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「ただいまぁ」
「おかえり、なっちゃん、湊くん」
ソレイユのリビングルームへ入ると、葵と深月が2人で晩ご飯を食べていた。千里は今日は夜勤だと言っていたし、彩斗も仕事らしい。
千里の車のキーと、スイーツショップで購入したマドレーヌの詰め合わせをダイニングテーブルに置くと、深月の目が輝いた。深月はこういう素朴なスイーツが好きらしい。
「晩ごはん食べてきたから、いらないや」
「うん、最初から用意してない!」
いたずらっぽく笑った葵の頭をわしゃわしゃと撫でて、リビングを離れる。
(2人とも可愛いな。スイーツ好きで、いたずら好きで……)
なんて今日1日ずっと考えていた『可愛い』ワードがまた頭の中にひしめき合う。
楽しいデート後のはずなのに、ちょっと憂鬱な気分になりながら西上階への階段をのぼる。そして自分たちの部屋・プランタンに入ると、それまで黙っていた湊が突然、後ろから抱き着いてきた。
「わっ」
肩を抱いた腕にぐっと力が入り身体が密着すると、やけに低い声と熱い吐息が耳元にかかる。
「ねぇ、今日なんでこんな可愛いの…?」
ここにきてようやく『欲しかった言葉』を呟いた湊に、思わず目を見開く。きつく身体を抱かれて身動きが取れないままで、背後の恋人に文句を言う。
「お、遅いよ、バカ!」
「おそい?」
遅いよ。
だって今日1日、その言葉を言って欲しくて、ずっと待っていたのに。朝からお洒落を頑張って、普段なら『大丈夫だから』と断るエスコートも素直に受け取って、時々わざとに上目遣いで見つめたりして。完全に無駄な努力になってしまったアレコレを今更思い出したように褒められても。
「可愛い、って言われたくて……今日、頑張ったのに……」
「えっ、いつも言ってるじゃん」
「ち、ちがうの。エッチのときの可愛いじゃなくて」
そう、そのワードそのものは結構よく耳にする。湊は裸で抱き合うと、こっちが困惑するぐらいにすぐに『可愛い』と連呼する。でもそういう事じゃない。
女の子してるところを。あなたのために一生懸命努力してるところを、可愛いって言って欲しかったの。
「……湊、こういうの好きじゃなかった?」
可愛いって思われたくて努力しているところ。髪形もメイクも服装も、自分に似合うポイントと湊が好むポイントを研究して、出来るだけその2つが近付くように頑張って。そうやって必死になっているの、もしかしてキライ?
「好きだよ。それに菜摘が俺のために努力してるの、ちゃんと知ってる」
うん……それなら、いいの。
相手に自分の望む言葉を言わせようなんて、ただのわがままだから。
そう思っていた耳元に、意外な言葉を注がれる。
「でももっと可愛くなっていいよ?」
「え……じゃなきゃ、湊に釣り合わない?」
「まさか」
バカだな、そんな訳ないだろ、と湊が笑う。
「そうじゃなくて、」
ヒールを脱いでしまえば身長差が更に広がってしまって、キスをするにも距離が出来る。顎に指を添えられて上を向かされるけれど、湊は屈んでなんてくれない。だからその唇に届くためには、自分から背伸びしなければいけない。
湊は『年上』の私に『背伸び』をさせてくれる。可愛い仕草をさせる瞬間を、あえて与えてくれる。
だから私はまた、一生懸命につま先立ちをしてその唇を欲しがる。
「菜摘が頑張ってる姿が、可愛くて好きなだけ」
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