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「マジ万字【対談企画第一弾 【りふる様】編」
本編「書評シリーズ」とは少々趣を変えて、対談、座談会、書評会などを企画しております。
その第一弾に、万字界の「ロジャー・クレメンス」(野球、メジャーの投手で最も価値のある賞、サイヤング賞を七度受賞(歴代最多)したスーパースター)こと、りふる様と対談させて頂きました。
その前に、この【対談】などの企画主旨を説明させて下さい。
自己紹介も含ます。
私の書評の中心は「構成」であると、どれか一つの書評をご覧頂けました方なら御存知かと思います。これは単に、私の得意分野だからです。そう申し上げますのも、若い頃、数年ほど某事務所で修行をしていましたが、これは「構成作家」の事務所です。
こうした企画を考えるのが、そもそもの夢です。
なんでこんな事やってんの? などと思われるかもしれませんが、好きなんです。単純に。
そしてその後、一般就職して以降は、ガチガチの「営業職」です(書籍ではありません)。それなりの実績も持っていますし、歴も長いです。
幻冬舎の箕輪氏が「書籍が売れないのは、売り方を知らないから」と仰っていますが、全く同感です。多くの出版社が書店平積み前提で考えているのは古すぎます。広告打たないと売れないとかも同じです。(費用対効果の点では特に)時代について来れていないだけです。
商品を売る方法は一つしかありません。
飛び切り良い商品を作る!
ではなく!
価値で売る。です。
これは営業の神様「ジョー・ジェラード」の言葉で、「物を売るな。価値を売れ!(もしくはニーズ)」からきていますし、実際の現場で毎日確信します。
物売りをしてしまうと、価格競争に巻き込まれ、安定供給の安ものでしか勝負できません。営業マンが契約不成立時「いや、金額で負けまして」とか言っていますが、嘘です。本当は売れるけど仕事量の調整をしたいから誤魔化しているだけです。本当に売れないのであれば、営業には向いていません。
では、「価値」とは何でしょう?
これは勝間和代さんが明示しています。
「私が有名になればいい」
その通りです。
付加価値は、ここです。書店に平積みされる本を探す購買層より、「この作家さん面白いなぁ」とテレビやユーチューブを見る読者層の方が桁違いに多いのです。
と、まぁ、これ以上は営業プロセスの話になるで割愛しますが、どういう作家さんがこれを書いているのだろう? というのは、読者にとって最も大きな興味で、信頼になります。
ええー、対談とかちょっと嫌なんだけどぉ……。
というのはあるかと思いますが、決して悪いようにはしません。
「書評」とは、作品へ付加価値をつける作業です。ノリノリでやってみてください。
そんな前説は何もせず、「対談しませんかー?」と言ったその場で「OK」を頂きましたのが、りふるさんです。後、次々回を予定している樫村さんです。というか、レギュラー陣の皆様、全員即答での「OK」で、「マジ度」の高さに驚きました。(数人拒否されるかな……とか思っていましたが、現状皆無です。さすがです)
という事で、対談特集! 行ってみましょう!
【 りふる様 対談 】
今回、りふるさんとのディスカッションを想定した時、一番聞いてみたいものが、「主義主張」でした。
毎度出てくる「剛速球投手」の例えですが、これは単に「個性」を示しています。他の人が同じものを書いても、絶対に! 同じ風にはなりません。
剛速球さんが匿名で出されても無駄です。一目で分かります。これはもう計算云々ではなく、天性の才能です。
色々なタイプの剛速球さんがいらっしゃり、一人として同じ球は投げない方々ですが、中でも爆速を投げられるのが、「りふる」さん。ミットが焦げつく、いや吹き飛ばされる程で、三振のはずがワイルドピッチになるという、漫画に出てくるような剛速球投手です。
小手先は無駄でしょう。
今回は
https://estar.jp/novels/25627763
こちらのエッセイから抜粋した質問になります。(もう序盤の会話口調からして、才能が溢れ出しています)
率直に訊きます。
(以下、敬称なし)
水谷「人間の『集団』について、どうお考えですか?」
りふる「例えて言えばペンギンなのだと思います。大勢で体をつけ合って温め
合う。
種族として残るために外側に立つ者は寿命が尽きるのが早いかもしれないけど、中央でしっかり生き残るものがいる。自分たちが自分たちの命を囲う。基本的にはこんなもの。
人間はそこにめんどくさいものを、好んでくっつけ合う種族」
※自分達が自分達の命を囲う。早くも名言です。こういうのが無作為に飛び出してくる辺りが「りふる節」と私が呼んでいる所以です。
水谷「でもそうした自然な死を合理的に解決しようとしたのが『人』の集団という見方もできるかもしれないですね。人の文明についてはどうお考えでしょう?」
りふる「私は『取引』というものを考え始めた時に人類としての明確な文明が始まったのではないかと思う。
「これやるけどそれくんない?」
「うーん、それじゃ引きあわないんだけど。そっちもちょうだい」
生物の世界で『取引』というものは生態的にしか存在していない。
雄が『頑張る』対価として雌が『種を存続させる』。ま、いわゆる人間で言うところのセ・クスがそれ。
『取引』が『欲』という形あるものとして登場し、それが『損益』という形に発展する過程で文明が進んだ。
戦争(争い)は『損益』から発生する。
それはもはや『種』としてではなく、『個』(テリトリーも『個』として考える)の存続(利益、経済上の利)を守るための争いであり、「何か、誰かのため」という大義名分を纏うことにより正当化されていく。
ここに人類の弱点がある。
『誰、何のため』、これをかざし種が種を滅ぼすことを意図的に【正義】という偏った名詞で正当化する。
人類は人類のみで滅びればいいわけで、他の種を巻き込むのは傲慢としか言いようがない。
己も人類という種の一部である、という視点に立ち、他種属からの糾弾を受ければ、人類擁護の立場に立つと思いますが、それはあくまでも利己的な考えであると私の中の私は冷たい目で見ているかと。
真にバランスのいい生き方と言うのは、ペンギンでいいと思う。
生きる時は生きて、しぬときはしぬ。
決して生存を否とするのではなく、あるがままを受け入れ、あるがままに終わる。
生の『バランス』に、『意図』は不要である」
水谷「非合理主義ですね。この世の中で『不自然』だと思うものはありますか?」
りふる「『笑顔』ですかね。偽物の笑顔。
街頭インタビューなど見ると、外国人は真剣な話題に対して笑いながら話すのを見ることが少ないです。
そこにいくと、日本人は恥知らずなほど笑顔で答える。
誰誰が亡くなった、自殺した。
「ええ、うっそー」
「わ、ショック!」
そして口元を押さえながら笑顔を浮かべる。
あれが大嫌いで、不自然極まりない。
他人のことになると笑う。
と、書いたものを読み直すと私は穏健派ではないですね(笑) この(笑) をつけるところが、私は日本人的なのかな」
水谷「今出てきたキーワードで、実は一番訊いてみたかった部分【正義】があります。正義って、りふるさんにとっては何になりますか?」
りふる「あいにく専門書は読まないようにしております。
漁りかけた時期はありましたが、自分の中にレールを敷くことを拒みました。
誰かと同一とか似てるとか、それは誰々の思想であるとかまたは人の考えを基に自分を作っていくのを好みません。
私の言葉は私発信のものです。
間違いがあるとかないとかではなく、自分の考えを極めて行きたい、追求したいと日々思っています。
それを物語に注ぎ込んでいます。
漢字、言葉の意味にはこだわります。言葉は文明の集大成だと思うからです。
辞書で調べるということだけではなく、そこに自分なりの解釈を入れて行きたく思っています。(正義)
これについては作品の中でもたびたび取り上げています。
正義に平等はありません。
強い力を持つ方の正義が勝ちます。
それだけのものです。
正)
ただしいこと
間違いがないこと
義)
正しい
道理にかなっていること
正しく行うべきこと
人に尽くすこと
つまり、基準点が無いものです。
そこは人々のより良き裁量に委ねているという感がします。
「我が正義は道理に適っている」と言い切ればそれが正義になります。
戦時中の国家がそれであり、ナチスがそれです。
あの正義を認めないなら、どの正義も認めないということで初めて平等になるかと。
戦時中の国家、ナチスを正義と言いたいわけではなく、結局は人が決めるものであり、己の中の正義により近い方に軍配を上げるというもの。
ゆえに、正義は平等ではありません」
水谷「となると、逆説的に、【正義】は無いと」
りふる「私の中での正義は、『正しさを保とうとすること』です。
その姿勢を持ち続けることが出来るかどうか。
その一点に尽きます。
なぜなら正義を貫くことは不可能であり、正義であると旗を掲げた時点で、それは正義ではないと思うからです」
水谷「正しさではなく、主義に変ってしまうという事ですね。そこに『正』を付けるのは傲慢としか言いようがありませんね」
りふる「『正』という字が物語っています。「間違いがない」その意味に因ります。
間違いの無いものはこの世に存在しない。
これは私の中の固定観念です。
間違いは、多分生きていく限り必要不可欠なものではないでしょうか。
生きていくということは、間違いを犯さないようにすることではない。
寧ろ、一つ一つの突き当たる間違いに対し、なぜ間違いなのかそこを考え生きていくことの方が良いと思います。
全ての間違いを同じレベルで考え込む必要はなく、ただそれ以前に考えたことより1ミリ多く考えて行けばいい、そう思うのです。
自分の間違いが許せない人は、人の間違いが許せません。
人は、間違える。
努力はしよう。
けれど、間違うことで自分を縛るのはやめよう。
いいじゃないですか、歩き直せるということは幸せなことです。
もう一度初めからというのはチャンスです。
自分が出来る。そうではなく、そうありたい、そういうことです。
詩でも書きましたが、私は『発展途上の人間』です。
いい人であろうとする『発展途上の人間』。
綺麗ごとを言い、その中身が少しでもその外側に相応しいものになるよう、心を持ち続ける。
綺麗ごとを蔑視するより、それを掲げて目標にする。
その考え方が自分では好きです。
『正義』は、曖昧さを嫌います。
YES or No これが正義です。
結論。
『正義は人を脅かすものである』
『正義は平等ではない』
『あなたの正義と私の正義が同一になることは無い』」
水谷「本当は【悪】についても訊こうと思いましたが、さすがです。【正義】論の中にこれが入ってしまっていますね。またの機会に別途お話ししましょう。今回はお話頂き、ありがとうございました」
りふる「また何かテーマ出来たらよろしくです!」
ノーカット版は
https://estar.jp/user_groups/8799
こちら、『ガチ対談部屋 (りふる様用)』よりご覧になれます。
今回の対談で絶対に欲しかったポイントは、以前より申し上げております「りふる節」です。
心配はしていなかったのですが、最初からトップギアで四速入っていました。
これが、りふるさんの一番の魅力で、アクセルを踏み込んだ瞬間から速攻でトップに入ります。これが作品中でも常に見所になっています。これがくると「りふるさんキタ―――!」ってなる読者はかなり多いはずで、絶対無二の才能です。誰も真似できません。
これができるのも、堂々たる信念の裏付けがあってこそです。
因みに、今回「正義」を主題にあげたのは、現在(作者曰く)
「力を入れている作品!」
https://estar.jp/novels/24921804
こちらシリーズ。以前「キャラクター編」でご紹介したシリーズが現在進行しており、こうした善悪論はきっと出てくるだろう! という内容です。ですので、背景にこのような思想があると宣伝したかったのです。
作家の背景情報は不要だ! という方も、この記事は読んでおいても損はないです。その時になれば、別の「節」が出てくるはずです。これを読んだくらいで、ネタが枯渇する作家ではないですよ、りふるさんは。
※文中(対談中)に「セ・クス」「しぬ」などの直接的な言葉が出てきており、編集で修正を加えるべきかもしれませんが、回りくどい表現を一切排除する分かりやすさと力強さこそ「りふる節」の真髄かと思い、敢えて私がお願いして残してもらいました。ですます調の混在も敢えて修正していません。その表現を残す為です。(非難があれば、私へ)
前置きあったので長くなりました。御堪忍を。
---- 次回予告 ----
(この企画は不定期開催です)
次回「BL座談会」予定
次々回 「対談第2弾 樫村さん編」(ナツイチ終わったら)
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