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13.present for you.
コロンと手の中に転がっているガラスの球体。
表面には雪の結晶が描かれていて、中にはミニチュアの人形で“サンタクロースの森”を模した風景が作られていた。
達紀は中に入っているガラス細工のサンタクロースとトナカイを見つめて小さく吐息した。
「どうすっか、これ」
唇を尖らせて困惑していると、扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞー」
返事をしたら、そっと開かれた扉から後輩たちがわらわらと顔を出した。
「失礼しま~す。本番よろしくお願いします!」
「お~、よろしく」
達紀はガラスの球を箱に仕舞うと笑顔で応えた。
これから歌番組の特番が生放送で行われる。
朝から本番さながらのリハーサルが始まっており、今日は一日中テレビ局で缶詰状態なのだ。
「あれ? 宙くんはいないんですか?」
「うん。リハ終わってから、どっかに行ったまま帰ってこない」
肩をすくめて言うと、後輩たちは残念そうな顔をした。
「そうですか。どこか他のアーティストさんの楽屋に行ってるんですかね?」
「さあ。単純にトイレかもよ? ウンコが出ねぇって踏ん張ってんのかもな」
達紀が悪戯っぽく笑えば、後輩の一人が話に乗ってしまう。
「宙くん、便秘ですか?」
「いやぁ、あいつどっちかと言えば下すほうだけど」
「ですよね~」
このやりとりに他の面々は、そろって溜息をついたり肩をすくめたりして呆れている。
「あれ? これなんですか?」
ガラスの球を目聡く見つけた後輩が指を差して訊ねた。
「ああこれ、ここに置いてあったんだよ」
「置いてあったんですか? 達紀くん宛てに?」
「このカードと一緒に置いてあった」
それには可愛らしい字体で『for you』と書かれているだけである。
「特に宛名は書いてなかったから開けてみたんだけどさ」
何でもないように言う達紀に後輩が慌てた顔をする。
「いやでも達紀さん。差出人不明の物を不用意に開けちゃだめですよ。何が入ってるかわからないじゃないですか」
「う~ん、まあそう考えなくもなかったけど。テレビ局の楽屋って一見誰でも入れそうだけど、パス持った関係者はね。でもオレらの楽屋は事務所の人間が誰かしらいるから、知らない人間が入ってきたら絶対わかるはずじゃない。だからこれは知ってる誰かが置いたんだと思うんだよね」
「そうだとしても、達紀さん宛てじゃないかもしれませんよ? 他の誰かへのプレゼントかも」
開けちゃって大丈夫なんですかね~と苦笑する後輩たちに対し、達紀は椅子にふんぞり返って言った。
「そんなの宛名を書いてないヤツが悪い! カードには『あなたへ』としか書いてないんだから誰が開けたって文句は言えない!」
「そうですけど、ね~?」
後輩たちはお互いに顔を見合わせて頷き合う。
そして一人がポツリと呟いた。
「もし宙くん宛てだったりしたら……」
まずいんじゃないかと思わず固まった後輩たちだったが、達紀はというと、ふんぞり返ったまま箱の中のガラス球にチラリと視線をやって、こうのたまった。
「宙の物はオレの物! まったく問題なし!」
「えぇ~!?」
楽屋中に後輩たちの呆れた声が響いた。
数分後、宙が軽やかな足取りで楽屋に戻ってきた。
「ただいまぁ。あれ? 達紀ひとり?」
雑誌を見ている達紀は顔を上げることなく応える。
「おー。さっきまで後輩のみんなが挨拶に来てたよ。おまえいないから、代わりに伝えといてって言われた」
「なにを?」
すると達紀はおもむろに立ち上がって、気をつけの姿勢を取った。
「宙くん、本番よろしくお願いしまっす!」
カックンと九十度に上半身を傾けてお辞儀をし、勢いをつけて戻れば、今度は背中が反り返るほどである。
達紀のオーバーアクションに宙は呆れながらも可笑しそうに笑った。
「壊れたオモチャみたいになってる」
「オモチャはわかるけど、何で“壊れた”が付くんだよ」
「オモチャの自覚はあるんだ。ま、後輩の気持ちは受け止めましたよ」
「オレの誠意は受け止めてくれない」
むくれる達紀を放っておいて、宙はテーブルに置かれた可愛らしい箱に気づいた。
雑誌やらお菓子やらが広げられた雑然としたテーブルに、リボンをかけられたその箱がやけに場違いに思えた。
しかし、よくよく見ると、クリスマスにちなんだ柊のリース柄の包み紙が微妙に歪んでいる気がする。
一度開けられたものを、また包んだに違いない。
ということは不用意に触るのは憚られる。
宙は一瞬で警戒心をまとった。
無視しようかと考えたが、これを一度開けたのは達紀だろうと思い、正体が何なのか聞いてみることにした。
「達紀、これなに?」
「ん? ああそれ。オレもよくわかんねえんだよ」
あまり関心がないそぶりをする達紀に宙はズバリ言ってみた。
「おまえ、けど、これ一回開けたでしょ?」
「ん? うん、まあ」
歯切れの悪い返事に宙はくすくす笑った。
「なに気まずそうな顔してんの。誰宛てかわかんないのに勝手に開けてマズイって思ってんだろ?」
「いや宛名がなかったから、何も考えなくて開けちゃったんだよ。でも中身は普通だったよ」
「普通って、なにをもって普通なの」
「プレゼントとして普通って意味。開けてみろよ」
宙は挟んであったカードを取り、リボンに手を掛けながら「ビックリ箱じゃない?」と訊ねた。
「いや、違う違う。ほんと普通のプレゼント。クリスマスっぽいやつ」
宙を騙すことなど考えずに、あっさり否定した達紀は宙の手元をじっと見つめた。
やがて中身を取り出した宙は手のひらに乗せて首を傾げた。
「ほんとに普通の置き物、だなぁ。これ」
「でしょ」
「誰からっていう贈り主の名前とかも書いてないの?」
「なーんにも。そのカードが挟まってただけで他に何も書いてない」
宙は左手にガラスの球、右手にカードを持って見比べる。
「『for you』……『あなたへ』。名前を書いてないってことは、直接渡すから必要ないってことだよな」
「だろうな」
「てことはぁ、誰かが誰かに渡すつもりで、ここまで持ってきたけど、なんか用事があったか誰かに呼ばれたかで、いったんここに置いちゃって、どこかに行ってしまったと。そういうことじゃない?」
「だったら、開けちゃったの、まずかったかなぁ」
へらりと笑う達紀は、まったく悪びれているように見えない。
そんな相手に宙はニヤリと突っ込んだ。
「まずいんじゃないの~? 人様のプレゼントを勝手に開けてさ。ヤバイ展開かもよ」
「そんなの今更しょーがない。開けたものはまた包めばいいさ」
そう言って手を出してきた達紀を宙は遮った。
さっきまで達紀をからかっている感じだったのに何やら表情が改まっている気がする。
「手ぇ出して」
「え?」
「いいから、手出して」
「……うん」
宙が何をしようとしているのかわからないながらも、達紀は素直に両手を差し出した。
すると宙は自分もガラスの球体を両手に乗せて、達紀と向かい合う姿勢を取った。
そして達紀を見つめながら言う。
「Mary Christmas, for you」
言葉と一緒にガラスの球体を達紀の手のひらに乗せる。
「え?」
達紀は一瞬茫然としてしまう。
「な、何?」
しかし宙はいたってマイペースに達紀に要求した。
「おまえもやって。おれに返して」
「え? 今の?」
頷く宙に達紀は気恥ずかしさからガラス球を突き返そうとしたが、まっすぐに見つめてくる眼に気押されて思わず居住まいを正してしまった。
ふざけているのと本気とがないまぜになった、でもきっと単純に思いつきでやらせているだけの宙流のお遊び。
付き合うことに慣れっこの達紀は、最初は照れくさく思っていたが今では気持ちをほぐしてくれる一種の愛情表現だと感じるようになっていた。
「え~っと」
意識して真面目な顔を作り、差し出されている宙の両手に球体をそっと乗せながら呟いた。
「Mary Christmas, for you」
「ん」
満足そうに頷いた宙に一応問い質してみる。
「えっと、何なの? これ」
「プレゼント交換。なんとなく、これ見てたら気持ちを伝えるためのアイテムみたいに思えてきて。クリスマスもさ、誕生日とかバレンタインと一緒で大切な人に想いを伝えるための記念日みたいな感覚だから、たとえばこういう物を使って、ただあげるのもいいけど、気持ちを伝えて、また返してもらうっていう方式もいいんじゃないかなぁって、今、突発的に思った」
「突発的にですか。おもしろいこと思いつくなぁ、君は」
「ん~これ、でも」
言いながら宙は、ガラスの球を持ち上げて明かり越しに、カラフルに彩色されたミニチュアのサンタクロースとトナカイを眺めている。
「みんなでやったら、もっとおもしろいかもなぁ」
「みんなで?」
達紀が首を傾げていると、宙は笑顔を向けて楽しそうに言った。
「ライヴ前とかにメンバーみんなで回しながら一言ずつゆってく、みたいなさ」
「ええ~? 球回して気合い入れ?」
「タマって! おまえなぁ」
「いやだってさぁ」
ニヤけた顔をする達紀に宙は脱力した笑いを浮かべたが、再びガラス球に視線を落とした。
「めんどくさいけど、なんか『for you』って言葉がいいなぁって思って。ただ“あなたに”って言うだけで想いが込められてる気がしない? しかも、こう言うだけじゃなくて、何か物を渡し合いながらやると、想いも循環していくような気がしてさ」
「ふーん。じゃ一回やってみるか?」
達紀は宙の手のひらからガラス球を取り上げて軽く上へ投げてみる。
「おいおい、落とすなよ」
宙の慌てた声を聞きながら、達紀はちょっと笑って、そして宙へと軽く投げて寄越した。
「わっ、あぶなっ」
「やる」
「は?」
ポカンと口を半開きにしている宙に向かって、達紀はガラス球を指差して言った。
「present for you」
「…………え?」
茫然としている宙に「トイレ言ってくるわー」と言い残して達紀は出て行ってしまった。
「どういうこと?」
訳がわからず、宙はガラス球を手にしばらく突っ立っていたのだった。
おわり。
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