一枚の絵

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 今私は一枚の絵を鑑賞している。その絵には年老いた夫婦が描かれており、周りには赤いハイビスカスが散りばめられている。ハイビスカスは老夫婦をより引き立つように綺麗に配置されており、洗練された絵であることがわかる。老夫婦がいる部屋や家具や、空間全てがバランスの取れた素晴らしい作品だ。  小学2年生の夏、私は一人で東京の家から電車を乗り継いで茅ヶ崎にある母方の実家に行った。  昔ながらの古い玄関の、それに似つかわしくない小綺麗なチャイムを鳴らしてみたが、返事はなくシーンとしていた。試しに玄関の引き戸を開けてみると鍵は掛かっておらず、中に入ることができた。  私はいつものように土間の端に靴を揃えて、居間に上がった。冷えたネクターをとても楽しみにしていたのだが、なかなか祖母が迎えに出てこない。いつもなら「あらあら、よく来なすった」と言って笑顔で迎えてくれたりするのに、この日は家から人気を感じなかった。それじゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんは畑仕事に出ているのかなと、庭の少し先にある畑まで出てみたが、誰もいなかった。そのうちどこかから現れるだろうと思い、ネクターを飲みに家に戻ることにした。戻って居間でテレビを観ながらネクターを飲んでいたら、長旅のせいか少し眠くなってきた。いつもならそこで寝転がればおばあちゃんがタオルケットをかけてくれるのに今日は誰もいない。私は奥の仏間にタオルケットと枕を取りに立ち上がり、仏間の襖を開けた。するとそこには、祖母と祖父が仲良く死んでいる状態で横たわっていた。惨殺されたようで、仏間は血まみれだった。二人とも衣服はそのままで、何ヵ所も斬られたように見えた。部屋の惨たらしさとは対照的に、仏壇は綺麗に磨かれていてピカピカしており、瑞々しい仏花が横に供えられていた。部屋の端に立て掛けられていた姿見は、目の前の死体を映し続けていたが、その死体を美しく神秘的にしていた。  その美しさに、少年の私は興奮を覚えた。 死体というのは何と美しいものなのだろうか。この光景は一枚の絵のようだ。血はハイビスカスのような赤を基調としていて、死体を引き立たせてて、死体は生き生きしているように見える。何一つ偽りのない絵。唯一、私がこの絵に紛れてしまっていることが残念でならなかった。  でもこの空間には居続けたい。何をするわけでもなくただただずっと鑑賞していたい。この部屋を、死体を中心とした一枚の絵を鑑賞し続けているうちに、私は眠りについた。  目が覚めた。私は、いつ寝たのか思い出せないほど現実味のある夢を見ていたようだ。起き上がると、祖父と祖父は居間でテレビを観ていた。私はおもむろに台所に向かい、包丁を取り出す。 「しょうちゃん、何してるの?」 「今からね、一枚の絵を鑑賞しようと思うんだ」
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