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◇
冬休みに入ってすぐの土曜日、啓太の発言が私を仰天させた。
「ダメなの?」
「いや、全然構わないよ。ケーキ買っておくね」
「そんなの要らないから。昼過ぎに連れて来る」
誰を連れて来るのか、そんなの決まっている。
亜弥ちゃんだ。
明日の昼、亜弥ちゃんが我が家を訪れると宣言された。
驚天動地の大事件なのに、啓太はふて腐れたような態度で踵を返して、また私の前から消え去る。
ただ来るわけじゃなく、夜までキッチンを貸してくれとも頼まれた。
忙しさにかまけて、月日の感覚に乏しい私でもピンと来る。
明日は十二月二十四日、クリスマスイブ。
うちでは平常通りの休日だが、世間は浮かれ踊る一大イベントである。
若きカップルが、こんな大事な日を見逃すはずがなかった。
おそらく私以上に、亜弥ちゃんは緊張しているに違いない。
認めたくないけれど、私は意地悪かもしれない姑だもんね。
初対面で好印象を与えようと、息子と二人で知恵を絞ったってわけか。
クリスマスディナーなら今風の特別メニューだし、普通の味噌汁や煮物よりハードルは低い。
家庭の味なんて必要ないもの。
なら、私は自室で書類仕事を進めつつ、夕飯を楽しみに待つとするか。
食べながらゆっくりと、亜弥ちゃんとも喋ろう。
遠足前の子供のような興奮を覚え、土曜の夜は寝付きが悪かった。
日曜も朝早くに寝床を飛び出し、家の掃除に精を出す。
張り切る私を横目に、わざとらしく溜め息をついて啓太は昼前に家を出る。
じりじりと待つこと一時間と半、ドアが開く音を聞き付けて玄関へ走った。
「は、初めまして。山内亜弥です。啓太くんには、いつも勉強を教えてもらっています」
天使がいた。
亜弥ちゃんと比べたら、私は象だろう。
頬にハイライトが光らなくなって久しい。
啓太は荷物持ちをさせられており、トートバッグから食材が覗く。
さっさと引っ込めという無言の睨みに、もう少し眺めさせろと視線を返した。
しかし、あからさまに強張った亜弥ちゃんの笑顔に、私も引くことにしてやる。
仕方あるまいて。勝負はディナーじゃ。
……何の勝負か知らないけども。
「呼ぶまで、出てくるなよ」
「はいはい」
啓太の言い付け通り、部屋へ引き篭って書類を広げたが、どうもキッチンが気になって集中出来ない。
和気藹々とした笑い声に、つい手を止めて耳を澄ませてしまった。
さすがクリスマスディナーと言うべきか、調理の音は一向に止む気配がなく、数時間があっという間に過ぎていく。
どんなメニューを用意しているんだ。やっぱり、七面鳥とか買ったのだろうか。
仕事は諦めて、机の隅に置へ目を遣る。写真立てを引き寄せ、その色褪せた縁に指を這わせた。
あの子の彼女、可愛かったわよ? あなたにも紹介しないとね。
午後五時前には、喧騒も治まる。
もう呼び出される頃合いだと待ち構えたのに、ここからさらに一時間待たされるとは予想外過ぎた。
焦れてキッチンを窺おうと立ち上がった時、やっと啓太の声がドアの向こうから届く。
「夕飯が出来たよ」
このセリフを、息子から聞くことになろうとは。
とっくに私の背を追い抜いた啓太に付き従い、ダイニングへと向かった。
「あれっ、亜弥ちゃんは?」
「帰ったよ」
テーブルには二人分の料理しかなく、啓太の言うことは本当らしい。
せっかく楽しみにしていたのに、何で帰しちゃうのよ!
息子の彼女と喋る機会を奪われたのは、そりゃあ残念に思う。腹が立つくらいだ。
しかし、それ以上に、用意された料理に不思議で首を捻る。
「早く食べよう。冷めちゃうじゃん」
「え、うん……」
豆腐とワカメの味噌汁に、タコの酢の物と筑前煮。
何の変哲も無く、どの皿もクリスマスとは程遠い。
促されて味噌汁から口をつけてみたが、これまた普通の赤だしだった。
私の顔色を、啓太がじっと見つめる。
「どう?」
「昼ずっと、これを作ってたの?」
「うん。俺が作ったんだ、全部」
「えっ、うそ!? 筑前煮とかも?」
「亜弥が特訓してくれた」
勉強を教える代わりに、彼女は啓太に料理を教えたそうだ。
その集大成が今日で、結果は――。
「……及第点かな」
「よかった! 一応味見はしたんだけど、初めてだし」
「どうして料理なんて?」
居住まいを正した啓太が、私へ軽く頭を下げた。
「いつも家事までさせて、ごめん。料理も手伝えるようになったから、弁当も自分で作るよ」
「そんな、好きでやってるんだから――」
「それと、これ」
ラッピングされた包みが、ずいとこちらへ突き出された。
飾り紐を解いて包装紙を丁寧に開けると、洒落たフォトフレームが現れる。
「何がいいか分からなくてさ。それなら好きな写真を飾れるだろ?」
「クリスマスプレゼント?」
「誕生日プレゼントだよ。早いけど」
「馬鹿、誕生日は来月じゃない。早過ぎよ……」
さあ、食事の再開だと、啓太は箸を握った。
私も茶碗を持ち上げてはみたが、そこで動きが止まる。
「母さん?」
そう言えば、母さんと呼ばれたのは久しぶりかも。
それが限界で、大粒の涙がポロポロとこぼれ出した。
うろたえる息子へ泣き笑いして、くしゃくしゃの顔のまま筑前煮を頬張る。
「受験勉強もしなさいよ」
「分かってるって。顔拭けってば」
私も意地になって、最後の一切れを食べ終わるまで顔を拭いてやらない。
どの料理も平凡極まりない出来だったけれど、今までで一番美味しい晩御飯だった。
了
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