鬼ごっこデスマッチ

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 勇太(ゆうた)は足を止め、両膝に手をついて中腰の姿勢になった。  足元で校庭の砂がジャリッと音を立てる。  その途端に、頭から汗が噴き出してきた。  動いているときはそれほどでもないのに、止まると大量の汗が流れて目に入りそうになる。  けれども汗は流れるに任せた。  額に手をやろうものなら、視界が遮られるその一瞬の隙を突いて(たけし)が突進してくるに違いない。  やかましく鳴くセミの大合唱にも、集中を乱してはならない。  見れば、毅も相当ヘバっているようだ。  無理もない、二人は7月16日という夏の盛りの午後2時から、かれこれ15分も炎天下で鬼ごっこを続けているのだから。  ほかの友だちは「暑すぎる!」という理由で早々にリタイアし、下校してしまった。  しかし何かにつけてお互いをライバル視している勇太と毅は、その程度の理由で勝負を捨てることなどできなかった。  オニの毅が勇太にタッチするか、午後2時半で放課後遊びの時間が終了するまで終わりは来ない。  毅は勇太から30メートルほど離れた木陰で同じように休んでいた。  直射日光にさらされないぶん有利かと思いきや、そう単純でもない。  毅に影を落としているサルスベリの木の近くには、低木が茂り、ちょっとした池がある。  校庭の中ではそこだけ湿った臭いがして、ヤブ蚊が大量にいるのだ。  毅は勇太を凝視したまま自分のふくらはぎをパチンとたたいた。  お互いに相手から視線を外せない。  だから毅がヤブ蚊を仕留められたかどうかは不明だ。  けれども、あの癪に障る羽音と即効性の痒みは、間違いなく毅から集中力を奪うだろう。  しかし、勇太とて楽な勝負とはならない。  放課後遊びが終了するまであと15分、体力を持たせなければならないのだ。  背中や胸の表面をいく筋もの汗が流れていくのを感じる。  半パンから出ている足も、太ももと言わずふくらはぎと言わず汗が伝い落ちて靴下に吸い込まれていく。  蚊に食われたわけでもないのに、汗が通った部分が痒い。  水が飲みたい。  今すぐにでも水飲み場に走っていって蛇口を上向け、勢い良く出てくる少しぬるい水を気がすむまで飲み続けたい。  毅の足元でジャリッと音がしたのを聞き逃さない。  休憩は終わりか。  そのとき――  対峙する二人のちょうど中間点で、カチリと聞き慣れない音がした。  両者とも、わずかに集中を乱す。  校庭の中央に埋没していた回転式のスプリンクラーが作動した。  それもよりによって、勇太のいる方向に向かって。  水鉄砲よろしく勢い良く噴きつけられる水。  頭から服からずぶ濡れになって、勇太はさすがに怯んだ。 「光化学スモッグが発生しました。  校内、校庭に残っている生徒は、すぐに帰りましょう」  校内放送など毅の耳には入らない。  機を逃さず、直ちに動く。  スプリンクラーの回転方向を見極め、水をかぶらない位置から最短距離で強襲。  我が身をかばうような姿勢で固まった勇太の腕をパチンとたたいた。 「いってぇ! 今のナシ! 放課後遊び終わってんじゃん!」  自分の声のデカさに飛び起きた。  蒸し風呂のような室内。  汗で張り付く部屋着のTシャツとハーフパンツ。  喉はカラカラだ。  キッチンで水をがぶ飲みしながら、勇太は頭の中を整理する。  小学生のときの夢を見ていた。  それまで完全に忘れ去っていた、たった一日の出来事。  そのおかげで目覚めることができた――熱中症になる前に。  就寝中にリモコンを触ってしまったのか、クーラーの電源がオフになっていた。  窓も扉も閉めきった室内で昼過ぎまで寝ていたわけだから、目覚めるのがもう少し遅ければどうなっていたか。  そういえば毅はどうしているだろう。  数年ぶりに連絡を取ろうとスマホのアドレス帳をスワイプする。  お前のおかげで命拾いしたと言ったら、アイツどんな顔をするだろうか? 〈完〉
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