12.限りなき世界

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12.限りなき世界

 “時間”とは遠く離れるほど速く、近すぎるほどゆっくりと進む。  宇宙へと旅ができるようになった未来では、ちょっとした別れがとてつもなく重要になってくるかもしれない。 『例えば、学校を卒業した子供が思い出にみんなで宇宙旅行に出掛けたいと言います。  母親は落胆ともつかぬ顔で訊ねます。  それはどの星まで? 何日間の行程?  もしかしたら帰ってきた頃、お母さん、おばあちゃんになってるかもしれないわ』 『例えば、夫がある星の産業プラントに転職することになりました。  奥さんは生まれたばかりの赤ん坊を抱いて不安そうに言います。  この子が住めるような環境が整っていない星にまでついていけないわ。  それにあなたが帰ってくる頃、この子のほうが歳を取っていたらどうするの?』  時差がとてつもなく長く大きな距離を持ってしまったら一生会えなくなってしまう。  人間の時間感覚から見て、蝉の寿命がたった一週間しかないのと同様に、宇宙から見れば人の寿命は、それほどまでに小さく儚いものなのだ。  時とは何と不思議で何と切ない。  だから無駄にはできない。一分一秒を大切な人と大事な気持ちを育むために。 ♪ 離れていても平気? そんなはずないさ 心が繋がっていれば平気? 強がってるだけさ 触れていたら安心? その瞬間だけ 声が聞けたら安心? 余韻に浸れるかも どうすれば心は満たされ 穏やかな波間を漂えるかな? 降り注ぐ光に照らされて 君と手を繋ぎどこまでも 永遠なんてないし いらないけれど 星が生まれ 星が流れ 星が消滅するその瞬間 君と愛し合えていたなら 限りなき世界がそこに存在する ♪  スタジオに延々と流れる曲と、譜面や構成資料が散乱する机を前に、手にしたボールペンを弄びながら、達紀(タツキ)はじっと一点を見つめたまま思索に耽っていた。  やがてパッと弾けたように唐突に大声を上げた。 「もうダメ! 頭がおかしくなってきたっ」  そうしてずるずるとソファに沈み込む。  傍らで見ていたディレクターが苦笑をこぼした。 「根を詰めすぎだよ。今日はもう帰って休んだらどう?」 「ん~、そうしようかなぁ。とりあえず一段落したし」  髪を掻き回して溜息をついた達紀は、疲労から重くなった身体を無理矢理起こしてスタジオを後にしようとした。  すると横合いから声をかけられる。 「あ、達紀さん、帰られるんですか? じゃ、ちょっとこれ、よかったら持って帰りませんか?」 「ん~? 何よ」  大きなダンボールを抱えた若いスタッフに呼び止められ、達紀は素直に寄って行った。  ドサリと下ろされた箱の中を二人して覗き込む。 「これ、さっきテレビ局に行ってたんすけど、企画で使ったのが余ってるからってもらったんですよ」  達紀は見るなり破顔した。 「何これ、花火じゃん。たくさんあるね~。何に使ったのよ?」 「さあ、何かは知らないですけど、ラジオ番組だったらしいっすよ」 「ラジオぉ? ラジオで花火やってどうすんの。意味わかんない。何も伝わらないじゃん」 「まあリアクションが録れればいいわけですからねぇ」  苦笑するスタッフに達紀も頷きながら笑う。 「まあな。オレらの番組もおんなじようなもんか。まったくリスナーに伝わんないコーナーばっかやってるし」  本気で自分たちの番組がラジオ番組として成立しているのかどうか心配してしまうのだが、かれこれ十年も続いているのだから、世の中案外、大目に見られている節があるのかなと思ったりする。  だがそれは結果論に過ぎないことも達紀はよくわかっていた。  現実は幸福と不幸、成功と失敗が表裏一体なのだから。 「せっかくなんでみんなで分けようと思うんですけど、達紀さんもどうです?」 「いやオレはいらないよ。やんないだろうしさ。やれる場所ないし」 「外が無理ならベランダでもやれますよ」 「ベランダ! ベランダでやるの!? うっわ~、それって寂しくない?」 「そんなことないですよ~。ようは人数っていうか面子なんですから。一人でやったら寂しいですけど友達とだったら場所は関係ないっすよ」 「ふーん、そんなもんかなぁ」  スタッフの言い分に思わず納得してしまった達紀は、ふと思い出してその気なる。 「んじゃ、やっぱもらうわ」 ((ヒロ)のヤツ、花火やりたいって言ってたしな。けど、わざわざ買って準備してじゃ面倒でも、あったらやる気になるだろ)  そう考えたらちょっと楽しくなってきて、袋に詰めてくれている相手に「あ、これも。これも入れて」と指示している達紀であった。  早朝に帰宅した達紀は、入るなり部屋の明かりが煌々と照らされているのを見て驚いた。 「あれ? 起きてるのかな?」  水槽を置いているためにリビングに顔を出すことが多い宙だが、いくら仕事で深夜帰宅になったとしても眠る時は必ず自室に入るし、創作業務も自室にこもっていたほうがはかどると言っていた。  では今日は何の気まぐれだろうか。 「ひろ~、起きてんのー? お土産もらってきたけど~」  上機嫌でリビングを覗いた達紀は、たちまち落胆の表情になってしまった。  宙がテーブルに突っ伏したまま眠っていたからである。 「どうせなら起きてろよ~。驚かせたかったのに」  手に提げている、袋がパンパンになるほど詰め込んだ花火を見て、達紀はつまらなそうに口を尖らせた。  いつもなら、まあいいかとそのまま放っておくのだが、今日ばかりは違った。  袋を宙にもたせかけるように置くと、腕を枕にして眼だけが見える角度の傍にしゃがみ込んだ。 「ただいま~。たっくんが帰ってきたよ~。お土産があるよ~。宙の大好きなもんだよ~。早く起きないとなくなるよ~」  まったく、こんな間延びしたセリフを耳元で言われたら、うるさいことこの上ないだろう。  達紀の思惑どおり、繰り返さなくても宙の意識は簡単に浮上し始めた。  眉間にわずかなシワができたかと思うと睫毛が震えている。  達紀は締まりのない顔で、宙が目覚めるのをワクワクしながら見守った。 「ひーろ? 早く起きろ~」  やがて瞼が持ち上がりうっすらと瞳が見えてきた。  達紀は笑顔で挨拶をする。 「おはよう、宙くん。お目覚めはいかがかな?」  ぼんやりとした表情で頭を起こした宙は、辺りを見渡して達紀の顔を見止めると、何の言葉も発することなく再び突っ伏してしまった。 「え? お~い、宙く~ん? 起きたのにまた寝るってどういうことだよ。たっくんが帰ってきたってのに相手しろよー」 「……うっさい」 「ひどっ」  大袈裟なリアクションをする達紀に対し、宙は腕に隠れた口元が自然と緩みだしている。  しかし素直に起きてやらない。無視である。 「起~き~て~。あーそーぼ~」  ゆさゆさと身体を揺らされて眉間にしわが寄る。つい口が開いてしまった。 「……なんだよ、どこの子供だよ。おまえ帰ったばっかりなんだろ? ひと眠りしたら?」  眼を閉じたままそっけなく言う宙に、達紀は胡坐を掻くと不貞腐れた声を出した。 「眠たくないんですぅ」  ついに吹き出した宙は肩を揺らして笑ってしまう。  眼を開けて、くすくす笑いながら身体を起こすと、背後のソファにもたれかかった。  同時に何やら倒れる音がして、眼をこすりながら視線を落とした。 「ん? なにこれ」 「花火。余ってるからって、くれた」  達紀は宙がどんな反応をするかとローテーブルに頬杖をついて、その様子を眺めた。 「ふ~ん。これまたたくさん貰っちゃって。こんなにどうすんの?」  冷静に問われてガクンと頭がずり落ちた達紀である。 「もう、何でそんなに淡白なんだよ……」 「え? なに?」 「嬉しくねえの? 花火できるのに」 「そんなおまえ子供じゃないし。やったー花火だーってバンザイして喜べるか? おまえだってテンション上がんないだろ?」 「まあな。花火そのものはどうでもいいんだけどさ」  言外に漂う達紀の気持ちに当然気づいている宙は、微笑みながらもそっけない口調は変わらなかった。 「嬉しくないわけじゃないけど、ま、やり始めたら楽しくなるかもね。逆に恥ずかしい気分になる可能性もあったりして」 「ふふ、かもな」  同意しながら、達紀はふと視界に入った紙面に興味を惹かれた。  テーブルの上にパソコンで打ち出された紙が何枚も広げられていたのだ。 「これ何? 歌詞を書いてのか?」 「うん。適当に思いついた言葉を打ち込んでた。いったん紙に打ち出して字面とか見てるほうが整理がつくからな」 「見てもいい?」 「うん、どうぞ」  達紀は手近にあった用紙を拾って読み始めた。  いくつか読んでいて、どれも似たニュアンスの言葉が散りばめられていることに気づいた。 「これ、みんなテーマ一緒? ひとつの詞を何通りも考えてんの?」 「んー、特に意識してなかったんだけど、ここんとこ“命”とか“愛”とか身近でいて大きなテーマを考えるようになってて。そしたら“宇宙”とか“時間”とか“自然の摂理”とか、どんどん世界観がデカくなってさ。けど、こうやって言葉だけで見るとデカイかもしれないけど、時間って生き物の中にも流れてるものだし、秩序(コスモス)混沌(カオス)が同居してるわけじゃない? それって“宇宙”じゃん。“天と地”を表したり“星の外”を意味したりするけど、生き物が持つ時間のことも“宇宙”って表現される場合があるから、結局は遠いこと言ってて実はすごく近い、おれら自身のことかなぁとか考えてて……」  話がどんどん白熱しかけたところへ、小さく漏れ聞こえる笑いに、宙は現実へと意識を戻した。  達紀が眼を細めてじっと見つめているのに気づいたのだ。  すると突然腕を引かれて達紀の胸に倒れ込んだ宙は頬にキスを受けた。  驚いて見上げると、今度は瞼に唇が降りてくる。 「なに、いきなり……」 「ん? 一分一秒でも時間を大切にしてんの」 「これが?」 「触れていられる時間があるんだったら触れてないともったいないだろ。過去の時間よりオレは現在(いま)の時間が大事。今、宙といる時間が大事」  達紀のまっすぐに見つめてくる揺るぎない瞳は確信に満ち溢れている。  頬から伝わる手のぬくもりは互いの存在の証。  同じ時を生きる幸せがこんなにも愛しい。 「だな。無駄にできる時間なんてどこにもない」  だから今を素直に純粋に生きる。どれほど迷い、どれほど傷つけられても愛を感じられる一瞬を逃すことはできない。  吐息が唇に触れて、宙は眼を閉じる。  そして達紀は素直に応じてくれる相手に満足気な笑みを浮かべてから、優しく啄み舌先で触れると、開かれた濃密な世界へと踏み込んだ。 ♪ 傍にいてほしい? わかりきっているさ 明日も明後日も? 言わなくていいさ 約束してほしい? お願いだよ 世間にも神にさえも? 誓いを捧げて かけがえのない君へ その視線もその声もすべて 深い水底まで沈んで 二人だけの世界に閉じ籠り 漂い続け 彷徨い続け 魂が巡り 命が生まれ ふたたび出会うその刹那 また愛が育まれるのなら 限りなき世界は僕たちの前に ♪  おわり。
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