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第11話 夢か現実か
お風呂から上がった亜結は、体ほくほく心ふわふわのまま寝支度を始める。
直に置いたソファーベッドのクッションを引き出し、シーツをかけて枕を置く。さぁ寝ようという時にラインの通知が鳴った。
「乙葉さん、お休み」
秋守からの短い吹き出しに亜結の心がころりと転がる。
「お休みなさい、秋守先輩」
すぐに既読が付いて心がくすぐったい。
「きゃあ!」
枕に顔を押し当てて叫び、手足をぱたつかせて喜びを噛み締める。
ふたつの並んだ吹き出しを眺めてスマホを胸に当ててて目を閉じた。
(乙葉さん・・・かぁ)
キスをしても苗字呼び。いきなり名前を呼び捨てにしない距離感が亜結には嬉しかった。
大切に思ってくれている、そう思えたから。
嬉しくて亜結はスマホを抱き締めて眠りについた。
淡い花が散る美しい庭園で小さな亜結が泣いている。
(これは・・・あの日の庭だ)
夢の端から今の亜結が見ていた。
『どうしたのだ? なぜ泣いている』
薄い紫がかった銀色の髪の男の子が、心配そうな顔で小さな亜結の横にしゃがみこむ。
『泣かないで、どうして泣いているのか私に聞かせてくれないか?』
なおも泣き続ける亜結の側で、男の子は我慢強く様子を見ている。泣き声が小さくなるのを待って男の子がまた声をかけた。
『誰かに見つかったら大変だ。私に付いておいで』
そっと差し出された小さな手に小さな亜結の手が重なる。
(ああ・・・こんなに鮮明なのに、夢でしか見れないなんて・・・・・・)
誰にも信じてもらえなかった出来事。
心にしまったままにしている思い出が、時折こうして夢の中に現れる。まるで、忘れてはいけないと言う様に。
『迎えが来るまで私が一緒にいよう。さぁ、泣かないで』
優しい声の男の子は年齢より大人びている感じがした。
『お腹は空いていないか? 何か食べたい物があるなら作らせよう』
7・8才の子供なのに幼稚園児くらいの亜結にはとても頼もしく思えた。
『オムライス』
『おむ・・・何だって?』
『・・・・・・様、何をなさっているんですか?』
大人の女性の声がする。
(そうだ、男の子の他にもう一人誰かいた)
優しく温かな印象の女性。
母親のようでいて、そうではないような人。
美しい庭でその男の子は花冠を作ってくれた。亜結の頭に乗せて男の子は言ったのだ。
とても嬉しくて忘れてはいけないと思った大切な言葉。
(何て言ったっけ?)
今ではおぼろげな男の子の顔。口が動くのだけが見えている。
爽やかなユリに似た香りの中にほんのり甘い香りがしたのを覚えている。
(何て言ったの?)
男の子の声をかき消して雨の音がする。
ザーザーと。
(・・・・・・雨。洗濯物は、出してない・・・)
雨は降り続けている。
ふと、目が覚めた。
(雨の音・・・?)
電気を消したはずの部屋の中が少し明るかった。なにげなく寝返りをうった亜結の目に光るテレビ画面が写った。
(なんで? こんな時間に・・・)
体を起こしかけた。
(・・・・・・!)
目の端に写った者にゾッとする。
(誰かいる!!)
テレビの脇に男が立っていた。
泥棒か? 戸締まりはちゃんとしていたはず。
(逃げなくちゃ!)
とっさに玄関へ向かって立ち上がった。
「いやぁ!」
背後から抱きつかれ口を塞がれて、あっという間に寝床に横たわる。
(殺される!)
上からのし掛かられ空いた腕も押さえ込まれて動けない。
「静かにッ!」
押さえた声が亜結の耳元で鋭く響いた。
(強姦魔だったらどうしよう!!)
そう思ったとたん身体中の血が凍った。そう感じた。体を動かそうともがいても男の体重がかかって動けない。
「そなたはひとりか?」
耳元で男が問う。
うなずけば正解か、ひとりと分かればいいように扱われてしまうのか。
周囲をうかがう男が少し身を起こし、テレビの光で顔が浮かび上がった。
(王子!?)
30センチと離れていない目の前に、ユリキュース王子の顔があった。
これは夢の続きだろうか。さっきとは違う夢を見ているのか。
亜結の顔にふわりとかかった彼の髪から甘い香りがする。ユリに似ているけれどほんのり甘いこの香り。
(銀の髪・・・まさか・・・)
あの男の子の香りに似ている。そう思った。
「声をたてないでくれるか?」
亜結は黙ったままうなずいた。
「・・・・・・はぁ」
深い溜め息とともに王子の体から力が抜ける。亜結の体の上に沈み込み、彼の顔が亜結の顔のすぐ側にあった。
彼が呼吸をするたびに彼の息が亜結の首筋にかかる。
「すまない・・・、誰かを呼ばれては困るから」
そう言って、彼は亜結の横に体を転がした。
「なんだか体が重くて・・・力が・・・」
額に手を置いて辛そうに言う彼を、亜結はそっと横目で観察していた。
(これ、本当に夢?)
布団の上で男の人と並んで横になっている状況に違和感がない。いや、違和感はあるがリアルな感覚がある。
「そなたはここに一人か?」
額に手を当てたまま王子が聞いた。
「はい」
「ずっと?」
「・・・いえ」
王子がそっと身を起こし、亜結を見下ろした。
(異国の娘をこんな所に押し込めて、バルガイン王はどうするきなのだ?)
横たわる亜結は片手を付いて見つめる王子にどきりとして慌てる。
(ちょっと待って、公園の恋人同士じゃないんだからッ)
顔を赤くした亜結が起き上がる。その亜結の右肩に王子が触れた。
「ひとりで囚われているのは辛いな」
亜結の髪に王子が触れる。
(なんと美しい髪だろう・・・。海の様に深い青、光を受けてきらきらと輝いている)
髪から顔へと目を向けて、王子の手が優しく亜結の右頬を包みこむ。彼女の愛らしさに思い浮かぶ人がいた。
(あの幼子に似ている・・・)
子供の頃に一度会ったきりの少女のことを思い出していた。
頬に触れたままじっと見つめる王子を前に、亜結もただ見つめ返していた。
端正な王子の顔を青白いテレビの光が冴え冴えと輝かせている。
(あぁ、なんて美しくて儚げなんだろう・・・)
頬に触れる王子の手から温もりが伝わってくる。
(これは、本当に夢? 夢なの?)
亜結の頬に触れる王子の手、その親指が彼女の唇に触れた。
「食事はちゃんととれているのか?」
声が出せなかった。
なぜだか、声をたてたとたん彼が消えてしまいそうな・・・そんな気がした。
「助けてあげたい・・・」
そう言ったユリキュースは、顔をそらす。
「我が身すら救えないというのに、何を言っているのか・・・」
焦れた気配に亜結は黙っていられなかった。
「ユリキュース王子・・・」
少しでも心のつかえを取ってあげたい、そう思った。
「私の名を・・・なぜ?」
驚く王子から光が消えた。
テレビの画面から光が失せ、王子の姿がゆっくりと闇に溶け消えていった。
「ユリ・・・!」
彼へ差し伸べた亜結の手が、何もない空間にぽつりと残されてさまよう。
彼の残り香だけが静かに漂って切なかった。
(夢・・・・・・?)
今まで彼の居た場所に、身体中の力が引き付けられる気がした。
(体が・・・)
エネルギーの全て、意識までも引かれてぱたりと床に横たわる。
(・・・・・・重い)
亜結の視界が真っ暗になり、深い眠りに落ちていった・・・・・・。
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