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01 2183年8月 タイムズスクエア
月夜のタイムズ・スクエアは世界でいちばん退屈な場所だ。
ミュージカルは軒並み休演。音楽も、ホロも、サイネージも絶えた無人のブロードウェイ。路上を駆け回る清掃ドローンたちだけが、失地回復に立ち上がった騎士のように雄々しく、たくましい。
二〇〇〇時。月齢十三・五。中天へ向かう月は冴え、無慈悲に星をかすませる。
最新の統計によればマンハッタンの人口の八十五・七八%が月恐怖症だ。
ルナフォビアではないから、今夜わたしは仕事に駆りだされた。
迷子のソリストを探して家に連れ帰る。楽な仕事だ。
月夜に行くところは限られるし、相手はカジノをいくつか回れば簡単に見つかる。連れもどせばすぐにウィーンのエージェントが五千ドルの暗号通貨を支払ってくれる。
〈世界でいちばん退屈な場所で、世界でいちばん退屈なお仕事〉
由美香が言った。
「寝てていいのよ」わたしはゆっくり路肩に寄せて、ランドマスターを駐めた。「トラブルなんて起きないし」
〈あら、ステキな殿方との出会いがあるかもしれないし〉
「はい、はい」
月夜に自動車泥棒は出ないし、フレンジーたちが暴れるには早すぎるけどセキュリティはかけておく。電子的にはもちろん、物理的にも。
百万ボルトの電撃とブチルメルカプタン・ペレットの連射がお望みなら、ご自由に。
空気は夏の香りにあふれているのに、死に絶えた通りは薄ら寒い。
もちろん、人はいる。
窓のないバーに、固く閉ざしたカーテンの陰に、地下のカフェに。
月が砕けかけた日の記憶に目をそむけ、月が見えなくなる時間までグラスを傾け、賭けに興じる。
月を見なければ、月は存在しない。月は落ちてこない。
ヘヴンズドアは今日三軒目のカジノ。違法カジノだ。劇場と遺伝子クリニックに挟まれた細いビルの地下にある。最近開いたばかりで俗物連中には評判がいい。入り口は、地下のカフェの奥にある物置の中だ。
「健全なカジノだよ、ユリア」
ここを教えてくれたギャンブラーはわたしに言ったものだ。
客の通信は、赤外線からレーザに至るまで、すべてモニタされ、羽虫サイズの覗き屋ドローンを撃墜する極小のレーザ・キャノンから、まばたきの回数や唇の動きを解析するフェイス・トラッカまで導入して、イカサマ防止に努めている。
「用心棒は元軍人のサイボーグ。イカサマはできないな」
「ちっとも違法な感じがしないけど」
「市の認可を受けてないんだよ。ロシア人のヤクザとお偉い下院議員がカネを出しててね」
「警察はなんで取り締まらないの」
「月夜しか開かないカジノなんだ。月齢と警官の有給休暇取得件数の関係は知ってるだろ?誰が踏みこむんだ」
カフェのドアを開けた瞬間、弾ける笑い声がわたしを打ちのめした。
ルナフォビアたち。
政治でも、シェイクスピアでも、下ネタでも、月を思い出さなければ、話題はなんでもいい。友だちでもない連中と友だちのようにふるまい、朝までグラスを傾ける。
わたしはバーテンダーに符牒を告げ、チップとして暗号通貨のトークンを渡し、物置からカジノに入った。
本当にアングラだから、物置から入るのか、アングラらしい演出をしているだけなのか、判断は保留しておこう。
門番はアルマーニを着ていた。その下には薄っぺらいボディーアーマーとスタンガン。サイボーグではなかった。
メンバーしか通さない、とすごんでみせたけど、由美香がアーマー越しにキドニーブローを送ると、素直にドアを開けてくれた。
迷子探しの日、由美香の導火線はおそろしく短い。
《ステキな出会いじゃなかったの?》
以前は駐車場か工場だったのか、むき出しの配管が縦横に走る天井。間仕切りに鉢植えの木が巧みに配置され、それぞれのテーブルを個室のように演出しているが、監視は容易。黒服のサイボーグたちがくつろいだ様子でたたずんでいる。
むせかえるほどの麻薬タバコとジンとキャビアのにおい。眠気を吹き飛ばすため時間を追って明るさを増す照明。自制心を緩ませる微量のイディオット・ガス。誰もが賭けに興じている、というより、溺れている。
わたしの碧いキャサリン・パルマのドレスとカストロ・レムケのパンプスは、保護色のようにカジノによく馴染んだ。どのテーブルに近づいても、うろんな目は向けられないし、黒服のごついサイボーグたちもわたしには目もくれない。
高価なバイオスパンコールのドレスをまとった女たちとタキシードとモノクル〈うひ!〉の男たちが囲むバカラのテーブル。その向こうにルーレット。
鉢植えのオリーブの木に囲まれたポーカーのテーブルを、三人の女が囲んでいる。揃いのミニのテーラードスーツ、同じ顔。三つ子?
〈ちがうよ。三人とも体臭がまるでちがう〉
由美香は鼻がきく。もちろん、それは、わたしの鼻なのだけど。
ああ、分子機械で、骨相を変え、筋肉の配置を変え、恋人の顔をコピーする、あれか。一部のレズビアンのはやりだ。
どの女がオリジナルだろう。
あるいは、そんなもの存在しないのかも。
くちづけを交わす相手が自分の顔というのはどんな気分なのだろう。
しかし、三人?
〈右側は男〉
《へ?》
〈厳密には元男〉体臭でそこまでわかるのか。
《あら、刺激的ね》
〈由理亜、いま、みだらな想像した?〉
《仕事するわよ》
高杉森治は、クラップスのテーブルにいた。正確に言えば、酔いつぶれていた。
豊かな銀髪、端正な横顔、七十を越えているのに引き締まった口元。整形手術はしていないし、テロメアをいじって若返りもしていない。五十代前半と言われたら、誰もが信じる。
しかし、目元に力がなく、口のはしが白っぽく汚れ、ステージを薙ぎ払うあのオーラはどこにもない。なによりそれが腹立たしい。
ソロならバッハ、シャコンヌ、ニ短調だ。
なんのケレン味もないたたずまいからほとばしる圧倒的なパッション。すばやく、軽やかで正確なボウイング。鮮やかな重音。澄んだ長音。美しい旋律。年齢とともに深まる曲への愛情と解釈。
わたしは彼の演奏を愛していた。八年前から、ずっと。
なのに。
ディーラーの手元にはチップの山。軽く五万ドルは負けている。
《ヤッシャ・ハイフェッツ以来のヴァイオリンの神様が…》
〈さいころ…ひっどい負け犬!〉
由美香の声は苦々しく、導火線は限りなく短い。
だから、寝ててって言ったのに。
いつもは陽気な男なのに、月に一度、この男は自滅衝動の虜になる。
酒も賭博も楽しんでる印象はない。ただ自滅の手段にしているだけだ。
「ミスタ・タカスギ、帰りましょう」
胸のポケットチーフで口元をぬぐうと、ようやく目の焦点があった。
「やあ、リグビー、守護天使のお出ましか。また、フィオナが連絡してきたのか…」
正確に言いえば、高杉が月夜に外出するとアパートのコンシェルジュが、ウィーンにいる孫娘のエージェントに連絡し、エージェントがわたしに高杉を探せと伝えてくるだけだ。
もう三年、毎月この仕事をやっているが、わたしはいまだに孫のフィオナと面識はない。
持ちものを改めた。携帯端末、ルクルトの自動巻き、財布の中身とカード、金のカフスは両方とも揃っている。
「帰りますよ」
立たせようとするわたしの手を拒み、高杉はテーブルからびっしり霜に覆われたグラスを取った。
とろとろに凍ったストリチナヤ。
わたしはそのグラスを奪い、一息に飲み乾した。
空のグラスをテーブルに叩きつけ、ウォトカよりも冷え冷えとした声で言った。
「帰りますよ」
「もう一杯どうだ、ユリア」
明るい声、期待に満ちた無邪気な眼差し。次の一杯を飲み乾せば、スタンディング・オベーションを始めそうだ。わたしに会うのが楽しみで、こんなまねをしているんじゃないかと思うのはこんな時だ。
有無を言わせず高杉を立たせると、重い足音を響かせ黒服のサイボーグが道を遮った。
機械化部隊の元軍人。カーボンナノチューブの骨格とKPS筋肉繊維。リミッタを外すと十五キロ・ニュートンの膂力を絞り出す。ひかえめに言って化け物だ。
「通してもらえる?」
「お客さまを連れ出されては困ります」ディーラーが言った。「月夜ですし、外はお望みにならないでしょう」
「通した方がいいわよ」
わたしはサイボーグの黒いアイウェアを見上げた。
「三十メートル先に転がった自分の目玉を探しにいきたくないでしょ?」
〈あら、由理亜さん、はしたない〉
まずい!由美香の苛立ちが感染ってる。
「従ったほうがいいぞ、おでぶさん」サイボーグが言った。
〈おでぶさん?〉
サイボーグとしての身体能力への過信は、彼の落ち度ではなかった。
わたしの厚い脂肪の奥に獰猛な捕食獣が潜んでいるのを見逃したのも、彼の落ち度ではなかった。
彼の落ち度は一歩踏み出したことだ。
せっかく警告してあげたのに。
〈アイ・ハヴ!〉
宣言と同時に、由美香が身体のコントロールを奪って跳び、わたしの顔は二メートル上の天井にぶつかりそうになった。
腕を交差して、天井にむき出しの配管をつかみ、ドレスを翻して大きくスピン。上空から相手のこめかみへ打ち下ろす回し蹴り。重く、鋭い金属音。カストロ・レムケのつま先と踵はタングステンで被甲されているし、由美香が最大の角運動量で解き放った踵は音速の半分だ。だから、劣化ウラン弾の直撃よりはいくらかましとしても、相手の首がもげなかったのはラッキーとしか言いようがない。
目玉の代わりに高価なアイウェアがはるか先の壁まで吹き飛び、無残に砕けた。
いくら頭蓋がチタン製でも、中身はただの脳みそだ。サイボーグは一瞬で昏倒し、三メートル跳んでバカラのテーブルを二つに割った。
チップが飛び散り、叫び声が湧いた。ディーラーが口を大きく開けたままあとずさった。
わたしは高杉を振り返った。
「お見苦しいところをお見せしちゃって」
〈お見苦しい?〉
《監視カメラにショーツさらしたじゃない》
〈おおお〉
「すごいな、ユリア!」
高杉の声はあまりにも明るく、拍手しないのが不思議なほどだ。残念だが、彼にはそうできない深刻な事情があった。両手にそれぞれ新しいシングルモルトのグラスを握っていたのだ。
どこのテーブルからくすねたのやら、このじじい。
高杉が続けざまにふたつのグラスを空にした。
わたしは声をあげて笑ってしまった。
静まり返ったカジノに、わたしの笑い声が反響した。大きく、はしたなく。
アドレナリンでハイになったせいだ。忌々しい。
〈負け犬ながら、あっぱれ〉
由美香の声は脳内の声だ。
わたしにしか聞こえない。
地下にいる間に空を雲が覆い始めたが、それでも月はくっきり見えた。
中央には黒々とマードック・ペレイラ彗星の衝突痕。
目をこらせば、月を貫く闇の中に浸出したラドンガスの青い光がゆらめく。
砕けた月の破片が、十年経った今でも、尾を引いて空を切り裂いてゆく。
わたしは高杉の肩を抱いて、車に歩いた。ルナフォビアだが、酔っているから、月に気がついていない。目にしていたら扱いにくかっただろう。
「軍用サイボーグを一撃で。ユリア、きみは兵士だったのか?」
「昔の話です」ただの酔っ払いだ。偽らずに応えた。
「今は私立探偵」質問ではなかった。
〈いえいえ、子守です〉
「サイボーグ?」
「いいえ。ふわふわでしょ、わたしのからだ」
「ユリア、きみは、ふたりいるようだ。やさしいきみと容赦のないきみが」
〈事実だよ!〉
背後に重い足音が交錯した。
ヘヴンズドアのサイボーグたち。三人。
ふわふわ脂肪のおでぶさんに仲間のメンツを潰されたままでは、用心棒としての輝かしい未来が閉ざされる。ルナフォビアに耐えて追ってきた。
「そこで止まれば長生きできる」振り向く前に由美香が言った。「進めば、就職活動もできない」
一人が致命的な一歩踏み出した。
一瞬で膝を砕かれた。その膝を踏み台に、二人目のアゴを掌底で突き上げると、首のジョイントがイヤな音をたてた。
三人目は九ミリを抜いた。
銃身を突き出したときには、由美香が手首を捉えていた。
手首をつかんだまま後方宙返り。立て続けに二回。手首がありえない角度にネジ曲がる。生身なら螺旋骨折ではすまない。
痛覚は遮断できるから耐えられる。しかし、サイボーグたちは退却するほかなかった。奪った九ミリを由美香がかまえていたのだ。
薬室の一発目を排莢し、マガジンの弾をすべて路上にばらまいた。遊底を外し、銃を投げ捨てると、清掃ドローンたちがすばやく回収してゆく。
〈ユー・ハヴ〉
《アイ・ハヴ》アドレナリンが引いてゆく。
〈こいつを送って、早く帰ろう。嫌いだ、こんな場所〉
「きみは並の兵士ではないな、ユリア」
「お恥ずかしい」インプラントの信号でランドマスターのドアを開いた。
「忘れてください。彼氏募集中の身なので、わるい噂は困るんです」
すこし考えて高杉が言った。
「火星にいってくれないか、ミズ・リグビー」
「火星?」思わず空を見上げたが、見えるはずがなかった。この時間、火星は地面の下だ。
「火星は遠いですよ。簡単には行けないし」
後部座席に押し込もうとする手を振り払い、わたしにすがりつく。
酒くさい。
だけど、目には強く切実な光があって、わたしはつい訊いてしまう。
それがあやまりだった。致命的なあやまりだった。
酔っぱらいのたわごとと切り捨ててしまえばよかったのだ。
「火星でなにをするんです?」
「娘が火星に行った。行方不明だ」
知ってる。高杉レイナ。ピアニストのエルザ・フランとのあいだに生まれた高杉の一人娘だ。彗星の月衝突の混乱のなか、地球からの補給物資が絶たれた火星では、多くの死者と行方不明者が出た。高杉の娘もその一人だ。
「探してほしいんだ、娘を。君なら探しだせる」
死んでいるだろう。生きているなら生存者リストに名前があるはずだ。
「火星では多くの人が亡くなりました」わたしは言った。「十年間連絡がないのなら、行ってもお墓を見つけるだけかもしれません」
「あやまりたいんだ」肩が震えている。「どうしても」
酔ってる。目がうるみ、息がくさく、どうしようもなくみじめだ。
「何度もなぐった。うまくヴァイオリンが弾けなかったからだ。ピアノが弾けなかったからだ」
音楽の才能に恵まれず、つらい少女時代を送ったあと、レイナはリエージュの大学で植物学を学び、そこで知り合った男と結婚し、娘を生む。五年後、火星へ渡り消息を絶つ。娘を、高杉の孫、フィオナを地球に残して。
「何度も、何度も…。あの娘がヒラリー・ハーンやレイチェル・ポッジャーでないのはあの娘のせいではないのに。それが許せなかった。
墓しかないのなら、わたしがどうしようもなく後悔していたことを伝えてほしいんだ」
ヴァイオリンの神様が、あわれなほど…。
八年前のあの灼けるような一日。この男のヴァイオリンの旋律で、びっくりするほど、わたしの中に沸き立った、あの想い。
わたしは高杉を抱きしめた。あの日、ちいさなハリーファを抱きしめたように。そうすれば、このみじめな老人が、あの日わたしに力を注いでくれたソリストとしてよみがえるような気がしたのだ。
しかし、彼はこう言った。
「わたしの人生は失敗だった」
だから、酒に溺れ、賭けに溺れ、こんなにみじめな自己実現で、失敗の人生とやらを正当化しているの?
ほんの一瞬、わたしは本気でこの男を憎んだ。
「だったら、おまえが行け!」
不意に由美香がわたしの身体のコントロールを奪い、高杉の胸元をつかみ吊し上げた。
「おまえが詫びろ!墓の前で血が出るまで額を地面にこすりつけろ!
おまえのその醜態が、みじめさが、負け犬ぶりが、どれほど由理亜を傷つけているか、わかってるのか?」
《やめて!彼には関係ない!》
「あの日、おまえのパッサカリアを聴いた。あたしも、由理亜も」
あの澄んだ音色。夢見るように、祈るように奏でられた守護天使のソナタ。わたしは、ハリーファを抱きしめ、由美香の力を借りて…。
「あたしが一秒遅くて、一万八千人も死んで、あたしたちはボロボロになった。
だけど、あたしたちは後悔していない。あれはあたしたちには本当に大切な一日だったんだ。
それを始めたのはお前のヴァイオリンだ。それを…失敗だった?ふざけるな!」
「一万八千人…。あの日か、八年前」
八年前、ロイヤル・アルバート・ホールでこの男が弾いたパッサカリアが全世界に中継された日、トリポリに巡航ミサイルが撃ちこまれた。
由美香はミサイルを撃ち落とした。無人戦闘機も。
しかし、あの爆音。ハリーファ。おびただしい死体。腐臭。
いまにも聞こえてきそうだ。
神経ガスが放出されたときの爆音が。由美香の絶叫が。わたしの憎しみの歌が。
「ユリア、きみが、あのときの…」
トリポリのキラークイーン、とシャルリ・エブドは書きたてた。
アル・ジャジーラは、そっけなく、わたしをこう呼んだ。
トリポリの虐殺者。
高杉がわたしの顔にキラークイーンの面影を探していた。
八年前、わたしのニュースが流れたのは高杉森治のライブ中継の直後だ。
大量虐殺のニュースは彼の演奏の余韻を一瞬でかき消した。何日もメディアストリームはわたしたちの顔で埋め尽くされた。戦術モードの美しい由美香の顔。体重を十キロ絞ったわたしの顔。トリポリの虐殺者。英国政府を脅迫し、姿を消した十九の娘。一条由理亜。
「忘れてください」わたしは言った。「あれは封印期間百年の軍事機密です。そもそも、あなたには関係ありません」
不意に月がかげった。雲が重苦しくマンハッタンを覆った。
大粒の雨が路面を激しく叩き、泡立った。雨のにおいがあふれた。
絶え間ない月の破片の落下で気象衛星が打ち上げられない今、天気予報は本当にあてにならない。ひどい降りだ。
しかし、タイムズスクエアは歓声で沸きたった。
路上に人があふれだす。サイネージが閃き、音楽が弾けた。カクテルグラスに雨粒が入っても大歓迎だ。女たちが水着で踊る。上空に炸裂する喜びのホログラム。
月が見えない。見えないものは、存在しない。ルナフォビアたちが恐れるものはなにもない。
清掃ドローンが蹴倒され、ワインボトルが路上に砕け散る。
負け犬たちの失地回復。
月の見えないタイムズスクエアは世界でいちばんくだらない場所だ。
高杉は昏い想いに沈んでいる。
明日、ウィーンのエージェントに、もうこの仕事は断ると伝えよう。
わたしは歓声を尻目にアクセルを踏み込んだ。車道に踏み出したルナフォビアにホーンを浴びせた。
〈みんなひれ伏せ!負け犬の王がここにいるぞ!〉
雨は夜明けまで降り続いた。
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