01 車窓から北陸が見える

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01 車窓から北陸が見える

 そいつは笑っている。薄い唇で。いつも笑っている。  眠るような半眼。(ころも)の内の胸は、女にしては薄く男にしては豊か。両性? あるいは無性。人を超越したもの。  そのものが言う。消せ。消し去ってしまえ。苦しみが続かぬように──                *  浅い眠りから覚めると、列車に揺られていた。  仏像の夢を見ていた。薄い唇で笑う仏像。子供の頃ときどき見た夢を、久しぶりに見た──  頭を振って窓の外を眺めた。 〈永い〉旅だった。東京を発って三日しか経たないのに、もうずいぶん〈永い〉間放浪しているような気がする。  列車の窓のむこうには、くすぶった色彩の風景が流れている。  深い鉛色にうねる日本海。空は厚い雲に覆われ、視界のかなたでぼんやり海と融合し、水平線は定かでない。風が吹き荒み、樹々が色づいた葉を散らしながら身をたわめている。砂地に点在する季節はずれの海の家は、強風にさらわれまいと黒ずんだ体を縮めている。  十月。北陸は、既に凄まじい冬がその気配を見せはじめていた。  荒涼とした風景に虚ろな目に向けたまま、鈴佳正人(すずかまさと)は缶コーヒーをすすった。  大学生活も数か月を残すばかりになっている。学科単位はすべて取ったし就職も内定している。それにしても、なんとからっぽな四年間だったことか。部活動にも所属せず、打ち込むものもなしにブラブラと日を送ってきた。溜まり場になった友人のアパートや居酒屋の喧騒……そんなことしか思い出せない。気づいてみれば、もう卒業だ。一番華やかなはずの歳月を、恋の一つにもめぐり逢えずに通り過ぎてしまった……  鈍色の海を見つめ、遥かに思いを馳せてみる。  未来──そこには、何か血を沸かせるようなことが待っているのだろうか? それとも、これまでどおりの退屈な日々が、だらだら続いていくだけなのか?  未来はあまりに漠然として、どんな像も結んではくれなかった。  窓ガラスに映った自分の顔が、白ちゃけた砂の丘に重なって、一瞬老人のように見えた。  ギョッとして見つめ直すと、もうそれはいつもの顔に戻っている。個性のない、覇気のない、およそ若者らしくない、その顔。  おもしろくないヤツというのは、こういうのを言うんだろうな。  どこへ行っても、聞き役でしかなかった。友人たちのに、ただ頷いているだけ。こちらから誇るものなど何も持たない。  無為な青春のせめて最後にと、気負って出かけた一人旅も、自分を顧みるだけの憂鬱なものになってしまった。奈良、京都……そして今、列車は北陸の海岸線を走っている。いつ帰るかわからない、などと大げさなことを言って発った数日前の自分が、気恥ずかしさとともに思い返された。明日はもう東京へ戻る車中だろう。  友人たちは、ずいぶん早い正人の帰りを笑って迎えてくれるはずだ。何かおもしろいことがあったか、と訊きはしまい。おもしろくないヤツには、おもしろいことが起こるはずもないからだ。  それで、いいじゃないか……  静かにため息をついた。  おおかたの人間は平凡で、そして退屈な一生を送る。自分が、ただその内の一人であるというだけのことだ。  あきらめの気持には、穏やかな解放感が伴っていた。が、一方で──  自分には、何か課せられた〈使命〉がないのだろうか?  ──そんな気持を、まだ捨てきれずにいる。  世の中には、〈使命〉を帯びたごとく、ひたむきに生きている人たちがいる。そんな、ひたむきにさせてくれる〈使命〉が、自分にはないのだろうか? それとも、まだ見つけられずにいるだけだろうか?  (くら)い海も、吹き荒れる風も、何も答えてはくれない。  列車はやがてトンネルに入る。  とたんに視界が、異世界の闇に閉ざされた──
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