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花屋の店先で
「和樹君。もう仕事には慣れた?」
ある春の日。駅前の花屋、『フラワーショップ・フェンネル』で間島和樹がアルバイトを始めてから、一週間。声をかけてきた店長の乾に、和樹は「はいっ!」と元気な声で答えた。
「お陰様で、レジ打ちとラッピングはなんとか。商品について訊かれると、まだ困る事は多いですけど……研修中の名札のお陰で、ほとんどのお客さんは大目に見てくれますし」
答えながら入荷したばかりの生花を、体裁を整え、店先に並べていく。手際は良いが、陳列のセンスはイマイチだ。苦笑しながら乾はバランスを整え、陳列を手伝った。
「あ、すみません」
頭を下げる和樹に、乾は「良いよ良いよ」と笑って見せる。
「ディスプレイは、続けていくうちに配置の感覚を覚えていくよ。和樹君は呑み込みも早いから、きっとすぐに綺麗に陳列できるようになるよ」
褒められ、和樹は照れながら頭を掻いた。
「そうですかね? ……こんなにたくさん種類があるのに、綺麗に陳列とか、お客さんに訊かれたらどんな花なのか答えたりとか……できるようになるんでしょうか、俺に?」
「まぁ……うちは品揃えの豊富さが売りだからね。他の店と比べて入荷してくる花の種類はかなり多いけど……まぁ、なんとかなるもんだよ」
和樹は「そうかなぁ……?」と首を傾げている。その様子に笑いながら、乾はふと尋ねた。
「ところでさ……和樹君って、なんでうちでバイトしようと思ったの?」
「へ?」
問いの真意がわからず、和樹は首を傾げた。
「ほら、男の子が花屋でバイトをするなんて、ちょっと珍しいじゃない? 大学生なら、家庭教師とかおしゃれな飲食店のバイトをしたいって人が多そうな気がするんだけど。工事現場や運送業者みたいに、力は要るけど稼ぎの良い仕事だってあるのに」
本来なら店長である乾がバイト面接の時に訊かなければいけない事なのだが、なにしろ人手が不足していた上にバイトの問い合わせすら数ヶ月に一回あるかないかの状況だった為、じっくりと話を聞こうとする余裕すら無かった。履歴書と言葉遣いだけ見て、大きな問題は無さそうだったからその場で即決めてしまった、という記憶が乾の脳裏にちらりと過ぎる。
「あー……その、なんて言いますか……聞いてもクビにしたりしないでくださいよ?」
「よっぽど拙い理由じゃなきゃ、今更クビにしたりなんかしないよ。和樹君、もう充分戦力になるんだし」
乾の言葉に安心したのか、和樹はホッとした表情を作る。そして、少々決まりが悪そうに言った。
「ほら、花屋で働いてると、草食系男子って感じで、女の子にモテそうじゃないですか」
その答に、乾は一瞬ぽかんとした。そして、呆れたような顔をし、苦笑をしながら言う。
「自分で草食系って言っちゃう時点で、草食系とは認めて貰えないんじゃないかな?」
「あー……やっぱり? 俺もそう思ったんですよ。お客のお姉さんに口説き文句言ったら、反応が草食系に対する物じゃなかった気がしたんで。なんて言うかこう……弟をたしなめているような感じの?」
「……お客さんナンパしてたの?」
再びぽかんとして乾が問うと、和樹は右手の指で「三」を示す。
「三回チャレンジして、三回とも同じ反応でした」
「三回も!?」
ぽかんを通り越して、驚いた声を乾は発した。油断も隙もありはしない。……まぁ、話を聞く限りではお客さんに悪印象を与えたわけではないようなので、とりあえずは不問にする。
「はい。ナンパは花の事をもっと勉強して、お客さんの質問に答えられるようになってからにしなさいね、って」
随分寛容なお客に恵まれたものだ。質問に答えられなかった上にナンパなどしていたら、相手によっては落雷を喰らいかねない。この辺りは、もう少し口煩く指導しておいた方が良いだろう。
そうそう、落雷を喰らわせてくる相手と言えば。と、乾はある事を思い出した。
「お客さんにね、難しい事を言ってくる人がいるんだけど……」
「あんたかい。最近入った若造と言うのは」
言葉を遮られ、そして遮った言葉の主を瞬時に察し、乾はビシリと固まった。振り返れば、乾の予想通り。少々大柄で、和服を纏った老婆が立っている。
「いらっしゃいませ。……えーっと……?」
首を傾げる和樹に、乾はひそりと耳打ちした。
「このお客さんは、佐倉はなさん。うちのお得意様で、今丁度注意しようとしていた人物だ」
「誰が要注意人物だって?」
しっかりと乾の耳打ちを拾い、尚且つ誇張して、佐倉は乾に凄んでみせた。乾は蛇に睨まれた蛙のように固まりながらも、なんとか笑顔を作って見せる。
「いらっしゃいませ、佐倉様。本日は、どのような花をお探しで?」
「毎回同じ事を言わせるんじゃないよ。私を表すのに良い花。これを見繕えと言っているのに、いつもいつもロクな花を出しやしない。前回のは何だい? ラナンキュラス? 家に帰って調べてみれば、花言葉は『かわいらしさ』だって? それは、私に対するあてつけかい?」
「いえ、別にそういう意味では……」
しどろもどろになる乾に、佐倉はふん、と鼻を鳴らした。そして、ビシリと和樹に向かって指を突き出す。
「そこのあんた」
「え、俺?」
「あんたと、そこのへっぴり店長以外に誰がいるんだい? 今日はね、あんたの話を近所で聞いたから来たんだ。男ぶりはまぁまぁ良いが、軽そうな若造が入ったってね」
喜んで良いのか悪いのか、よくわからない評判だ。……いや、多分悪いんだろう。
「良いかい? さっきそこの店長が言った通り、私はこの店の常連だ。これから先、あんたが接客する事もあるだろうさ。だから今日は、あんたがどれだけ私の注文に応えられるか、試しに来たんだよ」
「……はい?」
意味がわからず、乾の方を見る。乾は「黙って言う事を聞いておけ」という目をしている。……聞くしかないようだ。
「私が欲しい花は、さっきも言った通り私を表す花。これだけだよ。これだけ種類を置いている店なんだ。何か一つくらいはあるだろう? あんたはこの中から、それを探し出すんだ。ただし、ただ豪華だから、とか、綺麗だから、なんていう詰まらないおべっかを理由に選んだりしたら承知しないよ。良いね?」
「はい。……えーっと、お急ぎですか?」
思わず返事をして、しまったと後悔して、腹を括って制限時間を問うてみる。
「急いでなんかいないよ。年寄りは、時間だけはたくさん持っているんだからね。なんなら、今日一日かけて探して、明日売ってくれるのでも良い」
「はぁ……それじゃあ……」
ぽりぽりと頭を掻きながら、和樹は店内を見渡した。そして、佐倉に向き直ると問う。
「とりあえず、色々と伺っても良いですか?」
◆
「和樹君、本当に大丈夫? 僕が探すの手伝わなくて……」
閉店後の店内で、乾は心配そうに和樹に問うた。当の和樹は行儀悪くレジカウンターに座り、備品の植物図鑑を開いて熟読している。
「……とは言え、僕はもう何度も色んな花を売っては、毎回佐倉さんに怒鳴られてるからなぁ……。僕じゃ、助けにはならないか……」
がっくりと肩を落として、乾は情けない声を出す。和樹は、やっぱり植物図鑑を熟読している。
「……和樹君さ、今日、佐倉さんと色々話をしてたでしょ? ……どう? あれで何かわかった?」
「そうですねぇ……。名前は佐倉はなさん。佐倉の佐は人偏に左で、倉は倉庫の倉。はなは平仮名って事はとりあえずわかりました」
「……それぐらいは僕も知ってるよ」
ますますがっくりと肩を落として、乾が言う。それを気にする事無く、植物図鑑に視線を遣ったまま和樹は言葉を続けた。
「あとは……佐倉さんは第一子長女で、お父さんが消防組――現在の消防団とか、江戸時代で言うところの火消しですかね? だった事と、亡くなった旦那さんの趣味が万華鏡制作だった事。佐倉さん本人は騙し絵にハマった事がある……ぐらいですかね?」
「それがわかったところで、どんな花を出すって言うのさ……」
「うーん……」
唸りながら、和樹はバックヤードへ行き、植物図鑑を棚の、国語辞典の横に戻した。そして、困ったように笑いながら言う。
「一応、目星は付けました。気に入ってもらえるかどうかはわかりませんが……」
その言葉に、乾は驚いたように目を見開く。そんな乾に、和樹は申し訳なさそうに言った。
「ただ、俺じゃその花が店内のどこにあるのか、まだよくわかってないので……乾さん、一緒に探して貰えますか?」
◆
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、佐倉様」
にこやかに笑って佐倉を迎え入れた和樹に、佐倉は少々驚いた顔をした。
「意外だね。考えあぐねて困った顔でもしているかと思ったんだけど」
「はい、困りました。けど、なんとか俺なりの答を出せたと思いますので」
言いながら、和樹はサッとラッピングした鉢植えの花を差し出した。葉が大きく、黄色い花弁を持つ花だ。
「これは……なんて花なんだい?」
「海老根……と言います。日本の野生のランで、春咲きとか夏咲きとかの品種によって多種多様な色を付ける花です」
乾の説明に、佐倉はふん、と鼻を鳴らした。そして、視線を和樹に向ける。
「見た目は良いね。けど、なんだってこの花を選んだんだい?」
「それは……」
少々緊張した面持ちで、和樹は唇を舌で湿した。乾も、緊張した顔をしている。
「佐倉様から伺った、色々なお話から考えて、選ばせて頂きました」
「? あぁ、あんたには、色々と話を聞いて貰ったね。けど、どれも花とは関係の無い話だった筈だよ。あれから、どうやればこの花が出てくるんだい?」
「まず……佐倉様のお名前は、平仮名ではな様、でしたよね?」
佐倉は、頷いた。
「平仮名のお名前ですから、どういう意味を持つのかわからなくて……いえ、普通に考えたら植物の『花』なんでしょうけど。ちょっと、国語辞典で調べてみたんです。そうしたら、『はな』という音を持つ言葉は、植物の花以外にも、人体の『鼻』とか、端っこを意味する『端』とか、色々あったんですよね」
「……それで?」
「それで……あの、お父さんが消防組だった……という事で、思ったんです。ひょっとしてこの『はな』という名前は、端っこを意味する『端』なんじゃないかなって。……ほら、『端』って『一番最初』って意味もあるじゃないですか。消防組は不勉強でよく知りませんけど、それより前の、江戸時代の火消しってどこの組よりも早く現場に着くのが誉、みたいな感じだったらしいですし」
これは、祖父母が観ていた時代劇で得た知識だ。
「それに、第一子長女だと言うなら、お父さんから見れば本当に一番最初の子どもです。だから、『最初』という言葉が佐倉様のお父さんにとっては、他の人よりもずっと特別な言葉なんじゃないかなーと思いまして。最初の子どもという意味と、誰よりも早く現場に駆け付ける火消しの誉……二つの意味を込めて、『はな』という名前になさったんじゃないかな、と思ったんです」
「それで……私の名前と、この花が、どうやったら結び付くんだい?」
少し苛々としながら、佐倉が問う。まぁまぁと両手で制しながら、和樹は話を続けた。
「この通り、『端』という字だけでも、二つも理由が考えられました。更に、お名前が平仮名だった事から、花、鼻、端と漢字を想像するだけでもいくつものパターンが考えられます」
「……それで?」
乾も、少し苛々し始めた。早く答を知りたくて仕方が無いようだ。
「あと、これは俺のこじつけなんですけど……植物の花や、人体の鼻って、見る角度によって『端』にも中にもなりますよね? 植物の花は、横から見れば枝の先で端っこだけど、上から見れば葉に包まれて真ん中に見える。人体の鼻も、正面から見ると顔の真ん中ですけど、上や横から見ると顔の『端』になるんです」
敢えて、『端』を強調してみた。見る角度を変えてみた図を想像したのか、乾も佐倉も頷いている。
「……ね? 花も鼻も、見る角度によって見た目が変わってくるんです。さっきの名前にしても、そう。考え方をちょっと変えてみるだけで、意味が変わってきます。一つの言葉なのに、色々な姿を持っているんです。それに、佐倉様の旦那様の趣味は万華鏡の制作で、佐倉様は騙し絵にハマった事がある。……どちらも、同じ物だけど色々な姿を持っていますよね?」
そこで、乾が「あっ」と声を上げた。そして、海老根の鉢を見る。つられて、佐倉も海老根の鉢を見た。そしてやはり、何かに気付いたのか目を丸くする。
「……そう。先ほど説明した通り、海老根は多種多様な色を付ける花です。同じ海老根なのに、品種が違えば、違った色の花を見せてくれる。多種多様な意味を持つお名前を持ち、ご夫婦揃って多様な姿を持つ芸術品に興味を示す佐倉様には、こんな様々な姿を持つ花が良いのではないかと思いまして」
そう結ぶと、佐倉は丸くしていた目を細めた。そして、またふん、と鼻を鳴らす。その表情は、笑っているように見えた。
「頓知はそこそこ利いているけど、こじつけが過ぎるよ。……でもまぁ、この花は気に入ったからね。今日のところは、合格にしておいてあげるよ」
そう言って代金を払い、シャンと背筋を伸ばして帰っていく。その後姿を見送りながら、乾は感心したように和樹を見た。
「本当に、よくそこまで連想できたものだね。名前が複数の意味を持っているとか、万華鏡と騙し絵が趣味とか、それに海老根を繋げるなんて、僕には思い付かなかったよ」
「……まぁ、実を言いますと、俺も名前から海老根を連想したわけじゃないんですけどね」
「……どういう事?」
乾が問うと、和樹は照れ臭そうに頭を掻きながら言った。
「最後、俺に合格だって言ってくれた時の佐倉さん……可愛い顔で笑っていたと思いませんか?」
「え? ……あぁ、そう言えば。あの人でも、あんな顔をして笑うんだねぇ」
乾が同意をすると、和樹は畳み掛けるように言う。
「俺、昨日佐倉さんと結構長い間話してたじゃないですか。……それで、俺が話聞いて、たまに相槌を打ったりしてると、佐倉さん、やっぱりさっきみたいな可愛い顔で笑うんですよ。……想像ですけど、多分、誰かと話すのが嬉しかったんでしょうね」
「あ……」
言われて、乾は初めて気付いた。そう言えば、和樹が聞いた話によると佐倉の旦那さんは既に亡くなっている。これは想像に過ぎないが、年老いた女性の一人暮らし……確かに、寂しいかもしれない。だからこそ、佐倉は頻繁にこの花屋へ来て、そしてあのような注文をつけるのだろうか? 店員に難癖をつけ、店員と話し、店員に自分の事を考えて貰えるように。
「そう考えた時、思ったんですよ。この人、色んな姿を持ってるなぁ、って。店員に難癖をつける気の強いお客の姿、楽しそうにお喋りに興じる可愛い姿、誰もいない家で過ごす寂しい姿……。それで、思ったんです。この人に合うのは、色々な姿を持っている花なんじゃないかなー、って」
「それで、色々な姿を持つ花を植物図鑑で探してたのか。……けど、だったらなんで名前や趣味の事まで……」
「いや、それこそ本当に頑張ってこじつけたんですけどね」
そう言って、和樹は苦笑した。
「お客さんに寂しそうとか、可愛いとか、失礼で言えないじゃないですか」
いやいや、お客をナンパした君なら言えるだろう、と思ったが、乾はその言葉を呑み込んだ。
「それに、佐倉さんっていつもは結構怖いし、変な事言ったら意固地になりそうな気がしたし。……本当、運が良かったですよ。佐倉さんが海老根と関連付けができる名前や趣味を持っていて」
そう言って、和樹はにこりと笑った。さわやかで、人好きのする笑顔だ。この顔で、さっきの洞察力と気遣いを駆使すれば、実はかなりモテるのではないだろうか。何故この青年がモテる為に草食系男子を装って花屋のバイトをしているのかが、わからない。
乾が頭を捻っていると、女子大生らしき客がやってきた。彼女は和樹を見付けると、楽しそうに笑いながら寄ってくる。
「あ、間島君。本当にこの店でバイトしてるのね」
「なに、彼女?」
冷やかしに問うと、和樹はフルフルと首を横に振った。
「大学で同じゼミなんですよ。三宅さん、今帰り?」
「うん。……折角間島君がバイトしてる店に来たんだし、たまには花でも買ってみようかな?」
「本当? 買ってって買ってって! オマケするから!」
一介のバイトが勝手にオマケを約束するなと言いたいが、まぁ、今回は和樹のお陰で佐倉の難題を乗り切れたので見逃す事にしよう、と乾は思う。
「……で、どの花にする?」
「うーん……迷うなぁ……。あ、そうだ。間島君、選んでよ。私に似合う花!」
なんでうちの店はこういう客が来るのだろう……と思いつつも、乾は二人のやり取りを微笑ましく見守った。和樹の事だ。この三宅に対しても、そつなく良い花を選ぶだろう、と。
「そうだなぁ……あ、じゃあ、スズランなんてどう?」
そう言って、和樹は店内の一角を指差した。白くて小さな花が、たくさん生けてある。
「あ、可愛い! けど、何でスズラン?」
問うた三宅に、和樹はあの人好きのする笑顔で言った。
「実はさ、スズランって有毒なんだよね。可愛いと思って迂闊に手を出すと殺される……みたいな?」
次の瞬間、パーンという小気味良い音が辺りに響き渡った。
「あぁ、道理で今まで、モテなかったわけだ……」
和樹の頬に咲いた真っ赤な花を見ながら、乾は溜息をつきつつ独り言ちた。
(了)
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