第41話 悪意あるものども

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第41話 悪意あるものども

 その日の夜。千夏は晩御飯を作りながら、ふと晴高のことが気にかかった。あんなに体調が悪そうだったけど、ちゃんと家まで帰りついたのかな。それに彼は独身のはず。看病してくれる人がいるようにも思えない。  迷惑かなと思いつつも電話をかけてみることにした。しかし、何回コールしてみても晴高は電話にでなかった。胸騒ぎがどんどん強くなる。晴高を通して見えた、あの禍々しい霊の記憶のようなものも気になっていた。 「元気……私、ちょっと晴高さんの家まで行ってみようと思うの」 「うん。それがいいかもね。住所、わかる?」  元気に言われ、千夏は少し考える。 「もし課長か総務の誰かが残っていれば、電話で事情を話せば教えてもらえるかも」  早速職場に電話すると、運よく課長が残っていた。事情を話すと、それは心配だからとすぐに職員のデータベースから晴高の住所をみつけてきて教えてくれる。  千夏と元気はすぐにタクシーで晴高のマンションへと向かった。途中でコンビニに寄って飲み物やおかゆのレトルトなども買っていく。  彼の住まいは三田線巣鴨駅から少し歩いた閑静な住宅街にある賃貸マンションだった。彼の部屋は、三階の301号室。表札は出ていなかったが、この部屋のはずだ。  千夏はインターホンを押す。しかし、何の反応も帰ってこない。室内でインターホンが鳴っていることはドア越しに聞こえてくるのに、それ以外の物音はまったくしなかった。  廊下に面した曇りガラスの窓からも室内の明かりは見えない。  千夏は、ドンドンとドアを叩く。 「晴高さん! 山崎です!」  やはり、何の反応もなかった。 「留守なのかな」  どこかにでかけているのだろうか。今はもう夜の十時過ぎ。あんなに体調が悪そうだったのに、こんな時間まで出歩いているとは思えないのだが。  管理人さんに頼んで開けてもらおうか。でも、本当に留守だったら勝手に入ったことが知られたら怒られるだろうな。そう思って迷っていたら、元気がドアに手をあてて神妙な顔をしていた。 「どうしたの?」 「いや……なんか、おかしくないか? この向こう。妙に霊的な力を感じる」  千夏にはよくわからなかったが、元気は霊的な何かを感じたらしい。 「そうなの……? え、それってどういうこと?」 「わからない。でも、良い状態じゃない。なんか、霊的に閉じられているというか、壁のようなものがあるというか」  心配になって、ダメもとでノブを回してみる。すると、鍵がかかっていなかったのか、するりと開いた。 「あ、開いてる!」  室内は暗く、照明は一切ついていなかった。  しかし、廊下から漏れ入る光で、玄関に晴高のものと思しき黒の革靴が置いてあるのが目に入る。しかもその靴は脱ぎ散らかされていた。几帳面な晴高らしくない行動。よほど体調が悪かったのか、それとも……。 「晴高さん!?」  千夏は闇に沈む室内に声をかけるが、返答はない。玄関の壁を触って照明スイッチを探すとすぐに見つかった。でもいくら押しても、カチッカチッと鳴るだけでなぜか照明がつかない。  千夏は靴を脱ぐと、家に上がった。 「晴高さんっ、いますか!?」  入ってまず感じたのは、異様に暗いということだった。  リビングの奥にある掃き出し窓のカーテンは閉められていないのに、まったく外の光が入って来ていないかのような暗さだった。  千夏が開けたドアから漏れ入る外廊下の光だけが唯一の光源。  懐中電灯を持ってこなかったことを悔やみながら、千夏は室内に足を踏み入れる。  そのとき。 「……く、るな……」  呻き声のようなものが耳をかすめた。すぐに声のした方に目を向けると、リビングの壁際にひときわ闇の濃い場所があった。まるで、そこだけ墨でぬりつぶされたようだ。その中に、わずかに人の腕のようなものが見えていた。 「晴高!!!」  元気はその闇の方へと駆け寄ると、闇の一部を掴んだ。 「なんだ、これ!?」  強く引きはがすと、人の形のように闇が切り取られる。 「千夏! 塩!」  あっけにとられていた千夏だったが、元気の声で我に返るとトートバッグからお清めの塩を取り出した。こんな仕事をしている以上、念のために常備しているものだ。普段は小分けにして持ち歩いているのだけど、今回は保存用のタッパーごと大量に持ってきていた。そのタッパーを取り出すと、元気に引きはがされた人影のような闇に千夏は塩を投げつける。  ………アアアアアア………  影は悶え苦しむように身体をくねらせていたが、やがてスッっと闇に溶け込むように消えてしまった。 「こら。晴高にまとわりつくなよっ」  さらに、元気は晴高の身体にとりついている影を引っぺがしていく。黒い闇は明らかに何らかの霊体のようだった。霊体なんて普通は触れられるものではないが、同じ霊体である元気は人が人を掴むのと同じような容易さで霊体を掴んで晴高の身体から剥がしていく。 「きゃあああっ」  こっちに向かってきた黒い影に千夏はお清めの塩を鷲掴みにしてドンドン投げつけた。今度は呻き声を発する暇もなく、影は消えてしまう。  そうやって何体処理したのだろうか。はがしてもはがしても埒があかないくらい、何重にも闇のような人影が晴高にまとわりついていた。しかしそれも、ついにはすべて元気によって引きはがされ、千夏の塩で消えてしまう。  終わったと思った瞬間、バチバチと天井の照明が明滅して、パッと家中の明かりが点いた。部屋の空気も、すっかり正常なものに戻る。  晴高はリビングの床に四つん這いになっていた。黒髪も全身もぐっしょりと汗に濡れ、肩で大きく息をしている。苦しそうだ。ついでにいうと、千夏の撒いた塩まみれにもなっている。 「晴高……大丈夫か?」  元気が床に手をついて晴高をのぞき込むと、彼はまだ辛そうだったが小さく頷いた。
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