高級ブランドのバッグを贈った。俺が選んだ香りに包まれて眠るのが好きだって言ったから、新作の香水だって海外の直販店からネットで取り寄せて、七夕にプレゼントした。その香りを身に纏った彼女と、今夜――花火デートをするのは、俺の筈だったのに。
『ヒデくん、ごめーん。今夜、ムリになっちゃった。お得意様が、店の女の子全員連れて花火に行くってきかなくてぇ』
『は? だって、一夏ちゃん、今日オフだろ?』
『そーなんだけどお、ママから呼び出されてぇ。――あっ、もう行かなきゃ。ホント、ごめんねぇ、ヒデくぅん……』
ざわめきを背後にした通話は、甘ったるい声を耳奥に塗り込んで、切れた。
だけど――俺は耳がいいんだ。
今時のスマホが拾うマイクの性能も侮れない。彼女が『行かなきゃ』と言う直前、離れた場所から『一夏、始まるぞ』と男の呼ぶ声がした。あの声の主を、俺は知っている。あの店での彼女の地位を支えている、IT企業の若社長だってことを。それで、彼の会社は、俺の勤める広告代理店の大口取引相手だってことも。
「所詮、高嶺の花……身の程知らずの恋だったんだ」
男としての格の違いを見せつけられた。精一杯見栄張って、小千谷ちぢみの浴衣を新調したのに、彼女の目に映すことさえ叶わなかった。
――パーン、パパ……パーン
ドオォォン!
「わっ?! なっ……なんだあっ!」
遠くの花火音に続いて、ごくごく身近で落雷のような轟音が響いた。微かに縦揺れの衝撃もあり、俺の手から銀色の缶がガランと落下した。
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