03 2175年8月 トリポリ

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「ミフターファたちを見なかった?」ハリーファが言った。「ここにだいじな用事があるんだって言ってた、きのうのよる」 「昨日の夜?」  そんなはずはなかった。支援物資が届いたとデマが流れたのは、今朝、日の出のアザーンの直後だ。  それ以前にだれかががここに来ようとする動機は考えつかない。  ミフターファは十五歳で、義手をつくるグループのリーダーだ。ハリーファがとてもなついている。義手のサーボ機構にくわしく、わたしがケンブリッジ大学の非公開のディレクトリにアクセスできるようにしてあげると磁性粘性流体の論文を熱心に読みふけった。できれば、大学で工学の勉強をさせてあげたいと思っていた。 「どんな用事なの?」 「わからない。でも、ちんこくな顔をしてた」 「深刻な顔?むずかしい顔してたの?」 「うん、むずかしい顔のカリファたちとむずかしいはなしをしてた。えーこくぐんがてったいするとか、これがさいごのチャンスだとか、ぼくのお父さんとパニーニャのお母さんをしゅうようしょから出せるとか…」 「収容所から開放する?」  ふたりの親は犯罪者として、トリポリ郊外の収容所に拘禁されている。 「知らない人と話していなかった?白人とか、軍人とか」 〈スパイとか〉 「うん、エジプト人みたいなやつから大きなバッグをうけとってた」子どもたちには白人以外の外国人はみんなエジプト人だ。 「それで心配してここにきたのね」  わたしはハリーファにキャンディを与え、抱きあげた。 「探してあげる。心配しないで。あなたは帰りなさい。みんなイライラしてるから、子どもはあぶないわ」 〈ミフターファたち、なんにまきこれた?〉  アラビア語はからっきしだから、武宮は携帯端末の自動翻訳でわたしたちの会話を追っていた。 「由理亜、なにか知ってるだろ」日本語で言った。「工作機械の輸送を特殊空挺部隊が警護するっておかしな任務だ。ミフターファの話もあやしいし。  白状しろよ。裏情報があるんだろ?」 「裏情報なんてありません」 「電話の盗聴。軍のネットワークへのクラッキング。みんな、きみが裏情報を持ってるってウワサしてる」 「だれがそんなウワサを。お嫁にいけなくなるでしょ」 「あの船はなぜ、荷降ろしをする?ここでエンジンを修理してからチュニジアで降ろせばいいだろ」 「エンジントラブルは破壊工作かもしれません。あるいは偽装かも」わたしは肩をすくめた。「昨日、国防省の次官補が基地司令に警告してきました。司令の古くからの友人です」 「また盗聴だな。教えてくれ。報告はしないから」  次官補は、ガイアマトリックスが、アルジェリア軍を利用して、リビアに破壊工作を行うと警告したのだ。MI6(リヴァーハウス)の報告だという。  ガイアマトリックスの情報企画部とアルジェリア軍の一部との頻繁で、非公式な接触。やり取りされるリビアの軍事情報。そして、ここ数日の海外からアルジェリア軍施設への圧倒的な通信量の増加はクラッキングを示唆しているのはないか、と司令の古い友人は告げたのだ。  アルジェリアは国土面積がずば抜けて広い。大半はサハラ砂漠で、防衛線は長く、その維持には膨大な費用がかかる。だから、無人兵器に頼る。そして、充分なリソースをつぎこめば、無人兵器はクラックできる。 「しかし、いつ、どこで、どのように、という確実な情報はありません。次官補自身、情報部から緊急性が高いと報告されただけだし、そもそも電話自体が非公式。機密漏洩にあたります」 「司令はそれを信用した。すると、怪しい船がやってきて、必要のない荷降ろしをする。外務省が奇怪な指示をだす。イヤな臭いがする。だからあわてて特殊空挺部隊を呼び戻す」  支援物資が届いた、とデマを流した連中もいる。  ミフターファたちもまきこまれた。  今日、ここでなにかが起きる。 「気がついてます?そこらに工作員がうようよいる」 「あんたの後ろ、トラックの陰で串焼きを食べてる男」由美香が言った。「アラブ人に見えるけど、あれは白人。あたしたちを監視してる」  武宮は振り向かず、携帯端末のカメラを向けてズームしてみる。 「おれにはアラブ系に見える」 「体臭がまるでちがう」 「なるほど。ガイアマトリックス…ね」  化学兵器や細菌兵器に冒された土壌の除染、劣化ウランの汚染土浄化、暴走する土壌改良分子機械の無力化……。環境修復技術のオーソリティと言えば聞こえがいいが、戦争屋の次は俺たちの番だと戦地に飛び込んでくるダイ・ハードな多国籍企業だ。いくつかの紛争は彼らが起こしたものだといううわさは絶えない。 「連中の意欲を駆り立てる積荷なのかも。工作機械なんてうそで、中身はひどい汚染物質とか」 「で、アルジェリアはどうなってる」 「それを今探ってます」  彗星の衝突以来、衛星軌道は月のイジェクタだらけ、軌道からの監視はほぼ不可能だ。  特殊空挺部隊は、各国の軍事施設の無線通信やテレメトリを常時モニタし、分析している。由美香は、そこから情報をあつめているのだ。 《ビンゴ!》由美香がタブレットに、リビアとの国境地帯の地図を送る。  サハラ砂漠に大型車両が十両、二十キロ四方に展開中。国境警備の戦車やホバークラフトではなかった。  イタリア製の巨大な無人ミサイル・キャリア、スコルピオーネ。搭載しているのは三基の対地・対艦ステルス巡航ミサイルRK二三七。通称スパルヴィエッロ。先月フランスの反対を押し切り、低価格を理由にアルジェリア陸軍が導入したばかりのミサイル・システムだ。  ミサイル・キャリアを十両、一気にクラックできるとは思えない。納入時に事前工作が施されていたのは間違いない。  スパルヴィエッロは全長十二メートル、二枚の垂直尾翼、クリップト・デルタ、水素燃料タービン・ジェットのミサイルだ。地形の画像照合と慣性誘導だけで正確に飛び、想定外の障害物を回避し、艦船や戦車が高速で移動しても確実に撃破する。オペラント条件付けされた犬よりずっと賢い。トリポリまで直線距離で四〇〇キロ。およそ三十分。 「ステルス巡航ミサイルが三十発」 「狙いはここ?積荷を狙っている?」  わたしはヤードの奥にまとめられたコンテナをみた。これがターゲット? 「タイミングからすると、そうだ。ここだ、と仮定して動くしかない。工作員がうようよしてるんだろ?」  だったら時間がない。この布陣がクラッキングによるのなら、アルジェリア軍に阻止される前に発射するはずだ。すぐにでも。 「迎撃できるの?」 「こっちの防空能力をはるかに超えてる」  相手はステルスだ。地対空ミサイルでは迎撃できない。リビア空軍がスクランブルしても、接近して背後から赤外線ホーミングミサイルで攻撃するか、機銃で墜とすしかない。  しかし、根拠の薄い情報では空軍は動かない。こちらも盗聴したとか、アルジェリアの国防情報を盗んだとか、どれほど大きく口が裂けても言えない。 「じゃ、みんなを逃さなきゃ」 「この人出だ。三十分じゃ避難できない」武宮が両手を広げで港を示す。  アラビア語の怒声、難民の波を押し戻す国連軍の兵士。出港待ちの油槽船。頭上で唸るガントリクレーン。潮風。降り注ぐ陽射し。  三十基のミサイル。さけられない。  ハリーファがわたしを見上げ、まなざしで問いかける。 〈発射した!〉タブレットのミサイルキャリアのアイコンがすべて発射完了にかわった。三十基のミサイル。目標地点は不明。テレメトリから見る限り、十基ずつ、三波に別れている。 「じゃ、どうするの!見殺しにはできないでしょ!」 「あたりまえだ!」武宮は立ち上がる。「俺が迎撃する」 〈はあ、ケストレルで?〉  武宮は仮設ハンガーを呼びだした。 「俺の三機にランドピアサーを搭載しろ!対地ミサイルは外せ!今すぐ!」  武宮が矢継ぎばやに指示を送る。その剣幕に、ハリーファがおののいた。 「五分で頼む!制御シェルのインストールは飛行中でいい」  わたしを見た。大きな目が光った。 「俺がおとせなかった分は、おまえが撃ち墜とせ!」   武宮は一キロ先の仮設ハンガーへ走り出す。走れば四分だ。 〈かよわい乙女に『おまえが撃ち墜とせ!』〉由美香が笑った。〈ふつうの男は、言えない、言えない〉 《できる?》 〈やるよ〉  譴責は覚悟の上、由美香が詳細をウィルソン小隊長にメールで送った。愚痴は多いが、実際的な男だ。すぐに返事がきた。  >>>>必ず墜とせ!譴責は後ほど。たっぷりと。  わたしはハリーファを抱き上げた。 「ハリーファ」わたしは手を握り、アラビア語で言った。 「たいへんなことが起こる。港を出て、わたしたちの基地へ行って。風上に走るのよ。ともだちを見つけたら、ともだちもいっしょに。わたしは、わたしたちは、必ずあなたたちを守るから」  そのときだ。わたしが高杉森治のヴァイオリンをはじめてきいたのは。開いたままのメディア・ストリーム、ロンドンからの中継だ。ロイヤル・アルバート・ホールで、高杉森治がパッサカリアを弾く。  澄んだ長音。流れるように、語るように、歌うように、夢見るように、幾重にも変奏をかさねる主題。技巧を誇示せず、いたずらに感情をこめず、真摯な願いが紡がれる。ハインリッヒ・ビーバー。守護天使のソナタ。  ハリーファの鼓動がわたしの胸を打つ。この鼓動が止まるかもしれない。  昨日、ここまで運んできた昏い目の孤児たち。  一週間前、目の前で死んでいった子どもたち。  不意に由美香をわたしに実装したときの母を想った。その願い、その愛情、その孤独。胸がしめつけられて、息が苦しくなるほど。母がわたしを生んだのは十九、わたしの齢だ。  わたしはハリーファのちいさなからだを強く抱きしめた。母がそうしてくれたように。  戦闘に慣れた。流血に慣れた。死体に慣れた。汚い裏取引にも慣れた。それでも、誰かの苦痛に慣れたことはない。闇への畏れを忘れたことはない。 「走って!」  背中をたたくと、ハリーファが走り出した。義足のせいで、少しぎくしゃくした足取りで正面ゲートに向かう。  すぐ呼びもどしたくなった。はなしたくなかった。  だけど、ハリーファの姿は埠頭の人波に消えてしまう。 《由美香、お願い!》 〈お願いなんて言わなくていいよ〉由美香がやさしくこたえた。  パッサカリアの旋律は美しく、陽射しを照り返す水面も美しい。  わたしはおどろきながら受けとめた。  自分の中にあふれだす想いを。
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