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部室の扉を開き中へ入るが、そこには誰もおらず暗室も空いている様子であった。
人が来る前に終わらせてしまおうとそのまま暗室へ直行するなりすぐにカメラを鞄から出す。
赤く暗い部屋の中カメラのネガフィルムを出す大和であったが、それに写っている物を見て手を止めた。
「これ、俺のじゃない...つーか、写ってるのって...」
乱雑な切断面や朽ち果て削がれた体、それに群がる黒い塊。小さくてよく見えないがわかったことは一つ。
— 動物の死骸の写真かよ。
わかった瞬間、眉間に皺を寄せ顔を歪める。
自分が持っているカメラの機種と同じだった為あの場では気がつかなかったがこのカメラには自分が目印につけているストラップがついていなかった。
間違って誰か他の人物のカメラを持ってきてしまったと気がついたが時すでに遅し。
今講義室に戻ったところで授業が始まっているため中には入れない。ましてや、自身のカメラが残っている確証もない。
「あー、やっぱ最悪」
近くにあった椅子に座った大和は盛大なため息を吐き出した。もうこうなってしまえば、カメラがその場に残っているか、このカメラの持ち主が自分のカメラを持っているかの2択に賭けるしかない。もちろんその2択でない場合は...考えたくもない未来だ。
「それにしてもすごいな...」
講義が終わるまで何もできず、手持ち無沙汰な大和は悪いとは思いつつも再びフィルムへと目を向ける。
グロテスクな写真の数々はネガの状態でも生々しさが伝わるもので眉をひそめるものの、妙に惹かれるものがあった。
それは怖いもの見たさであったのか。いつの間にか大和は一枚一枚食い入るように目を通していた。
何故だか心臓が高鳴り、おぞましさに嫌悪する気持ちと相反して身体は興奮していく。——— そんな時だった。
「嬉しそうに見ちゃって、先輩って意外に変態なんですね」
「...っ!」
すぐ耳元で聞こえた声に心臓を鷲掴みにされる程驚いた。慌てて立ち上がり振り返ればヘラヘラと笑う男が1人手を振って立っていた。
「あす、み...いつの間に、」
そこにいたのは、つい今しがた麻衣子との話の中に出てきた人物であった。耳にあたる長さで綺麗に整えられた髪の毛に露わになっているシャープな輪郭。耳につけられているピアスは鈍く光り存在を主張していた。
そして特徴的なアーモンド型の瞳は細められ笑みを作っている。
しかし、この状況の中、仄暗い室内でのその笑みはとても恐ろしく見え、大和はゴクリと唾を飲み込んだ。
「あれ、俺のこと知ってるんですね。まだ部にも入りたてだし覚えてもらえてないと思ってました」
いくら自分が他人に無頓着だとはいえ、あれだけ騒がれていれば嫌でも名前と顔は覚える。もちろん良い印象で、というわけにはいかないが。
「それよりも...それ、俺のですよね。先輩が今、一心不乱に見てたフィルム」
阿澄が指を差す先にあるのは大和が手に持つフィルムであった。そして今日何度目かになる冷や汗が背中を伝う。
「悪い...その、カメラを間違えて持ってきたみたいで」
「やっぱりそうでしたか。友人にカメラを見せてたんですけど...ちょっと目を離した隙にカメラが入れ違いになったみたいで。先輩の後ろ姿が見えたんでもしかしてと思ったんですが、ついてきて正解でしたね」
「あぁ...そう。でもお前こそよく俺だってわかったな」
「だって先輩、人気ありますよね?2年の高嶺の花、でしたっけ。一緒にサークルに入った友人が話してたので...。まぁ、こんな間近でお会いしたのは初めてですけどね、大和先輩」
にこりと笑い首を傾げると、それだけで様になる。特徴的な掠れた声で名前を呼ばれれば不可抗力ながらドキリとした。
「フィルムまじまじと見て悪かったな、返すよ...で、俺のカメラは...———」
「俺の写真、どう思いましたか。」
「...は?どうって、言われても...」
大和の言葉を遮るようにして阿澄は言葉を重ねる。突然の質問になんと答えれば良いのか分からず吃ってしまった。
そして自然と視線は自身の手にある阿澄のカメラへと向けられる。
「俺は好きですよ。これを見てると生と死を感じることができるから。あー、自分はちゃんと生きてるんだって再認識させてもらえますし」
「あとは単純に興奮しちゃいますね。こーいうの撮ると」そう話しながら再び阿澄はケラケラと笑う。人懐っこい笑みではあるのだが会話の内容を思えば大和の口元に浮かぶのは苦笑のみであった。
いまいち阿澄の考えていることがよくわからない。今まで遠くから見るだけだったり麻衣子から話を聞いた範囲でしか知らなかっただけにどう受け答えして良いものかも分からない。
それでもわかっていることが一つだけあった。それは———
「お前の写真...俺は嫌いじゃない」
それだけ言うと手に持っていたカメラを阿澄に押し付けて渡した。
自分でもどうかしてると思ったが、事実あの写真に意識全てを奪われていた。だから、暗室に阿澄が入ってくるのにも気がつくことができなかったのだ。
気まずい気持ちを誤魔化すように目線を逸らせば辺りは一瞬の静寂に包まれる。
「っ、なんだよ、離せって...っ!」
かと思っていれば突然掴まれる手首。驚き阿澄の方を見れば満面の笑みを浮かべる顔と目があった。大和の喉がゴクリと鳴る。
やはり目の前の男の笑顔を見て感じたのは得体の知れない恐怖であった。
「嬉しいなぁ。でも、これは2人だけの秘密ですよ、先輩」
そうして掴まれていた手にカメラを渡される。見慣れたストラップのついたそれはまさしく自身のカメラであった。
これが阿澄との初めての対面。今思えば、この時感じた恐怖はきっと触れてはいけない、近づいてはいけないと体が危険信号を出していたのかもしれない。
しかし、それに気がついたときにはもう、全てが手遅れだった。
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