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それは、僕が五歳かそこらのことだ。標高も高くなく、それほど険しい山でもなかったため、登山好きだったうちの両親は幼い僕を連れ、その年の夏の家族旅行であの廃村近くの霊山へ登ったのだそうだ。
だが、その日は運悪く深い霧に巻かれ、両親がちょっと目を離した隙に僕は行方不明になってしまった。
それから三日間、両親はもちろん、警察や地元の消防団が総出で捜索をしても見つけられず、そうなるともう、新聞やニュースで取り上げられるほどのけっこうな大騒動である。
ところが四日目の朝になって、あれほど大勢で探しても見つからなかったというのに、山の頂上にあるお堂の前にひょっこり腰かけているところを僕は登山者によって発見された。
その不可解な行方不明事件に、世間では〝神隠し〟にあったのではないかと、また違う意味で評判になったとのことである。
先程も言ったようにその時の記憶は朧げで、ぼんやりとしか憶えていないのであるが、あの廃村で思い出したことと併せて考えると、その行方不明になっていた三日間、僕はあの村で過ごしていたように思えてくる。
逆にそれ以外、子供の頃の僕とあの廃村を繋ぐ接点はないのだ。
山で霧に巻かれて迷子になり、あの麓の村へ辿り着いて保護されたのか……だが、そう考えても疑問は大いに残る。
普通、迷子の子供を保護したら、すぐに警察へ通報するものと思うんだが……それも、世間じゃニュースになっているような行方不明事件だ。
……いや、それ以前にその頃すでにあそこは廃村だったはずだ。村として存続しているんなら、地元の人達が知らないはずがない。
では、僕はタイムトラベルでもしていたというのか? それとも、この世ならざる者の暮らす異界へ迷い込んでいたとか……。
それに、この仮説通り僕があの村で過ごしていたとして、どうやってあの村まで辿り着き、また、山頂のお堂までどうやって戻ったのだろうか? 幼い子供の足ではなかなか難しいような気がするが……。
いろいろ推論を立ててみても、けっきょく謎が多すぎて、整合性のとれる答えを見つけることはできなかった。
行方不明になった僕に何があったのか? あの廃屋にまつわる記憶はいったいなんなのか? 本当のところはわからない……だが、その顔や名前は憶えていないというのに、妙に印象深く僕の脳裏に刻まれているのは、あの〝天狗の面〟を着けて踊る村の人々の姿だ。
もしかしたら遠い夏の日、僕はあの天狗達の手によって、本当に〝神隠し〟にあっていたのかもしれない……。
(おもひでの村 了)
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