39人が本棚に入れています
本棚に追加
「マジ万字企画 【 第二回 BL 】編 書評①」
まず、今回、募集企画にて投稿して頂きました皆様へ、多大なる感謝を申し上げます。
思い起こせば、第一回「BL」編。この万字企画を思いついた時の想定では「内容をちゃちゃっと説明して、良いところを話そう」なんて軽き気持ちで始めました。
しかし、実際に募集し、瞬時に枠が埋まり(たぶん十五分くらいたっだはずです)、よし読むか! 読んでみて「めっちゃ熱いやん!」、熱量に圧倒され、これはマジでやらな! と、マジで書いたら「これ感想じゃないね、書評だ」、となって書評を書き始めた結果、自分でもBLを書き始め、やってみたはいいが「これゲイしかやってなくね?」と気づき、再度「BL」を募集したのが、今回の募集経緯です。
常連様、毎度御新規様にも多数参加して頂き、隔週ではありますが熱意を毎度吹き込んで頂き、その上、コミュニティの方での「感想戦」も有意義な対話をさせて頂き、ライフワークにしたいくらいの感慨を得させて頂いております。
それもこれも、「BL勢」の熱量が他を凌駕しているからです。
「BL」にこれほどの熱量があると、世間は気づいているのでしょうか? いや、無いでしょう。想定はしているかもしれませんが、それは所詮想定です。(BL主体のエブリスタだから、は論外です)
先日投稿致しました「座談会」において、概ね、普通の作品を作られている作家様と同じ視点で創作されている事は御理解頂けるはずです。
つまりは「いちジャンル」に過ぎないのです。
であれば、なぜ、BLの領域が「オタク文化」の一形態に過ぎないと、世間で認識されているのでしょう?
川端康成が存命なら、必ず書いていたはすです。三島は書かないでしょうが、太宰が居たら書いていたかもしれませんし、(私の予想では)夏目漱石は絶対に触れていました。
漱石は怪物です。あの怪物が「リアルにも創作物にも抑圧されたテーマ」を、見逃すはずがありません。
プロ、アマ、文豪、初心者問わず、BL特有の絶対的権利を看過するようでは、感性が足りません。
要は、有名作家が居ない。この一点のみで、抑圧を受けているに過ぎないのです。読める人は、必ず読めます。読めない人でも読めます。
それを体現できる作家が出ていない点だけが、唯一の欠点です。
となれば、ここはビジネスチャンスのゾーンです。
宮部みゆきクラスの著名作家が参戦してしまえば、瞬く間にムーブメントを作られてしまうので、その前に波を起こす必要があります。
その機会が、今です。
※ アメリカの「差別主義者を差別する文化」の形成から推測して下さい。
私達、創作に憧憬と熱意を燃やす人間達にとって、今、一番熱いジャンル。
やるなら、今しかない!
今を逃すと、「BLなんか興味ないけど、流行ってるから」的な思想の、中途半端なプロが雪崩れ込んでくる可能性が大です。
なんの話してんの? って、感じでしょうが、私的に「この十年以内に必ず来る流れ」の推測で、というか、現時点がその火の起こしどころだと思っています。
今だから、BL!
今こそ、BL!
コンプラでガチガチの出版社にはキツイでしょうから、私が宣伝します。
BLなめんなよ!
早くも熱の入り過ぎた勢いで初めていきます!
【①】『DIAMOND PANTY-LINE』 著:丸衣 愁 様
https://estar.jp/novels/25723188
こちら「短編」特集にて「後日枠」にてご参加頂きました作品です。
BL作品ではありませんが、途中までBLだと思っていたほど雰囲気が近かったので、今回一緒に掲載させて頂きます。
たぶんお若いか、書き出し作家様かと思いますので、幾つか書きますが気にせず創作に没頭して下さい。
内容ですが、二人の少年、少女が話をする。
というもの。
まず構成から。
以前も書きました「起承転結、省き」=「詩」の形式です。「起」と「転」が省略されている形式です。
これは、詩と同じです。
前回も書きましたが、少し掘り下げると、詩や散文のメリットは「会話」や「格言」のキレ味が出ます。もしくはボヤけた表現でもなんとなく成立します。なんとなくで成立するのは「起」と「転」が無いので、作品構造自体が根本的にボヤけているのです。構造的にボヤけているので、文章であったり会話であったりの部分的な魅力を見せる事ができます。
最大のデメリットは、何をやっているのかを伝えるのが非常に困難な点です。男性が詩を苦手とする最大の理由です。
本作は、このメリットデメリットが当て嵌まっていました。
良かった点としては、会話が独特で、何の話をしているのかは分かりませんでしたが、二人の関係に恋や愛とは別の、退廃的な友情があるという事が伝わってきて、世界観がしっかり構築されていそうな気配があり、心地よい読後感がありました。
同時にデメリット部分も顕著で、なんの話をしているのかが分かりませんでした。世界観も構築されているはずですが、これを伝える文脈が無く、正直なところ、主人公が少年なのか少女なのかも分かりませんでした。
伝わらない理由は、人物紹介かつ物語の進む先を提示する「起」が無いからで、また、物語を終わりに導く「転」が無いので、この物語がどこから始まってどこに向かうのかが読者には把握できないのです。
こうした特性のメリットデメリットは、これを「理解した上で」、どの様に活用するのか? そこが作家の腕の見せ所ですね。
今作でも、退廃的な世界観とその中で逞しく生きる少年少女は立っていましたので、これはこれで良いものでした。
まだまだ伸びしろのある作品で、やはり一番は感性を研ぎ澄ます事かと思います。現状では「合う人にしか合わない」ので、合わない人の目を強引にでも向けさせる個性が出てくると、より広い範囲の読者にも読まれていくはずです。
会話の感性に独自性がありましたので、ここも伸ばしていって欲しいなぁと思いました。
【②】 『コーンフレーク論考』 著:樫村 雨 様
https://estar.jp/novels/25552714
BL祭り! 先頭バッターは「試合職人」、樫村様です。
んん。
今頃、不眠不休でタイピングしてるんだろうなぁ(ナツイチ締め切り前なので)。だから、余計な負担はかけたくないなぁ。
これ書いちゃうと、負担になるかもなぁ。
とは思うのですが、書きます。この辺りで忖度するようでは「マジ」の精神に反しますので。
凄く良い作品でした!
これも今書くべきでは無いのですが、樫村さん、執筆の方向性がブレているんですよね。これは悪い意味ではなく、「模索中」という意味です。
作風の方向性にブレはなくて、それに対して確実なヒットは打てるのですが、はみ出した個性の方向性が毎回違うのです。
私的に今でも「バレリーナ」が一番良かったと思う点は、そこに執着があるからです。どうにかして「バレエ」の面白さを伝えたいという執念が垣間見えて、そこに感動するのです。
執着にブレがあるのは、「書きたい物」に焦点が定まっていないからでしょうか。
実は私も全く同じ状況で、今は「BL書きたい」と頑張っていますが、その次は「ミステリー」で、その次は「戯曲」で、その次は「SF」の続きで……、と半年先までのプランが決まっていたりします。
書きたいジャンルが、いまいち定まっていないから、こういう事になります。とり合えず一通りやってみて、その中で合っている物を探し当てよう! って感じがけっこう見えます。技術班ならではの感覚かと思いますが(笑)
こうした感覚があるはずだ! 前提で、書評させて頂きます。
恋愛をテーマにした作品では、今までで一番良かったです。構造的な面を話すのは止めにして、感性的に話すと、構造的背景が定まっているから感情面を書きやすい、ですよね?
「BL座談会」での私の想いと同じです。
樫村作品のニュアンスは「アンニュイ」であったり「ふんわりとした」と言った柔らかな作風なのですが、この中で恋愛を書こうとすると、構造的に硬化したガチガチの抑圧が必要になります。
それが「BL」には最初から備わっています。
「世間体」という絶対的な抑圧があります。
こうした強固な背景があると、「ふんわり派」は動きやすくなります。「バレリーナ」でも「貧富」という強固な背景があるので、筆のノリが良く見えますし、実際そうでしょう。
本作でも物語のテンポは今までの作品よりもゆったりでしたが、だからと言って停滞感がある分けでもなく、向かっている場所が明確ですので、読者としても力む事なくゆっくり読めて、余暇に読むには適した作品になっていたと思います。
樫村さんの文体には、とても合っている作品になっていましたので、読みやすく、評価も高いです。
(②)へ
最初のコメントを投稿しよう!