道のど真ん中で

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 二人の女子高生が、手をつないで歩いている。  一人は茶髪のショートヘア。もう一人は黒髪のロング。  茶髪の少女は前髪を分けて横に流し、黒髪の少女の前髪は眼の上。後ろ髪は二人とも多少梳いてある程度で、何の飾りも変哲もない。  茶髪の少女は普段は穏和そうに見えるだろうその茶の瞳を、今日は不機嫌に曇らせて。黒髪の少女は長い睫毛の大きな瞳を勝ち気そうに、普段よりさらに愉快気に輝かせていた。  お揃いのセーラー服。  同じ学校の、同じ制服。  なのにどことなく意匠が違って見えるのは、各々の個性のなせる技なのか。  茶髪の少女はつないでいない方の手に学校指定の鞄を持っていたが、黒髪はどういうわけか手ぶらだった。  茶髪の少女の名は花乃。  黒髪の少女の名は紗江子。  それなりの晴天の下、二人の少女は手をつないでいる。  「一体なにを企んでいるんだ……」  「好きな人と手をつないで歩きたーいv てのがそんなにオカシいのか?」  花乃が半眼でげんなりと言い、紗江子はげらげらと一笑に付した。  「おかしいとは言わないけど……」  花乃は紗江子と結ばれている自分の手を見やる。  「いや、おかしいだろ」  そして真顔で言った。  二人は手を繋いでいたが、同時に、文字通り『結ばれて』いた。  重ねられた二人の華奢な手のひら。  その手首の上から赤いひもがぐるぐると巻かれ、簡単には解けないであろうことが一目で分かるくらい、がんじがらめにされている。  「どこの恋人同士が、こんな道のど真ん中でぎちぎちに縛り合ってるんだよ」  「オレは、束縛もひとつの愛のカタチだと思うぜ」  「そういう比喩を言ってるんじゃない!」  あーもう、これリボン駄目になっちゃうじゃないか……、と花乃が手首を持ち上げて呟く。  二人の手首に巻き付いているのは、正確には紐ではなく、細い紐リボンだった。  セーラー襟の胸元へ、花乃が今しているように蝶々結びにして垂らしておくのが本来の使い方である。  紗江子のリボンは手首に結ばれているので、無論彼女の胸元には何もない。  「まぁ聞け花乃」  紗江子は腕を組もうとして、  「いたっ、いたた」  花乃の腕が一緒に持ち上げられたが、かまわずそのまま組んだ。  「これは平和活動ってやつだ。オレとお前がこうやって赤い糸で結ばれている限り、世は全てこともなし」  「いたいって!」  「お前みたいな平凡を絵に描いたらこうなりました的な女子高生でも、オレのそばにいればご町内の平和に貢献できる訳だ。さすがオレ。ありがたがれ。そしてオレ様を称えひざまづけ」  「聞けよ! いたい!」  「あーだからアレだ。要するに略すとPKO的な? 町内だからTKO? ん? テクニカル・ノック・アウトか! なかなかだぜ! まさにこれぞこともなし! オールオッケーだな!」  「もういい! もう聞かなくていいから、せめてこっちに通じる言葉で話してくれよ!」  オールオッケー☆ と何故か紗江子がウインクして繋いでいない方の手指を一定の形にしたので(世に言うオッケーサインらしい)、結果的に花乃の腕は解放された。しかし手首はまだ解放されない。  紗江子は上機嫌で街中を下校していく。  花乃は呆れ顔で引っ張られていく。  (まぁ……いいんだ……)  花乃は思った。  (紗江子の奇行はいつものことだから……)  出会いから二年半。黙って立っていれば血も凍るような美少女であるのに、中身のせいで奇々怪々になっているこの相手に対して、いつものこと、で済ませてしまえるようになった。  よく考えるとそれもすごい。昔の自分ならきっと出来ないだろう。この年月の間にだいぶ訓練されてしまったようだ。  (平凡な私をそこまで適応させてしまう紗江子って……)  かなり呆れながら、紗江子の横顔を見る。  漆黒の睫毛。薔薇色の頬。容姿だけなら完璧な横顔だ。  (……ん?)  まてよ。ある疑問が浮かび上がる。思わず隣に問いかける。    「それってもう、平凡じゃないんじゃないか?」  「あっ! クレープ屋! クレープ食いて!」  往来に現れたピンク色の可憐な店舗に向かって紗江子は突進し、花乃はつんのめって手首のリボンが肉に食い込んだ。  「聞けよ! 頼むからやっぱり聞けよ! てゆかもう解いてよコレ!」  「おっさーん! オレこれにするぜ! コレにさ、ところてんと酢豚足せ!」  「入って二秒で店員さんが困るようなこと言うな! トッピングだってメニューの中から選ばなくちゃいけないんだよ!」  当然のように無体な命令を下す紗江子に、花乃は条件反射で常識的なつっこみをして、そうしているうちに自分の疑問を忘れた。  なんとかかんとか注文を済ませ(いちごスベシャルにデラックスほにゃららとかいうトッピングをした壮絶なクレープ)、店員さんが焼いてくれるのを待つ。  「めずらしいな。紗江子が買い食いなんて。でも私、今日お財布に五百円しかないよ」  紗江子が当然のように二つ注文したので、花乃は少し不安になって訊いてみた。  「え……? うそ……? 花乃が貧乏人なのは前からだけど、そんなに可哀想な感じなの……?」  うざい反応が返ってきた。訊いた自分がばかだった。  「その口調ぜんぜん似合ってないから……」  なんとかそれだけ絞り出す。  五百円以上もするクレープなんてセレブな食べ物見たこともない。実はトッピングを加えてもギリギリ足りるのではないか?  と一縷の望みを繋ぐためにメニューを見ながら計算し始めた花乃の横で、紗江子が突然言った。  「今日の奴らはカタギには手ェ出さないんだよ」  「…………」  紗江子の方へ向き直ると、彼女は口の端をつり上げながら、花乃と繋いでいる手を持ち上げて見せた。  「カタギ……ねぇ」  生まれも育ちも性格も、派手な彼女には敵が多い。「敵」、が何なのか花乃には未だによく分からないのだけれど。  「いつもみたいに返り討ちにすればいいじゃないか」  返り討ちにしているところなんて見たことないのだが、多分そうなのだろうと口にする。  「それとも今日の人たちは紗江子でも負けそうな位の実力者なのか? こんなクレープまで用意して」  少し皮肉混じりに言ってみる。制服に、クラスメートに、帰り道の甘いもの。そんなに女子高生アピールしてまで避けたい相手なのか。  紗江子にそんな相手なんか、いるのか?  「だってオレ今日、二日目なんだぜ?」  精一杯の挑発は、しかしあっさりと返された。  場が一瞬静まり、そして慎ましく、何も聞かなかったと言いたげに元に戻った。  「なんだぜ、じゃないだろ!」  思わず叫んでも、紗江子はしゃあしゃあと言ってのける。  「だってかったりーじゃねーかー。なんでオレ様がそんな日まで愚民どもの相手してやらなきゃなんねんだよー」  「そこじゃないよ! どうしてお前はそうデリカシーがないんだ、っていうことを言ってるんだよああもういいよ!」  そうこうしているうちにクレープの一つ目ができあがった。その強大な存在感に花乃は思わず圧倒されたが、紗江子は嬉々として受け取る。  そして勘定の段になってはたと止まった。  花乃は紗江子を見た。片手には巨大クレープ。もう片手には自分の手。  「…………」  紗江子は少し思案したようだったが、うんとうなづくと当然のように命令した。  「スカートのポケットにカードが入ってるぜ。花乃」  「私!?」  花乃がつっこみを発動したときには、紗江子はもうクレープにかぶりついている。  今度は花乃が思案した。  それは紗江子の制服のポケットに、私の手を入れて中のものを取り出せということか?  思わず顔が熱くなった。  な、なんだそれ。そんな恥ずかしいこと。  しかしそこで困ったような表情の店員さんが目に入った。  放っておいても、紗江子は自分で会計をすることはないだろう。今ここで自分が紗江子のカードを取り出さなければ、店員さんは働きに見合う報酬を受け取ることができない。いや、直接店員さんの時給になるわけではないのだろうが、お仕事の妨げになっているのは事実だ。  「くっ……」  花乃は悔しげにうめいた。  やるしかない。自分が。  繋いでいない方の手に握っていた鞄をいったん床に置く。そして紗江子と向き合うように回り込んだ。  「…………」  一瞬そこでひるんだ。紗江子はむしゃむしゃとクレープをむさぼっている。人がこんなに恥ずかしい思いをしてるっていうのに……と苛立ちを覚えたが仕方がない。  ええい!  心の中で掛け声をあげて、半ば自棄に紗江子のポケットへ手を入れた。  プリーツのひだの間、一見では分からないように隠されたスカートのポケット。  自分の着ているものと同じ布の触感。しかしこんな体勢でポケットへ手を入れたことなどない。まして他人のポケットになど。  その時、布越しに、なにか温かいものが触れた。  思わず体がびくりと反応する。  脚だ。  紗江子の、なめらかな脚。  反射的に紗江子の方を見ると、紗江子はにやにや笑っている。  「…………!」  かあっと頭に血が昇るのが分かった。  必死に指先で硬いカードを探り、掴むと大急ぎで引っ張り出す。そのままの勢いでクレジットカードをレジへとたたきつけた。    「おかしいよ」  花乃は言った。  「おかしい」  クレープ屋を出て、二人は再び街を歩いていた。  花乃の片手には学校指定の鞄。紗江子の片手には特大クレープ。お互いの余った手はいまだ硬くつないだまま、二人は道を歩いている。  「なんでそんなすごいもの、一気に二つも食べられるんだ……」  花乃はどんよりとした眼で砂絵を見た。  紗江子はクレープ屋でクレープを二つ注文したので、てっきりもう一つは自分が食べるのだろうと思っていた。  しかし、実際は違った。紗江子は二つとも自分の為に注文したのだ。  「なんだ、欲しいのか? でもやらないぜ! そんな眼で見つめてきてもやらないぜ!」  「いやむしろ……見てるだけでおなかいっぱいになってきた……」  キラキラした瞳でだが断るしてきた紗江子に、花乃は眼を伏せて頭を振った。  「はぁ……まったく……」  溜め息を吐く。  まったく。訓練されたなんてとんでもない。自分の思い違いだったようだ。やっぱり紗江子にはついていけない。  「おかしいよ」  クレープも、ポケットも、この繋いだ手も。  「…………」  花乃は繋がれた手を見下ろした。赤いリボンでがんじがらめにされた、二つの手。  そもそもやっぱり、これだっておかしいのだ。  「紗江子、もういいだろ。ほどくよ、リボン」  「あぁ? だから言ったじゃねぇか」  「でも、私の家と方角が違ってきたし」  「ここまで来たら普通オレの家まで来るだろ」  「お前にだけは普通とか言われたくないよ……」  そう言いつつ、また繋がれた手を見てしまう。  つきあいが悪いだなんて。  むしろここまでよく付き合えたと思う。  「おかしいよ。こんなところで、二人で手つないで歩いてるなんて」  女の子がふたり。  手をつないで歩いているなんて。  「小さいこならまだしも」  自分たちのような年齢で、手を繋いで歩いたりしない。  赤い紐の絡まる手首。  普通じゃない。  「誰も見ちゃいねーよ」  紗江子は愉快そうに笑った。あんまりあっさりそう笑うので、花乃は拍子抜けした。  そういえばそうだ。  実際、道行く人々は誰も自分たちのことなど気にしていない。  忙しそうに、あるいはのんきそうに、ひとりでもしくは連れだって。  それぞれの道を歩いている。  隣を見れば、紗江子は紗江子でマイペースにクレープを貪っている。  「……たしかに」  花乃は納得した。  自分にとっては非日常でも、世界にとってはそれも含めて日常なのだ。赤い紐も、とんでもないクレープも、繋いだ手も。  平凡な自分には非凡でも、それは、きっと通り過ぎてゆくもので、本当は大したことではない。  「そうだな」  少し、寂しい気がした。  そして気が付いた。  (そうか、私は、浮かれていたんだな)  繋いだ手に。  隣にいる事に。  (まったく。紗江子は、自分が特別なことをもっとちゃんと自覚した方がいい)  そうしてくれないと、平凡な自分には刺激的すぎて。自意識過剰になってしまうではないか。  深呼吸してまっすぐ前を見ると、自然と自分の唇に笑みが上った。自嘲という程ではないが、仕方ないなぁという笑みだ。  (困った奴だな。紗江子も。……私も)  「…………」  紗江子がクレープを口の中でもぐもぐさせながらこちらを見た。  花乃は前を見ながら言う。  「じゃあ、ほら、早く行こう。紗江子の家、山の上で結構遠いんだから」  「誰も気にしてねぇよ。まぁ……」  紗江子は手の中に残っていたクレープを一気に口の中に入れた。  「ん?」  花乃が不思議に思って横を向く。  するとすぐそこに紗江子の瞳があった。  繋いだ手が引かれ、紗江子のあいた手が自分の腰に回される。  紗江子の眸がいたずらっぽく光って、花乃の唇が紗江子の唇に重なる。  ふわりとした感触は、腰に回された手が頭に移動したことによって、もっと強い口づけに変わった。  「ん……!」  紗江子の口の中から、甘いかたまりが移ってくる。紗江子の舌が花乃の口の中へ入り、押し込めてきた。  それがクレープだということを理解するのに、花乃は数秒かかった。  道行く人々が驚いてこちらを見ている。向こうから歩いてきていた人は目を丸くして、通り過ぎようとしていた人は振り返って、話していた人は言葉を失って。  「まぁ、これで超大注目、だけどな」  伏せていた眸をぱっちりあけて、にっこり笑むと、紗江子は再び歩きだした。  手を引っ張られて、花乃も歩き出す。  「無視なんてさせねーぜ!」  明るく高笑いして、紗江子は颯爽と進んでいく。  周囲の人々は動揺しながら、何もなかった風を装いつつ、しかしそうしきれずに、ちらちらと恥ずかしげな視線を寄越す。  「どうだ、花乃」  ぼんやりとしている花乃へ、いつも通りの満足気な様子で紗江子は言った。  「…………」  花乃は鞄を持っている方の手で唇を拭った。そこには白い生クリームが、まぶしいくらいべったりとついていた。  「……。甘……い……」  「だろ! うまいんだぜ! また気が向いたら食べさせてやる!」  はははっ! と紗江子は快活に笑った。  「…………」  花乃は口の中に残っていたものを飲み下した。  唇にまだ紗江子の感触が残っている。  徐々に感情が戻ってくるのを自覚した。  耳まで赤くなるのが分かる。  (……まった……く。まったく。まったくまったくまったくまったく!)  全く! お前は!  そう言いたくて、しかしその後どう続けていいか分からない。  (くそ……っ)  紗江子は、まだニヤニヤ笑っている。  「…………っ」  結局花乃がなんとか絞り出したのは、これだけだった。  「道の、ど真ん中でないならな!」
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