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知られたくもない事を知られるのが人生
死神との戦いから一ヶ月が経過した。あれ以来、タクボは常に暗殺の危険を考慮し用心していたが幸い何も起きなかった。
あの魔王軍序列第一位の男は、どうやら手を回してくれたらしい。義理堅い奴だとタクボは感じていた。
人間側にとって大きな災厄である筈の男を、タクボは嫌うどころか好感すら持ち始めた。
この小さい街の冒険者職業安定所には、タクボに善意で協力してくれている某検定員がいる。彼の情報では、勇者達と魔王軍の戦いは激しさを増すばかりだと言う。
魔王軍の劣勢は一日ごとに顕著になり、重要な拠点が次々と落とされている。勇者達が有利と読むと、無名、有名問わず冒険者達が雪崩をうって仲間に加わっている。
この手の連中は大抵が金が目的だった。攻め落とした街、砦や城から金目の物を略奪をしている。
『勇者達が劣勢の時は日和見の癖に、全くずる賢い奴らだ』
タクボは内心そう思っていた。
魔王軍が手に入れた勇者の武器は、効果が無かったのか。サウザンドの苦労が目に目えた。
一応魔族を応援出来ない立場のタクボは、気に病んでも仕方ないと自分を納得させていた。
また新たな気持ちで日銭を稼ぎ、貯蓄をし目標額を目指す。早くこんな生活から足を洗う為に。タクボはそう強く願っていた。
清々しい気分で宿を出ると、一人の少女が笑顔でタクボを出迎えた。
「おはようございます!師匠。今日もいいお天気ですね」
あの森での出会い以降、この少女はずっとタクボに付きまとっている。弟子入りを何度断っても暖簾に腕押し。少女に効果は無かった。
「チロルと言ったな。私は忙しいんだ。君に構っている暇はない」
「師匠!私の名前を覚えてくれたんですね。嬉しいです」
一ヶ月間、毎日名乗られたら嫌でも覚える。タクボはそうボヤきながら心のため息をつく。
「今日もいつものお仕事ですね。自分より遥か格下の魔物をなぶり殺しにして日銭を稼ぐ」
『いや、その通りだが。侮蔑されたような気分になるのは何故だ。少女よ』
「チロル。君は一体何時から、私の生活と行動を観察していたのだ?」
「この街に来たのは、二月程前です。師匠を初めてお見かけしたのは、師匠が野良猫に餌をあげていた時です」
「ち、違う!あれは気まぐれだ。たまたま食料が余っていたから」
「野良猫なんて、放っておけば良いのに、毎日朝夕欠かさず餌をあげるなんて、なんて酔狂な方だと思いました」
この優しい魔法使いの弟子になりたい。チロルは、その時強く思ったと言う。
「····一体お前は、私をどれだけ調べたんだ?」
この国には、個人の情報を守る法が必要だ
。タクボは強くそう願った。
「大した事は存じません。毎日節約の為に安い部屋に泊まっている事とか」
『人をつけ回す輩には、罰が必要だ。早くそんな法が出来ないものか』
「あと、一月に一度、自分へのご褒美に酒場で一人酒をする事とか」
タクボはこの街を出る事を真剣に検討するべきだと思った。
「その酔いの勢いに任せて、貴族の部屋に泊まり、男性向けサービスを受けてる事とか」
『明日、この街を出よう。誰も私を知らない、ここでは無い何処かへ。』
「お早うチロル。今日もタクボを、朝から付け回しているのかい?」
「また幼い少女を連れ回す気か?あまり感心できんぞ、タクボ」
「チロル。あまり、このおじさんにか関わらない方が良いわよ。叩けば色々、埃が出る人だから」
不快で不愉快な声が、タクボの耳に三つ聞こえた。元暗殺者。元騎士団少佐。元諜報員。
『この連中は、朝から何をぶらついているのだ?労働をしろ!働け!この私のように』
タクボは心の中で魂の叫びを上げた。
なし崩しにタクボはこの暇人達に連れ
られ、朝から営業している茶店に入った。
あの森での戦いの後、マルタナ、ウェンデル、エルドは所属していた組織を解雇という形で円満離職となった。
それ以来、この三人はなぜかこの小さい街に住み着いている。
ウェンデルは真実を知らされた時は流石にショックを隠しきれなかった。忠誠を誓った国に裏切られたのだ。
「俺もあれから考えてな。冒険者に職を変える事にした」
冒職安には、危険な割に報酬が安い仕事がある。そんな仕事は大抵が人助けのような内容だ。
紅茶色の髪をした青年は、自分が手が届く範囲の人々を助ける事を、生きる糧と選んだようだ。誠実な彼らしい決断かもしれない。
「僕もウェンデルと一緒に登録したんだ。暗殺者って職業は無かったから、工作員で検定したら、レベル二十二だって」
少年エルドは、物心ついた頃から暗殺者の教育を受けていたらしい。暗闇の世界しか知らなかった少年は、自由の身になり、何をしていいか分からず戸惑った。
だか、ウェンデルの誘いを受け第二の人生を歩み始めたらしい。
「チロル、ちゃんとご飯食べてるの?あなた細いんだから沢山食べないと」
マルタナは現在酒場で働いている。気のせいか以前の目の鋭さが幾分か和らいで見える。
世話焼きの性格なのか、チロルの事を気にかけている。ついでに引き取って、連れて帰ってくれれば良いのにとタクボは思っていた。
「はい。気をつけます。マルタナ姉さん。」
マルタナが注文したパンとスープを頬張り少女は笑顔で答える。
「チロルはこの街に来るまで、何をしていたの?」
エルドが熱いミルクを飲みながら質問する
。
「はいエルド兄さん。私は盗賊団にいました
」
ハムをかじっていたウェンデルは、チロルの顔を二度見した。
「チロル。もしや君は、その盗賊団に誘拐されたのか?」
「違います。ウェンデル兄さん。私はそこで生活していました」
チロルは、幼少の頃の記憶が無かった。気づくと、自分は盗賊団に在席していた。今から五、六年前の話だと言う。盗賊の仕事を叩き込まれ、仕事をさせられた。
「でも、私失敗ばかりで。四年が過ぎた頃、とうとう、始末されそうになったんです」
「始末って······なんて奴等なの。こんな小さい娘を」
マルタナが珈琲が入ったカップの柄を握り締める。
「チロルは上手く逃げ出したんだね」
「いいえ、エルド兄さん。盗賊団の人達は、皆殺しにしました」
エルドの問いに、少女は笑顔で答えた。
「皆殺し······?」
ウェンデルは口の中のハムがなかなか喉を通過しなかった。
「はい。ウェンデル兄さん。一人残らず」
少女はまた笑顔で答える。飲み干したスープの木の器を名残惜しそうに見つめる。
「タクボ。この娘は······」
マルタナが困惑した表情でタクボを見る
。タクボは回想する。
『そう言えば、この少女に初めて会った時、顔には血がついていた』
『あれは怪我ではなかった。もしや返り血かか?一体誰の?こんな子供が、返り血を浴びる状況とは何だ?』
タクボが思案に耽っていると、マルタナが怯えた声で私の名を呼ぶ。ウェンデルとエルドは、深刻な表情をして固まっている。
「師匠の後ろに立っている人、誰ですか?」
チロルが無邪気な笑顔でタクボの後ろを指差す。タクボは振り返った。
そこには、黄色い長衣を纏った長身の男が立っていた。
四人の大人と一人の子供が囲んだテーブルを、遠い席から眺めている人物がいた。手元には冷めた子羊の煮込みスープが置かれている。
頭は白いフードを被っている。俯いていて表情は伺えない。フードからはみ出した長い前髪は、真紅の色をしていた。
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