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3-早く僕の美貌を世界にお届けしたいのに
おかしい。
初心者講習を受け直して一週間経つのにスライムが全然育ってない。
あの講師め。いい加減なことを教えやがって。
水槽に返却になったスライムが混じってるからダメなんじゃないの?
そもそも買い足したスライムが不良品なのかも。
まったく。ついてないなぁ。
本当に、いつになったら社交界の花になれるんだよ。
早く僕の美貌を世界にお届けしたいのに、こんなとこにもう三週間も勤めてる。ありえない。
近くの肥育室の人たちなんて、こんな美しい僕が手伝いを頼んでるのに、ちょっとデレッとするだけで断わってきたり、見返りに体を求めてきたり。
僕の清らかな美ボディはそんなに安くないっての。
ほんとにふざけてる。
でもこのままだと前回の二の舞になる。
どうにかしないと。
水槽に適当に唾を吐きかけながら、そんなことを考えていると、肥育室の白い壁面にファームの受付から魔法での通知が浮かんだ。
ん?
僕に来客?
は?誰⁉︎
てか、僕がこんなとこで働いてるなんて知ってるのは……。
チッ。
ランスールか。
ランスールは身元を明かせないような貴族の庶子らしく、母親共々我が家の隣の家に長年居候している。
鋭く暗い目をドス黒くて硬そうな長い髪で隠した陰気な男だ。
ヒョロヒョロと背ばかり高いが、それ以外にいいところが見あたらない。
いつも僕につきまとってくるので、世話を焼かせてやっていたら、いつの間にか「タチくんは俺がいないとダメだよね」なんて増長し始めた。
ランスールは、学校卒業が近づいても、僕が就職先を決めてないからって理由で進路を決めずにいたら、本家の父上に勝手に上の学校に入れさせられただとか言って、最近見かけることも無かった。
ランスールの成績とか知らないけど、そんなに良いとは思えない。
父親が勝手に入学を決められる程度だから、上の学校っていうのもきっと職業訓練校みたいな所だろう。
不細工で、弱っちくて、金も地位もない、本当にムカつくヤツだ。
まったく、こんなとこまで何しに来たんだ。
受付で待たせるよう返事を送ると、僕は顔を洗って、髪を整えた。
受付に行くまでの間に、高品質スライムを量産する肥育担当とすれ違って一目惚され、君のスライム肥育を手伝わせて欲しいんだと懇願されるなんて可能性も充分考えられるからね。
たっぷり時間をかけ身支度を整えると僕は肥育室の扉に手をかけた。
その途端、カチャ……。
扉が押し開けられ僕は白いタイルの床に尻餅をついてしまった。
「…………」
ボーッと僕を見下ろすのは……。
「ランスール!何を見ている!早く僕を助け起こさないか!受付で待ってろって言っただろ!この部屋に入っていいだなんて誰が言った!」
ランスールはわざわざ一度僕を抱き上げると、そっと床に立たせた。
「白いね」
「僕の肌がか?毎日洞窟の中だからな。どんどん透明感が増している」
「部屋が」
「でもね、ただ白くなればいいというわけじゃない。僕は美しいミルク色を目指してるんだ」
「これが肥育槽?何匹いるの?」
「え?一つにつき100匹」
「まだ入れたばかりなんだね。ちっちゃい」
もう一週間も育ててるって!これだから素人は。
「お前スライム見たことあるのか?」
ランスールがコクッと頷いて水槽に近付いていった。
ん?
いつも静かな水面が少し波立ってる?
「ランスール、せっかくだから唾を吐きかけてみなよ」
「え…………ツバ?」
「口の中で溜めた唾液にしっかり魔力を込めて、込めて、込めて、ペッと!」
ランスールが嫌そうに唾を吐きかける。
「……なんでこんなこと……」
「ふん。よく聞け、素人。これがスライム肥育だ」
「…………」
ランスールなんかの魔力じゃ大した餌にはならないだろうけど、僕一人じゃちょっと唾液不足気味だから無いよりマシだろう。
「じゃ次の水槽だ。唾を溜めて、魔力を込めて……」
……ん?
今なんか……。
えっ……さっきランスールが唾を吐きかけた水槽のスライムがウニョウニョと流動しながら、ホイップクリームみたいに立ち上がってこっちに近付いてる⁉︎
お、怒った⁉︎ ランスールなんかの唾をかけたから憤怒ファイヤー⁉︎
「ランスール!待て!」
「ペッ」
…………遅かった。
そして二つ目の水槽のスライムもウニョウニョと流動し始めてしまった。
うわぁぁ二本のホイップクリームのツノが明らかにランスールに向いてるっ!
こんなの初めて見る。超怖いっっ!
「もう一つもする?」
「もういい!やめろ!てか、もう帰れ!」
「え、でも、まだ来たばかり……」
「うるさい!帰れ!」
その時、壁面に来訪者を告げるサインが出ると同時に肥育室の扉がノックされた。
ん?これは事務員さん?
扉を開けると通知通り事務員さんが封筒を持って立っていた。
「あの、マノージュ様にこちらの書類を……」
マノージュ様?ああ、ランスールごときでも、来客だから様付けか。
「ランスール、事務員さんが用事だって。僕はティーサロンでお茶を飲みたい。出よう」
「え?」
少し時間が経てば、ウニョってるスライムも落ち着くだろう。
僕は戸惑うランスールを置き去りにして、洞窟内のティーサロンに向かった。
ここは洞窟の湧水を使ったコーヒーが美味しいと評判で、スライムプリンやスライムゼリーなども人気らしい。
もちろんスライムがそのまま入っているわけじゃなく、スライムの分泌物から出来た魔法薬甘味料が使われている。
それらのデザートを食べてスライム肥育をするとよく育つって話だけど、プリン一個で2,000ルゴとかバカばかしくって食べたことがなかった。でも、今日はランスールもいるしな……。
って……あっ!
あいつ封筒受け取り終わったみたいなのに、ティーサロンにいる僕に気付かず、出口に向かおうとしてる!
僕は急いで飛び出し、ランスールを捕まえた。
「ランスール!帰るのは構わないけど、ちゃんと僕のお茶代は払って行ってよね!」
「え?お茶?」
「もう帰りたいんでしょ?お会計で払ったら帰っていいし」
「え、じゃ、俺も……」
「いいって。お茶は一人でするし。僕だって気遣いくらいできるんだよ。レジはそこのティーサロン入ってすぐだよ。じゃあね」
「…………」
ボーッとしていたランスールは、僕が席に戻ってようやくお会計に顔を出した。
こっちをチラチラ気にしてるけど、僕の視線はティーサロンから見える洞穴内の滝へ。
ああ、絹糸のような水の流れが幻想的で癒されるなぁ。
このスライムプリンも美味しい。弾力が凄くてプリンプリンしてて、2,000ルゴするだけはある。
食べ終わってふぅと一息つく頃には、ランスールの姿は消えていた。
あー、でも肥育室に戻るの嫌だなぁ。
スライムたち、まだウニョってるよな……。
あーあ。
多分ダメになっちゃっただろうし。
今日はもう、このまま帰ろう。
……あっ!しまった!ランスールが一緒だったら帰りの馬車代出してもらえたのに。
でも、帰りずっとあいつの陰気な顔を見てるってのもな。まあ顔はほとんど見えないけど。
あ、運賃だけ出してもらって、乗るのは別々にすればいいのか。
あーあ、ランスールのせいで馬車代損しちゃったじゃないか。
本当、使えないなぁ、あいつ!
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