03 2175年8月 トリポリ

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 当時の北部アフリカは、ウェストファリア条約以前のヨーロッパさながらの惨状だ。テルアビブ壊滅以来、シナイ半島からアレクサンドリアで砲火が途絶えた日は一日もない。スエズ運河は、赤道直下のモルディブに地球脱出のため軌道エレベータを建設する要路だ。多国籍企業と先進国の投機と利権と思惑が奇怪に交錯し、先進国と兵器商は、乱立する軍事政権や軍閥に融資し、武器を売り、反発する貧困層や難民たちも兵器商からカネを借り、武器を買い、互いを食い尽くす、終わりのない消耗戦が繰り広げられていた。  地球脱出、火星移住はお題目にすぎない。  路上に血が流れるとき、それは投資のチャンスだ。  だれかの損得勘定を理想で飾り、大義で塗りこめ、終わったときには、始まった理由などだれも覚えてはいない。そんな闘争にわたしは投げ込まれた。  芸術家ライフル連隊は対テロ対革命戦ユニットとして北部アフリカを転戦していた。わたしも兵士として戦ったが、過酷なソーティ、遠距離狙撃や空中戦は戦術モードの由美香が引き受け、わたしを守ってくれた。わたしはここで戦場を知り、現実を知り、人間を知った。戦場ではパスカルと呼ばれ、戦場にいないとき、わたしは一条由理亜と本名で呼ばれていた。  多国籍企業の設備を保護するときもあった。難民を支援して政府軍に非正規戦をしかけることもあった。英国の利権が優先なのは言うまでもなく。  火星に移住すれば、すべてをゼロからやり直せる、と国連は力説するが、誰がそれを信じるだろう。ここでうまくやれないのなら、火星でもうまくやれるわけがないのだ。  国連のスエズ運河接収を支援し、カイロでは反国連勢力を掃討した。  一年後、スエズ周辺の状況が安定すると、わたしたちは新生リビアのトリポリに活動拠点を移した。まとまった休暇、大事な友だち、恋。わたしはようやく人生を取り戻すことができた。  その日、チュニス行き二十万トンのコンテナ船が、エンジントラブルで突如トリポリ港に入港した。港は難民と貧困層であふれた。新生リビアへの支援物資が届いた、と朝になって誰かがデマを流したのだ。  浅黒い肌の色から、濡れたような黒い肌まで、人種も部族も入り混じった人々が、波のようにコンテナ・ヤードに押し寄せた。  ただ、食料と服と、今よりましな暮らしをもとめて、国連軍の兵士に詰め寄り、押し返される。  アラビア語とイタリア語とスペイン語。汗と、人いきれと、潮の香りが渦巻き、強烈な陽射しを浴びた埠頭はとても息苦しい。  わたしは埠頭の奥、コンテナヤードの手前に停めた装甲兵員輸送車(APC)の日かげで、メディア・ストリームから流れるモーツァルトのピアノ協奏曲をきいていた。 〈不安?〉由美香が言った。 「どうしてそう思うの」 〈モーツァルトを平気できいてる。長調のモーツァルト苦手じゃん〉  ひどい会話。わたしは肩をすくめた。これが実に一週間ぶりの由美香との会話だった。  先週ベンガジで、わたしが由美香にひどいことを言い、由美香はひどいかたちでそれに応え、会話もなく一週間が過ぎた。ひどい一週間だった。 「今日のアサインのこと考えてたのよ」  わたしたちは予定外の任務を割り当てられたばかりだった。  緊急のアサイン。基地司令から直接。  エンジントラブルのコンテナ船がイスタンブールから運んできた支援物資とドイツ製工作機械を、ここで荷降ろしして、チュニジアの難民自治区に陸送する。芸術家ライフル連隊はその護衛任務にあたる。  難民排除をすすめるチュニジア政府からの妨害を恐れての措置だと説明された。英国外務省からの要請だという。 「なぜ陸送するんだ?エンジンを修理してチュニジアへ送ればいいじゃないか」  武宮二尉のしごくまっとうな疑問はあっさり無視された。  芸術家ライフル連隊からわたしを含め三十五人出る。航空支援は二機の無人攻撃ヘリとそれを指揮するケストレルSVTOL。パイロットは武宮二尉。  とはいえ、芸術家ライフル連隊は、フランス軍と共同でアルバイダ地域の軍閥掃討戦を終えたばかり。本隊のトリポリ到着予定は二〇〇〇時。  そのときトリポリにいたのは、わたしを含めたった六人。ウィルスン小隊長、ファウラー軍曹、ケイン、パイク、武宮二尉だけだ。重傷者と戦災孤児の移送のために二日早く戻っていたのだ。  だから、三十台のコンテナがヤードの奥におろされると、本隊が帰還するまで六時間、わたしはすることがない。  コンテナを輸送するトレーラーさえ来ていない。  そのくせ港の隣には航空支援のSVTOLと無人攻撃ヘリのハンガーが大急ぎで仮設されている。兵装リストには空対空ミサイルからバンカーバスターまで過剰な装備が並ぶ。妙ななりゆきだ。 「やっぱり、昨日の電話のせい?司令は焦ってるみたい」 〈だろうね。指示をだしたのは外務省だし。このアサインはおかしなことばかり〉  昨夜、トリポリの基地司令に古い友人が電話をかけてきたのだ。国防省の事務次官補の一人だった。  母の行方には関係はなかったから、盗聴をやめればよかったのだが、つい最後まで話をきいてしまった。  次官補はアルジェリアがからんだ謀略をつたえてきたのだ。近日中にトリポリでなにかが起こる、と。  結局、昨夜のケインとのデートは無残な失敗だった。由美香の沈黙と電話のおかげで。
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