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白羽の矢
「え。私が運転手ですか?」
「ああ。社長の運転手が椎間板ヘルニアの手術をすることになってね」
「でも。どうして」
社長室。平社員の希美はいきなりの配置転換に驚きを隠せなかった。
デスクワークがリモートになる会社。彼女の仕事は営業だったのでやむ得ないのはわかっているが、いきなり社長の運転手の辞令に彼女は首を横にブンと振った。
「それに、社長の車って。高級車のリムジンですよね?私に運転は無理です」
「気にするな。大きな車はみんな避けてくれる。それにこれは君にご指名なんだ」
そう言って若社長は面倒臭そうに希美に目を向いた。
この翌日から彼女は社長専用の運転手となった。
「おはようございます。この車ですか」
「そうですよ。大丈夫ですよ」
長年運転手をしている白髪の長澤は曲がった腰で運転席を開けた。
辞令翌日。この地下駐車場で彼女は練習する事になっていた。
助手席に長澤に座ってもらった彼女は、運転について説明を受けていた。
「さすが!詳しいですね」
「実家が車の整備工場なんで。でも、動かすのは別ですよ」
そんな希美は指定されたスーツで姿でエンジンをかけた。そして地下の駐車場をぐるぐると試運転することになった。
「では、いざ」
「左右を確認してくださいね」
高級車を静かにスタートさせた希美。最初は恐る恐るハンドルを握っていた。
「うわ?ハンドルが軽いですね」
「ええ。大きな車ですが、ハンドルはよく切れますよ」
だんだん調子に乗ってきた希美。そして車で右折した。結構スピードが出てままだった。思わずタイヤがキイイと悲鳴を上げた。
「おお。本当にハンドルが切れますね!でも、足回りが弱いや」
「そ、そのくらいにしておいてください」
「そうですか?」
なんとか慣れてきた希美。汗を拭いたのは長澤の方だった。
「まあ、それだけ度胸があれば大丈夫ですね」
「ええ?私、そうでもないですが」
「いやいや。私が初めて運転した時は、足がガクガク震えたもんですよ」
そういう長澤は、今は希美の運転で声が震えていた。
「まあ。このような大きな車はみんなが避けてくれますので」
「そう簡単におっしゃいますが。あの」
彼女はどうして臨時にプロの運転手を雇わないのか尋ねた。
「それはですね。おそらく情報漏洩を防ぐためですね」
きらりと目を光らせた老人に彼女はドキリとした。
「それって。秘密の会議とかを、この車でするんですか?」
「いや……まあ。女性との浮名ですね」
「浮名……」
社長は独身。この会社は株価が上がり絶好調であった。そんな彼も調子に乗っていると長澤は笑った。
「それはそれはたいしたモテぶりでございますよ」
「……」
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