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隠密事情 -蜜愛-
「山崎先輩、本当にかっこいいですよねぇ」
「仕事出来て、優しくて、イケメンで」
「まさに完璧王子ですよおぉ」
「…………そう?」
コーヒーブレイクで集まったリフレッシュルームでは、今日もいつもと似たような会話が繰り広げられる。菜摘が所属する営業2課の後輩である梓と莉奈は、営業1課の完璧王子こと山崎 湊にご執心だ。
いつものように彼の業務成績と、温和な性格と、整った容姿の3点セットを綺麗に並べて頷き合う様子を見て、菜摘はひとり苦笑する。
その完璧王子が、菜摘の恋人だと知ったらこの2人はどう反応するのだろう。いや、この2人だけじゃない。会社中の女子社員たちは一体どんな反応をするのだろう。
(こんなオバサンに、って言われるのかな)
菜摘は現在28歳。噂の的の完璧王子は現在26歳。菜摘は早生まれなので学年で言うと3つ違う。3歳なんて大した年齢差じゃないという人もいれば、3歳は大きな年齢差だという人もいると思う。いずれにせよ、バレればある事ない事言う人がわらわらと出現するとわかっているから、2人の関係は会社では誰も知らない『秘密の関係』だ。
「木村先輩」
ブラックコーヒーを口にしていると、リフレッシュルームの入り口から声を掛けられた。視線を向けるとたった今話題になっていた湊が、さわやかな笑顔を向けながら菜摘たちのいるテーブルに近付いてくる。
「これ、久山部長に指示受けていた報告書です。申し訳ありません、共有遅くなって」
湊が笑顔を浮かべながら、書類の入ったクリアファイルをテーブルの上に滑らせる。そんなものデスクに上げておいてくれればいいのに、わざわざうるさい後輩女子2人がいるところに踏み込んでくるとは。
絶対、わざとだよね。
静かな苛立ちを、湊にしか分からないような表情で示す。にこっと笑顔を貼りつければ、梓も莉奈も菜摘の内心になど気付かない。けれど菜摘の表情が100種類あるとすればその100種類のすべてを把握している湊なら、気付くだろう。
「いいのよ。忙しいんでしょう、山崎君も」
「いえ、木村先輩ほどでは」
後輩を気遣うような態度と台詞を添えて微笑む。その挙動だけで菜摘の内心を察したらしい湊は、少し目を見開いたあと、ごく自然な笑顔を浮かべて切り抜けてきた。
溜息を喉の奥に溶かして、書類を受け取る。令和の時代になっても相変わらず書類には判が必要だ。そんな面倒くさい紙きれをわざわざ運んでくれた湊に一応のお礼を言うつもりで顔を上げた。のに。
(菜摘、目つき怖いよ?)
至近距離まで近付いてきていた湊が、耳元でそっと囁いた。瞬間、過剰に飛び退きそうになる身体を理性で必死に押さえつける。悲鳴も上げそうになったが、それもどうにか飲み込む。
すぐに離れた湊が『何もついていない』指先を擦りあわせる。
「すいません、髪に埃がついていたので」
「……ありがとう。でも、言ってくれれば自分で取れるわ」
「ですね」
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