03 2175年8月 トリポリ

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 由美香はネットワークから、アルジェリア軍の動きを探っていた。  わたしは狙撃銃の手入れをするふりをして、埠頭の様子を観察していた。なにかが起こるなら兆候が見つかるはずだ。  そう思って探すと、挙動のあやしい男と女が五人すぐに見つかった。視線の配りかたが、まわりの難民とはちがう。一人はときおりシャツの襟に隠したスロート・マイクになにか囁いていた。ほかに何人いるのか。  背中で重い靴音がして、手元がかげった。  武宮二尉。目がぎょろりと大きく、尊大な鼻に分厚い唇。よく日に焼けていて、目の下にアイブラックを施すと、まるで戦化粧のネイティブ・アメリカンだ。気持ちのいい男で、アラビア語はからっきしなのに、子どもたちに人気がある。  自衛隊のレンジャーからの出向というと聞こえがいいが、実のところはカムチャツカでしでかしたなにかの一件で島流し。わたしの行動を監視し、日本へ報告するのが彼の任務だった。 「ほら、お前の戦友だ」武宮の肩の上に座った、リビア人の少年が手を振る。 「ユリア」ハリーファが満面の笑みを浮かべている。  母親は内紛で亡くし、ジャーナリストの父は政治犯として収監中。七歳。市街戦に巻き込まれて右膝から下を失い、人道支援団体に与えられた義足をつけている。  ハリーファが飛びおり、わたしに抱きつく。  わたしはハリーファの頬に自分の頬をこすりつけた。ハリーファが笑う。波うつ髪、よく光る目、はっきりした目鼻立ち。一本欠けた乳歯のあとがかわいらしい。会うたびに、抱きしめてしまう。  ハリーファにはじめて会ったのは、二月前だ。  その日、二週間ぶりの休日で、由美香の方向指示を断り、わたしは地図も見ずトリポリの街を歩きまわり、予想通り、道に迷った。  岩塩、羊肉、ミント、バジル、トマトスープ、一本単位でバラ売されるタバコ、たくさんのスパイス、路上の水キセル、名前も知らない匂いと色彩が、めまいがするほど入り混じるアーケード。石造りの床に座り込んだ老人は、自分で調合した火薬を詰めたセンターファイアのライフル弾を売っていた。  ハリーファは雑踏の中を、重そうな雑嚢を背負って歩いていた。雑嚢からのぞくのは、プラスチック製の右手。義手だった。  三歳で脳に障害を負ったわたしは、子どもとしての生活体験がない。だから、その子が義手をどうするのか知りたくなった。  遊びに使うのか、売りにゆくのか。  そもそも、子どもとはなにをする生き物なのか。  いくつもの角を曲がり、一軒の家にたどり着く。ドアと壁には前世紀からの弾痕が残り、窓枠は歪み、ガラスがない。共同住宅だった。そのなかにハリーファは入っていった。  すこし迷ってわたしも続いた。ハリーファがいる部屋はすぐにわかった。ドアがなかったのだ。分厚いカーテンで陽射しを締め出した薄暗い部屋。汚れた服の老人がひとり、粗末な椅子に座っていた。まくった袖からのぞく老人の右腕は、肘から先がなかった。左手も親指が一本残っているだけだ。  ハリーファはテーブルに義手をのせた。古いオープンソースの設計図をもとに3Dプリンタで作った筋電義手。二十世紀のCDプレイヤーのモータ、廃品のレジスターからとった十六ビットのCPU、野戦通信機の充電式リチウム電池。寄せ集めの駆体、そのくせ精密なサーボ仕掛けの指。老人の肘に、義手のソケットをあて、エアクッションの圧力とストラップで固定する。迷いもムダもない動きだ。義手のフィードバック・ケーブルを、老人の右耳の後ろのジャックにつなぐ。古いM九七三軍用インターフェイス。兵士だったのだ。スイッチを入れると、握っていた指がおずおずと開いた。  ハリーファが紅茶を淹れ、形の不揃いな角砂糖の皿といっしょにテーブルに置いた。  老人がカップを義手で慎重につかんだ。濃い紅茶。口にすこし含んで、テーブルに戻す。義手が唸った。こんどは角砂糖をつまむ。ひとつ目は、力が入りすぎて、角砂糖が粉々にくずれた。ふたつ目もつぶしてしまう。  みっつ目の角砂糖はうまくつまんだ。切実なまなざし。ゆっくり、不器用につまみ上げて口に含む。義手で紅茶のカップをつかみ、角砂糖を含んだ口に運ぶ。ひと口飲み、また、ひと口飲んだ。  すると、老人の目に涙があふれた。何年ぶりなのだろう。子どものころからずっと、こうして甘い紅茶を楽しんでいたのだ。  ハリーファは、老人の右肩を軽く叩いて、空の雑嚢を背負った。 「次は左手を持ってくるから」  わたしは、ひとつかみの国連の食料配給票を老人のテーブルの上に置いて、ハリーファを追った。アーケードで追いつき、いっしょに露店でアイスクリームを食べた。  義手はイタリアの人道支援団体が作ったものだ。「ぼくの右足も作ってくれた」右足を叩いて見せる。  ハリーファは義手や義足を、傷痍軍人や紛争被害者に届け、メンテナンスを行い、支援団体から食事と宿舎を与えられていた。  モータ、駆動ワイヤ、光ケーブル、古いレジスタのCPUや自動車の制御基板を廃棄物処理場から集め、分類して、検品して、団体に納める子どもたちもいる。義手を組み立て、制御ソフトをインストールする子どもたちもいる。彼らの親は紛争で亡くなり、行方不明になり、政治犯として収容され、強制的に徴用され、家族を捨てて逃亡して、連絡が途絶えている。  まったく、どっちが子どもなのか。七歳のころ、わたしは、なにひとつ自分でできなかったではないか。わたしはこの子からたくさん学んだ。  何度も食事をして、彼らの義手づくりを手伝った。  いっしょに酸っぱいトマトスープをつくり、子どもたちに英語とフランス語を教えた。女の子たちの部屋で、ヒジャブをはずして、髪を結ってあげた。パニーニャの出産に立ち会った。
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