第9話 ハンカチ越しの手

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第9話 ハンカチ越しの手

「秋守、ビールにする? ワイン?」  少し不機嫌な秋守に春田が声を掛ける。 「・・・ビール」  答えを聞いた春田はいそいそとテーブルを離れて行った。 「おい、春田」  黒川は逃げる様に席を立った春田に追いすがろうと立ち上がる。が、秋守の視線におとなしく座り直した。  残された黒川はまだ秋守に睨まれたままだ。  少し気まずい空気のなかで、亜結は両者に目を走らせる。 「み・・・未遂に終わって良かった。秋守先輩のお陰です。有難うございます」  つとめて明るく秋守に笑顔を向けた。亜結の笑顔に秋守の表情も和らぐ。 「あぁ、いや別にそんな」  ちらりと黒川を見て秋守は言葉を添えた。 「もう合コンには参加しない」 「秋守、それはないよぉ」  黒川は困り顔だ。 「ラギさんに言われるよりはましだろ」 「俺がどうしたって?」  皿を両手にスマートな中年男性がテーブルの脇に立っていた。 「まさか、俺の店で何かしでかしたんじゃないだろうな?」  ぼさっとした髪に無精髭(ぶしょうひげ)、全体に崩した感じが渋くて男っぽい人だ。 「ラギさん! いや、別に何も。ねっ」  慌てる黒川を軽く睨みつつ店主ラギが秋守の前に皿を置いた。 「どうせあっちでも食べられなかったんだろう」 「あ、嬉しいな。有難うございます。ぺこぺこです」 「はい、ビールもどうぞ」  春田がけろっとした顔で席につく。 「テニス部の客寄せパンダは無事終了できたか?」 「はい、まぁ・・・なんとか」  ラギが笑う。 「女さばきに苦労するな」 「さばきって、ラギさん言い方ッ」  秋守が苦笑いする。 (客寄せパンダか・・・。やっぱり人気者だ)  亜結はやはりと気落ちした。  秋守はきっと責任感が強いのだ。だから、サークルに誘った責任からかまってくれるだけ、名前を覚えているのもそういう事なのだ。 「店主の(ひいらぎ)です。楽しんでいってね」  新人のふたりに笑顔で言ってラギは階下へ下りていった。 「テニスサークル止めたんですか?」  亜結越しに姫花がすかさず問う。 「うん。テニスは好きだけど、合コンにばかり駆り出されて困ってたんだ」  少し嫌そうな顔の秋守。その表情を見て亜結は思う。 (彼女、いるのかな)  秋守が真面目そうだからそんな事を考えてしまう。 「合コン楽しいんじゃないですか?」  姫花が重ねて質問をした。 「たまにならいいけど、自分の時間が欲しい。本も読みたいし」  そう言った秋守の目が姫花からちらりと亜結に移る。ふいに目が合ってどきりと目をそらした。 「ふたりはどんな本を読むの?」  亜結の向かいに座る春田が話を向ける。姫花から急に勢いが消えた。 「私はファンタジー系をおもに読んでます」 「私は・・・風景、写真集とか好きです」  姫花が言葉を選んでそう言った。  彼女が手にする本と言えば、ファッション誌か観光ガイド。それらをそう言い換える姫花に亜結が笑顔を向ける。姫花も澄ました顔をしながら亜結に目配せした。 「いいよね。外国の滞在記とか、興味深い」  秋守がアシストする。そう言えば秋守は知っているのだ。姫花が本を読まない事を勧誘された時に話していた。 (秋守先輩ナイスです)  さりげない気配りに亜結と姫花が秋守へ頼もしそうな顔を向ける。  隣でピザにぱくついていた秋守がそれに気づいて亜結に笑顔を見せた。  目があった。笑顔を向けてくれた。たったそれだけで嬉しくなってしまう。 (ああ、ダメだ。これ以上先輩を間近で見ていたら幸せで顔面崩壊しそう!)  秋守が美味しそうに食べている姿にすら幸せを感じて、亜結の顔は緩みっぱなしだった。 「僕も好きだよ、風景写真」  姫花の向かいで静かにしていた黒川が会話に参加する。 「緩やかな起伏とか谷間とか・・・」  隣に座る春田が黒川の腕を小突いて笑う。 「ええ? それって南国の海辺とか、生地の少な目な服のやつのことですかぁ?」  姫花が突っ込みを入れる。黒川と春田が声をあげて笑った。 「するどい」  春田が両手の人差し指を姫花に向ける。 「お前たち、そっちの方向にもってくのよめろよ」  秋守が釘を指す。 「なに良い男ぶってんの、自分だって好きだろ?」  春田が胸のラインを丸く作っておどけて見せる。 「や、やめろって」  亜結の視線を感じて秋守の頬が紅潮(こうちょう)する。 「乙葉さん、男ってみんなエッチな生き物なんだよ。秋守だって・・・」 「こらっ!」  調子に乗る黒川に人差し指を突きつける秋守。これ以上言ったらただじゃおかない、そう顔に書いてあった。 (喧嘩になっちゃう!)  亜結はとっさに口を開く。 「健全な男子なら女体(にょたい)に興味があるのは当然で・・・・・・」 (はっ!)  秋守の加勢をしようと開いた口から思わぬ言葉が飛び出した。 (私なに言ってるの!?)  テーブルを囲む皆の注目が集まる。 「女体・・・・・・」  秋守の口からその言葉が繰り返されて、亜結は顔から火が吹き出そうだった。 (どうして今この時にこんな言葉が! ああ、神様!)  気絶できるものなら今すぐ意識を失いたいと亜結は切に願った。両手で顔を覆ってうつむく。 「乙葉さんに乾杯!」 「乙葉さんに!」  春田がグラスを差し出し、黒川がグラスを合わせる。 「健全な男子に」  亜結の肩を撫でながら姫花がグラスを持ち上げた。 「ま・・・まぁ、気にしないで」  秋守が亜結の背に手を添えて覗き混む。 (恥ずかしい) 「援護、ありがとう」  秋守の声に顔をあげると彼の顔が間近にあって、亜結の顔がさらに真っ赤になる。 「乾杯しよっか」  秋守がグラスを手に取る。 「私もわたしも!」  遠くから声がする。 「秋守先輩! かんばぁい!」  離れた席からいつの間にやって来たのか、ライバルの女子が春田の後方からコップを差し出していた。  秋守のグラスに勢いよくぶつけられたコップから飲み物が溢れ出し、あっという間に亜結の頭に降り注いだ。 「きゃあ!」 「うわぁ!」  もうてんやわんや。  皆がティッシュだタオルだと慌てる中、秋守が自分のハンカチで対応する。  亜結の髪を拭き首筋や肩を拭く。そして、亜結の頬を拭く手が止まった。 「やられちゃったね、大丈夫?」  やわらかな笑顔が目の前にあって、彼の楽しそうな顔に亜結も笑った。  ハンカチ越しの彼の手が優しくそっと添えられたままで恥ずかしかった。 (先輩の体温が暖かい)  胸がいっぱいだった。
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