始まりは婚約破棄から

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「なっ!?無礼な!!王女のわたくしが助けて差し上げると言っているの!!クジョー伯爵家にも御兄様から通達が有る筈。自由になれるチャンスですのよ!?」 手に持った扇をギチギチと捻りながら、一転して怒りで顔を真っ赤にしたヴィクトリア。 まさか食い気味の即答で断るとは、思いもしなかったようだ。 そんなヴィクトリアを冷たく一瞥して、ミコトが平坦な声でその言葉に簡潔に返事をした。 しっかりとユーゴの頭を抱え込んで、犬のようにワサワサと撫で回しながら顔だけは無表情だった。 「チャンスですか?冗談じゃない、ユーゴ様は自ら我が主君と決めた人ですよ。幼少の頃から大切に大切に育てて来て、晴れて成人となったこの日がどれ程喜ばしかった事か!!それをよりによって婚約者である貴女が台無しにするとは……」 「ああ、前々からユーゴに、やれ新作の宝飾品が欲しいだの、やれ三日に一度はお茶会に参加しろだのといきなり一方的に使いを寄越して!!ユーゴが過労で倒れそうになっても気付きもしない!!どれだけ普段の生活に響いたと思ってるのだ!!」 アレックスとミコトが今まで何も言わなかったのは、ヴィクトリアが王族だという事よりもユーゴが「自分が忙しいとヴィクトリアを放置気味だから」と取り成していた事が大きかった。 将来、末姫だけでも、腹黒な化け物達の暗躍する政治の世界とは無縁の家の嫁に、と王夫妻が辺境伯に頼み込んで成立した婚約だった。 その上で、次期辺境伯を王国に繋ぎ止める意味と田舎では有るが辺境伯の領地は他国との流通も発達しているので生活には困らないであろうと思ったからだ。 ユーゴは友人達と共に辺境伯のお供として面識が有ったし、乱暴者ではなかったので降嫁させても無体な扱いは無いだろうと判断したのだ。 おまけに、辺境伯の長男は経営は判らん、現場で騎士団をしている方が性に合ってると次期当主を辞退したし、次男は辺境の向こうの世界に惹かれて冒険者になってしまった。 要は、辺境伯の仕事は心身共に過酷なので、ユーゴに丸投げされたのだ。 そして、ユーゴは幸か不幸かそういった領地の面倒をみるのが苦労とも思わない性分だった。 魔物に水路を壊されたと聞けばすぐに調査して修理に行くし、森で盗賊が出たと聞けば兄であろうと尻を引っ叩いてでも騎士団を向かわせる。 作物の出来高を管理して適切な税を決めたり、新たな特産物を模索したり、外からの商人と交渉したり……そうしてあれこれと父の手伝いを嬉々としてやってたのだ。 若様、今年の冬も越せて子供も生まれました。と祭りでニコニコと子供の手を握らせてもらって嬉しそうにしている。 若様、良い野菜が採れた、食ってくれ。と屋敷に初物が毎年届けられる。 辺境伯に似てガタイの良い兄達とは違い、母親に似てちまっとしている若様は、領地では小さい頃から知っている住民達からそれなりに慕われていた。 「俺は小さい頃にユーゴに救って貰った。父が魔物に大怪我させられた時に、薬草を採りに抜け出した俺を。小さなネズミの魔物に取り囲まれた俺を助けたのはユーゴとミコトだ!!その恩は生涯を懸けて返すと決めたのだ!!」 そのアレックスの父は一時引退したが、今は復帰して団長として部下にビシバシ指導している鬼団長である。 リュックにパンパンにアイテムを詰めて駆けつけたユーゴ達は、惜し気もなく貴重なアイテムを行使してネズミの魔物に打ち勝った。 大人の騎士団でも大量に押し寄せられると厄介な小動物系の魔物を(後で聞くと十匹にも満たなかったらしい)二人で倒した姿は、アレックスの目には輝かしいものに見えた。 大人に三人でゲンコツもらって叱られたり、泣かれたりしたが、父の復帰の切っ掛けにもなった事件はアレックスの人生に大きな影響を与えたのだ。 「まあ!!その事で気に病んだのね!?責任感が有って素敵ですわ。でも、十分アレックス様も恩返しなさったでしょう!?もう、良いのですよ?」 「……くどいですね。それを決めるのはアレックスであって、他人ではないのですよ。そうですね、私だって同じようなものです。辺境伯が私達一族を受け入れてくれたからこうして居られるのです。ユーゴ様が私達一族を同等に扱って、分け隔てなく子供同士遊んでくれたからこそ、私も兄弟も毛色の違う子供の中で浮かなかったんです。弟同然に育ったユーゴ様の幸せの為と尽力してきた挙げ句、これとは!!」 ミコトのユーゴを撫でる手が益々加速してきた所を見ると、どうやらユーゴ成分で冷静を保ってるようだった。 いつの間にか楽団の音楽も止まり、談笑も途絶えて、ヴィクトリアの甲高い声とアレックスのバカでかい声とミコトの柔らかだがよく通る声だけが会場内に響いていた。 出席者一同は、息を飲んで成り行きを見詰めていた。 生徒達は、どこか見世物を見てる感じで興味津々なだけだが、親世代は顔面蒼白だった。 親世代は知っているのだ、国王と辺境伯の仲の良さと辺境伯の恐ろしさを。 王国で一番過酷な領地でありながら、一番裕福で一番重要な守りの要。 世界の中心であるとされるユグドラシル、または原初の大樹と様々な呼び名の有る大木に面したクジョー辺境伯の領地周辺は魔素の濃さにより、魔物が強力で、万が一王都に流れて来たら大災害を引き起こす。 たまに起こる大発生と流れ着く強力な個体を討伐するのも辺境伯の仕事であり、ユグドラシルの近くの国と交渉するのも、唯一街道が通っている辺境伯の仕事だった。 ユーゴ達が退治したネズミの魔物ですら、王都周辺との差は激しく開いていた。 駆け出し冒険者が片手間で捻るネズミは、辺境では数倍の能力と繁殖力と集団を作って、逆に駆け出し冒険者を取り囲んで喰い散らかしてしまう程だ。 辺境の魔物は新人殺し。 アチコチ異動の多い騎士団と稀に討伐から逃げ切った魔物が自分達の領地に出現した経験の有る貴族、辺境伯と同年代で長期休暇の小遣い稼ぎと騙されて(本人は騙したつもりはない)九死に一生をリアルに経験した現在の高官達に秘かに囁かれる合言葉である。 辺境伯にそっぽを向かれて、うちとは関係ないので独立します。といわれたら国力は大幅に落ちてしまうのだ。 王女の一番の誤算は、辺境伯とただの伯爵の違いが理解できてなかった事だ。 王国だけではない、ユグドラシルに近い国の国力の半分は辺境が支えているのだ。 ましてや、町民全てが一致団結して自己防衛してる土地で育ったユーゴと幼馴染みは、家族同様の情で相手を思っているのだから、捨てろと言われて反感を持つのも仕方なかった。 「む、むごごー!?……ブハッ!!ミコト、いつまでも抱えて撫で回さないでくれよ。息も出来ないし、恥ずかしいし、みんなに格好悪い所を見せちゃったじゃん。頭、ボサボサだし!!」
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