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これは1300年以上も昔、奈良時代の物語である。
河内(現大阪)に弓削の一族あり。古来よりその地には、帝より賜った連の姓を賜る高貴な一族が、氏ごとに集まって住んでいた。
物部守屋の子孫である物部系弓削氏と、古き良き神が一柱天日鷲翔矢命の血が流れる天神系弓削氏、この2つの氏が住まう聖域が、河内国 若江郡 弓削郷なのであるが、今やそのことを知るものは少ない。
かつて神の子孫とも、高貴な血脈だとも呼ばれ、帝に重宝されて栄光は、仏教の伝来と共に廃れ、かつての栄光の残滓が微かに残るだけとなってしまった。地に堕ちし嘗ての豪族、それが弓削の一族に対する今の通称である。
皇族や貴族の間で仏教が広まり重宝される様になった今、神の血を引くとされる一族にかつての権威や栄光は欠片もない。氏族の誇りを無くし、弓削寺など言う氏族の寺まで造ってしまった始末だ。
しかし、今ではその評価も過去の物。稀代の鬼才の生まれてからは、そう評する者は少ない。一族の不遇を拭って余る功績と経歴を打ち立てた、稀代の風雲児が氏族から生まれたからだ。若かりし頃には神童と呼ばれ、青年期には神の御使いと称され、入道してからは仏の遣いと称された、奈良時代の麒麟児。
――その者が今、何をしているかというと。
法相宗の修行に、葛城山(正確には金剛山)な籠もり行う苦行がある。如意輪法を修する為に行われる秘法で、霊山とされ霊力に満ちている葛城山に籠もる事で霊験を得ようとする。法相宗だけでなく、他宗派や神道でも修行の場に選ばれる程の霊山なのである。
そんな格式ある霊山の奥、人を寄せ付けぬこの世ならざる地に、彼は居た。
褊衫と呼ばれる黄色い着物を着崩し、大胆に鍛え上げられた大胸筋や筋肉を惜しげなく露出して、如法衣、所謂袈裟は肩に軽く掛ける程度。およそ僧にあるまじき格好で、とても神童には見えないが、身に纏う雰囲気は凡人とは一線を画していた。―剃髪された頭は鏡の如く煌めき、無精髭が残るも精悍な面構えをしている。
弓削氏が誇る稀代の鬼才、道鏡である。師である義淵の教えで葛城山に籠もり2年ばかし修行をしていたのだ。
道鏡は十尺(約10メートル)はあろう大男と対峙し朗らかに談笑をしていた。赤い顔に長い鼻、背からは鳶の翼が生え、山伏の格好をしている。後の世で葛城大天狗と呼ばれる様になる、葛城山を統べる主、葛城山大坊だ。
「かっかかか。これでお前は如意輪法とやらを修した訳だな、道鏡よ。寂しくなるなァ」
大樽に入った酒を浴びるように飲み干し大山坊は笑う。
「その節はようお世話になりました。たくさん、手伝ってくださって。おかげさんで、無事修得できました。おまけに他のことの修行まで付き合うてくださって、もう感謝しかありません」
道鏡の周りには空になった酒瓶が幾つも転がっていて、道鏡がかなりの酒を飲んでいることが良く分かる。しかし、道鏡は乱れることなく目の前の恩師に礼を告げる。酒には昔から滅法強いのだ。
道鏡の人離れした豪快な飲みっぷりに大山坊はますます気を良くする。
「その霊力に飲みっぷり、ますます人にしておくのが勿体ないなァ。どうだ、道鏡。お前さん、人間を止めんか? え? 今ならこの儂の弟子にしてやろう」
「有り難いお言葉ですが、遠慮しときますわ。こんでも、師とお呼びするのは一人だけと決めとりますさかい。―それに人をやめる気はありませぬ、拙僧は僧にござります故」
大山坊は気軽に道鏡に、人を止めないかと訊き、訊かれた道鏡もまた言葉を正し、軽くあしらった。
道鏡の自分は僧侶だからという、余りにも説得のない発言に、最初は声を失ったがやがて大笑いをする。笑いを堪えようとしても腹のそこから次から次へと湧いて湧いて出てくるのだ。
「かッかかか! さんざん儂と酒を浴びるが如く飲みおった癖に、己が僧であるが故と嘯くのかよ、貴様ッ実に面白い! こいつぁ傑作だ。実に愉快だのう」
山大坊は床に座しても尚身長差のある道鏡を見下ろすと愉快そうに問を続けた。
「しかもお前、酒だけではあるまい? 伊達に年を食っとらんからのう儂は。道鏡、お前さんはたくさんの女と遊んできたと儂は見る。墨と紙と、それから香炉の匂いで誤魔化してはおるが、儂の鼻は誤魔化せんぞう。女の香りがぷんぷんするわい。とんだ色ぼけ坊主も居た者だの、かかかか」
伊達に年は食っていない葛城山大坊。一つや二つでは利かぬ程の女の匂いを纏わさる道鏡に、鋭く指摘する。道鏡は悪戯のバレた子供の様にバツの悪い笑みを浮かべると、頰を掻き恥ずかしそうに頷いた。
「いやはや。流石は、この山の主、そう簡単には誤魔化し切れませぬなぁ。その通り、拙僧は僧になる前に数え切れぬ程の女と夜を共にしたのですが、やはり染み付いていましたか。言い訳ではありませぬが、今は女と同衾しておりませんぞ」
「女を膝に乗せておるのにか?」
先程から道鏡の膝の上に座り、道鏡の手に持つ盃に酒を注いでいる娘を、山大坊は指差した。狐の耳と狐の尾を生やす人ならざる娘である。
道鏡は娘の顎を、犬畜生をあやすかの如く撫ぜる。すると、娘は心地よさそうに目を細め、より一層道鏡に密着し甘えはじめた。
「女を膝に乗せ愛でているだけございます。これしきの事、女遊びには入りますまい。拙僧は僧故に同衾は、辞めたのです」
「口が回るなぁ。では酒はどう説明する?」
山大坊の問い掛けに、道鏡は娘の頭を撫でながらつらつらと言葉を紡いだ。
「仏教はこの世の真理を悟らんとするもの。真理それ即ち森羅万象です。森羅万象とは天地合切この世の全て。ならば娯楽や道楽を知らずして、世の全てを知らんなど笑止千万。拙僧の思うに、女や酒を知らずして悟りは開こうなど臍で茶を沸かす様に荒唐無稽に思えます」
巫山戯てはいるが、中々一瞬にはできぬ見事な屁理屈だ。さしもの大山坊も驚きを通り越して驚愕してしまう。しかし、それも一瞬で山全体を揺らしかねぬ大きな笑い声が、雷轟の如く響き天地を揺らす。
「かッかか、か! …くっくっくっ…かァアかッかッかッかッか!! なるほど確かにのう。理に叶っているなァ。女や酒を知らずして真理は分からん、道理よのう。この山大坊、お前さんの事を大層気に入った! 見事なり!!! さァ飲めどんどん飲め。お前ほど真理に近い僧はそうそう居ないだろうよォ」
山大坊の最大級の世辞に道鏡はさも当然であるという顔をして、ことなげもなく言葉を零す。
「まぁそうでしょうな。酒や女を知らずとしても、拙僧は最も真理に近しいに決まっておりますから」
傲岸不遜ここに極まり。その言葉が相応さしい程の台詞だったが、それを道鏡は世間話をする様に紡ぎだしたのだ。傲慢にも自分のみが天に近いとそう核心しての言葉なのだ。
「かッかかか! その血故にか? なるほど確かにそうに違いない。その尊き血はまさに天に流れる血。なれば女を知らずとも真理に近いのは道理なるなァ!! 実に愉快なり! 何度も重ねて言うが道鏡よ。儂はお前さんを気に入ったぞォ。今宵は最後の晩酌だ、共に夜通し語り合おうぞ! 早々に酔い潰れてくれるなよ? 道鏡」
「望む所にございます。そちらこそ、葛城の山大坊様が酔い潰れたとなっては一大事でございますよ?」
「抜かせ!! 返り討ちにししてやるわい」
大の男二人の飲み比べは三日三晩続いたと云われている。
道鏡の妖怪に纏わる逸話は、実は史実にあまり残されていない。しかし、道鏡の弟子らの手記にはしっかりと記されていた。曰く「道鏡、その者、凡そ天地の間に生けるもの須らく好かれけり」。人だけではなく妖怪や神すら魅了する霊力を、道鏡は内に秘めており、道鏡はそれを正しく理解していたらしい。
葛城山に2年も籠り、如意輪法を修した道鏡は後に「苦行無極」と称され、自身も「苦行法師」を自称するようになる。神童 道鏡の僧侶としての伝説は、葛城山で大天狗相手に飲み比べを挑んだ事から始まったのだ。
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