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最初は些か話を盛り過ぎていると、阿倍仲麻呂はそう思っていた。
確かに弓削櫛麻呂は信用のおける人物ではあるが、息子に対する評価は控え目に言っても身内贔屓に過ぎると、それが仲麻呂の胸の内だった。しかし、それは中々どうして間違いだったのだ
「何をしているのだ? 裸足で斯様に大地に臥して」
「大地の息吹を感じ取っているのです」
内心は何故自分がわざわざ出向いてまで童に物事を教えねばならないのか疑問を抱いていて、それ故に月満の言う鬼才がどれ程のものか見極めるつもりで仲麻呂は足を運んだのだが、そんな仲麻呂を出迎えたのは、質のいい服を着て素足で大地に寝そべる幼き頃の道鏡だった。
出鼻をくじかれた仲麻呂は毒気を抜かれて、幼き頃の道鏡に大地に臥す理由を問い掛けたのだ。そしてその質問に対する返答を聞き仲麻呂は更に困惑した。
「……龍脈、か? 龍脈を感じているというのか? その年で」
「りゅうみゃくがどういった物なのか知りませんが、あなた様が言うのならそうなのでしょう」
幼き頃の道鏡は、ふっと足を振りかぶりその遠心力で立ち上がり、仲麻呂の目を見ていった。
五歳の童とは到底思えない程しっかりとした受け答えである。俄かには信じ難いがこの眼前の童は、訓練を受けずして大地を流る気の流れを感じ取っているらしい。これにはさしもの仲麻呂も押し黙る他ない。
「お待ちしておりました。私の名は弓削 ■■。阿倍 仲麻呂様。お噂はかねがね」
ぺこりと頭を下げ憚る事なく名を名乗った幼き頃の道鏡に、仲麻呂は怒りを鎮めて溜息を吐く。
「人や生き物の名には相手を縛る力を持っている。■■よ、みだりに名を名乗る事も名を呼ぶ事もしてはならぬのだよ。覚えておきなさい」
この時代、人や物事、そして生き物の名前には相手を縛り操る力があると考えられていた。事実、仲麻呂は名前で相手を支配する術を知っていたし、目の前の童に名を名乗った事もない。
にも関わらず幼き頃の道鏡は仲麻呂の名前を知っていた。それを不思議に思った仲麻呂は幼き頃の道鏡に目線を合わせて質問を投げかける。
「それは知りませんでした。名にその様な力があるとは…。知らなかったとはいえすみません。…あなた様の名前ですが、よき僕たちが教えてくれたんです」
「僕と言うのは、後ろの生き物を指すのか?」
仲麻呂は後ろから、こちらを窺がっている二つ尾の狐を指差して言った。
「はい。それに鳥や獣に、氏神様も私と仲良くしてくれます。あの…何か?」
「ははは。何もないさ。そうかそうか、……そう言ったモノが助けてくれるのは滅多にない事だ。大事にしなさい」
「はいっ」
人に見えないものが見える。幼き頃の道鏡はそれ故に同年代では浮いていたのだが、それを初めて肯定された。その感動は測り知れない。幼き頃の道鏡は嬉しそうに返事をした。初めて見せた年相応の言動に、仲麻呂は苦笑しつつ困惑する。
五歳にして成熟した精神、壮健で何処か神秘的な顔、人なざる《妖》に好かれる性質。そして龍脈を感じ取れる霊力。
どれをとっても並外れた才を感じる。天が溢れんばかりの才を与えた、まさしく神童である。これ程「神童」という言葉が相応しい童を仲麻呂は今迄に見た事がない。
認めよう。この阿倍 仲麻呂は、正しく目の前の子供に戦慄していると。
「改めて名乗ろう。朝臣阿倍仲麻呂。弓削殿から■■に物事を教えてくれと頼まれてここに来た。よろしく頼むぞ」
「父よりお話は聞いております。…こちらこそ、宜しくお願いします。先生」
長い付き合いになりそうだ。
仲麻呂だけでなく若き日の道鏡も、互いを一目見ただけでそれを察した。事実、若き日の道鏡にとって仲麻呂は最初の師であり、家族以外に心を開ける年の離れた友であった。
仲麻呂にとっても、若き日の道鏡は教え甲斐のある優秀な弟子であり、道鏡との語らいは何処となく心が休まった。
仲麻呂を先生と呼び、若き日の道鏡は仲麻呂に様々な物事を教わり吸収した。漢語、詩、術や呪。そして馬術を。仲麻呂が教えられる凡てを若き日の道鏡は教わったのだ。
それより10年後、僧になったある日。
仲麻呂が遣唐使の一員として、唐へ渡ると聞かされた道鏡は、久しぶりに仲麻呂の家を訪ね、最後の語らいをしていた。当時、航海技術が拙く日本から発った遣唐使船の殆どは海の藻屑となり唐(当時の中国の呼称)の土を踏めた遣唐使は僅かであった。
故に、今生の別れになるやもと、最後の友誼を深めていたのだが。
「成程、大陸には斯様な考えがあるのですね。中々に面白い。先生、唐に到着なさいましたら是非とも文を送ってください」
久方ぶりに会い言の葉を交わす物だから思わず、つい盛り上がり過ぎてしまった。幼き頃の、あの日々の様に。今生の別れを悼み、会いに行ったのに普通に親睦を深めただけになってしまったのだ。仲麻呂より、大唐より伝来した教えを聞き、一しきり満足した道鏡は、仲麻呂からの文を求めた。
それに対し仲麻呂は心より道鏡の頼みを了承する。友である道鏡の頼みを断る理由などないからだ。
「もちろんだとも、道鏡よ。お前に必ず文を送ろう。そしてお前もいずれ唐へ来るのだ。お前の才を倭国で燻らせるにはあまりに惜しい。唐へ来て才を磨くがいい」
「ええ。いずれは必ず。今はまだ日本国にて仏を学ぶのみですが、いずれ密を盗みに唐へ参ろうと思います。出来れば先生が唐にいるうちに」
「天竺より唐に伝来したと聞く、生き死を超えた天の教え、か。一端の僧になったな。お前ならば、彼の国も喜んでその密とやらを授けよう。私がいる内に、入唐するならば私の下を訪ねて参れ」
「勿論にございます。先生が無事に大唐へ参られる様、経を読みましょうか?」
「ふっ。あの幼子が私に経を読むとは、私も年を取った物だな。ああ、ならば頼もうか。神童と名高き、貴様が経なら私の旅は安泰だ」
道鏡は徳度したばかりだが、その法力の強さは既に宮中でも噂になっている。それに元より、人を外れた霊力を有している道鏡の祈祷ならば、旅の安全が確約されたも同然であると仲麻呂は考えたのである。
事実それは正しかった。仲麻呂は、無事唐に辿り着き大唐の都、長安に行くことが叶ったのは後の話である。
久しぶりの語らいは夜通し続き、夜が明ける前に仲麻呂は道鏡に別れを告げ、宮中に入った。役人の朝は早いからだ。
「では参内して参る。次は大唐の地にて会おう」
「分かりました。先生、それまでお達者で」
これが、若き日の道鏡の恩師阿倍 仲麻呂と日本で交わした最後の会話であった。
仲麻呂が入唐を果たした背景に、道鏡の祈祷が関わっていた事を知る者は少ない。これが、破天荒な道鏡の隠されたエピソードの一つであった。
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